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バブル時代に優雅な20代を過ごす。結婚を期にテレビ局の社長秘書という華やかな仕事を失い、途方に暮れる専業主婦に。おもしろおかしいオクサマをめざして日々まい進。cdcライターに是非!という事で即採用。
PROFILE
名前
:AI 斎藤亜衣
年齢
:34
血液
:B
星座
:天秤座
出身地
:新潟
好きなもの
:雨、お酒、お風呂、古いモノ、ブルーな時のチョコレイト
好きな場所
暗くてソファのある深夜営業の本屋さん(どこかにないかしら)
好きな映画
:ロシュフォールの恋人たち、Night on the planet
趣味
:何も持たずにお散歩

ご意見ご感想はAIまで
AIさんのサイト:sanpo biyori
AIさんが参加しているサイト:pisca pisca

 新潟テイスト【afternoon nap】
2004/4/5/MON
[朝焼けの色]
自由という観点から言えば、今の私はまったく自由からはかけ離れている、と思う。
でもそれは、特に苦しいわけでも、切ないわけでもなく
むしろ、安堵感といってもいい気がしている。
安堵。
いったい私にそんなものが訪れようとは、これまで思いもしなかった。

独身女の自由というものを、時々思い出してみる。
私は何でもできたし、どこへでも行けたし、何にでもなれた。
かつて自由だった私には、失うものがないように思われた。
孤独さと自由さは比例する。

だのに、あれよあれよという間に家族が増えていき、
何にでもなれていたはずの私は、他から一定の味方をされるようになる。
不自由の始まり。
それは私に、それこそ、あれよあれよという間にのしかかってきたのだ。
じたばたしながらも、気がつくとそこに静かに頬杖をついている自分がいた。
今まで会ったことのない私、そこにいた。

失いたくないものが、今の私にはたくさんある。
なくしてしまったら、きっと私も壊れてしまうのではないかと思われるほど。
いくつもの恋でさえ私の心を動かすことができなかったものたちを、
私は今、両手の中にたくさん抱えているのだ。
私を不自由にする宝物たちを。

朝方、薄暗いうちに目がさめると、傍らにいる赤ん坊を抱きしめながら、窓辺で思う。
今がどんどん過ぎていく。
一秒、また一秒、今がどんどん昔になっていく。
行かないで、時間。
動かないで、時計の針・・・。
過ぎていくことは失ってしまうことのような気持ちになり、
私はぎゅっと目を閉じてみる。
そうすることで、何かを止められでもするかのように。

それでも、きっと誰も時間から自由になることはできない。
私のまぶたの上で、朝焼けがどんどん色をかえていくのだろう。
空は、私を失って孤独であると同時に、たぶん少しだけ自由だ。
そして私はゆっくりと賑やかになる朝に向かい、
不自由の中でまた、安堵のため息をもらすだろう。




2003/9/3/WED
[秋の風邪]
冷夏といわれた夏も終わり、北国の9月は寒さを感じることが多くなった。
私は風邪をひいてしまったらしく、くしゃみがとまらない。
熱も少しあるみたい。
傍らで遊ぶ子どもを放っておいて、昼寝なんかもしてみたけれど、体調の変化なし。
はて、困った。
私は現在、第2子を妊娠中につき、風邪薬も胃腸薬も飲めないでいる。
なんとか自然治癒の力に頼ろうと、普段の暮らしに頭を使う。

夏の間、ほとんどシャワーしか使っていなかったお風呂場で、
久しぶりに、湯舟にゆっくり浸かることにした。
バスタブを丁寧に洗い、たっぷりお湯をはって、お気に入りの香りのバスオイルを入れる。
身体が解放される感じ、というのを一番に感じるのが、お風呂の時間だなあ、と思う。
私はカナヅチで、プールで泳いだりするのはあまり好きではないけれど、
こうしてお湯の中に静かに浸かっているのは、気持ちがいいものだということは知っているのだ。

自宅には、お風呂場に窓がない。これがすごく残念なこと。
静かな安堵のため息を、バスタブの中で響かせながら、
ここに、切り取られたような小さな空があればいいのに、と、いつも思ってしまう。
それはとても小さくていいのに。空しか見えないくらいに。

安定感のある太めのキャンドルをお皿にのせて、お湯の近くで火をつける。
お風呂場の電気はそのままでも、キャンドルの火があるだけで、その揺らぎを感じることができて、ほぅ、と、息がもれた。
大きくなったお腹が、私の呼吸に合わせるように中でグニャリ、と、動く。
30も過ぎれば、もう私に胎内の記憶などがあるはずもなく、ただその心地よさだけに、自分の母体の中身を想像したりする。
首だけ出してお湯に浸かる私の、そのまたお腹の中でなまぬるい水に浸かっている赤ん坊・・・ほぅ。

子どもを産むのは女と決まっているけれど、家族の中で私だけがどんどん身体を変化させていき、他のみんなは相変わらずの日常を平気で泳いでいることに、少なからず不公平を感じたりもするのだ。
時々苛立っては、ちゃぷん、とお湯を波立ててみる。
誰にも気付かれずに、ひとり、お湯の中で。

夫の夏休みは、たったの3日しかなくて、あっという間だったけれど、
夜をゆっくり2人で過ごすということについて、彼が3日の間に、少しだけ心掛けてくれるようになった気がするのは嬉しい。
(夫はもともとそういうことに非常にウトイ・・)
もっといろんな話をしたいし、いろんな思いを聞いて欲しいと思うのに、
また9月の忙しさの中にまぎれていってしまうのも、たぶん、時間の問題かもしれない。
ふたりで、昔流行った古い歌をCDで聴きながら、私は、寝る前にもう一度熱いお風呂に浸かって、泣きそうになる顔を柔らかく伸ばしてあげなければ、と思った。
ティッシュの箱を抱えて鼻ばかりかんでいる私を、夫は風邪のせいと思い込んでいて、「大丈夫か?」と聞いたりする。




2003/7/19/SAT
[梅雨の終わり]
その日は朝から雨が降っていて、娘を幼稚園まで送って行ったあと、
ポツンとひとりになると、
私は突然、このまままっすぐ家に帰るのがもったいないように思えた。

雨は静かに降っていて、冷たくて、でもまっすぐな線に囲まれている感じが、
私のまわりを親密な空気で満たしているみたい。
こんな日に、雨と一緒に歩くのもいいよね、と、
近くのコーヒーショップまでの往復を考えついた。
長靴をはいた足を、わざと強く道路に振り下ろしては、
水しぶきの様子を楽しんだ。

コーヒー豆を買って、家に戻ったら自分で挽いて飲もうと、
レジで何種類かの豆の名前を告げていると、背後からなつかしい声がした。
「奇遇だねえ」
何年ぶりかに会うその友人は、朝ごはんを食べにきたんだ、と言った。
あれ、たしか彼には、結婚して子どももいるはずだよなあ、なんて
チラリと思ったけれど言葉にはせず、
私はひととき、彼の「ひとりの朝食」につきあうことにした。

最近どうしてる?と、決まり文句のようにきいてみる。
「うん、離婚しようかなと思ってたのを、やめたんだ」
サンドイッチをほおばりながら、時計を気にしている。
平日の早朝のコーヒーショップ。彼にはこれから仕事があるのだ。
混み合った事情を質問している時間はないと思って、
そっか、子どももいることだしね、と軽く返してみた。

「いや、そんなことじゃないんだ。
カミさんと合わないなあっていうのが、よくわかったんだけどさ、
そういう自分の理由だけで別れたいと言ったら
彼女がかわいそうかな、と思って。だからやめたんだよ」

何と言って返していいかわからず、だまっていると、彼はこう続けた。
「ほら、オレって女性には優しいからさ」
笑っている目の前の男の、ずいぶんな身勝手ないいぐさに、
ふうん、とため息をついた。

男の人の食事時間はいつも、短いものだなあと感心する。
最後のひとかけらのサンドイッチを、コーヒーで流し込むと、
5分くらいで彼の朝食は終わり、私たちは手を振って別々の道を歩きだした。

雨に打たれながら、たまらないなあ、と思った。
私が彼の奥さんだったら、たまらないなあ。
かわいそうとか、悲しませたくないという理由でつながっている男。
そして、それを優しさだと言ってのける男。
私にとっては、彼の優しさは、このまっすぐな雨くらいの冷たさに思えた。
身体を芯まで冷えさせるほどではない、
梅雨の時期の、ぬるい雨の温度。

仕事に向かう途中、ひとりで朝食を済ませる彼には、
きっとたくさんの事情があるのだろう。
せめて、彼の奥さんが、彼の小さな笑顔の中身を、
少しも疑い知ることのないように、と祈った。
くったくなく、家庭を守る義務を遂行している彼を、
変わらず愛していけるように。

たちまち、私のまわりをとりまく雨の粒たちが、
女の涙のように見えてきて、ふいに、私に帰り道を急がせた。
コーヒーの豆の香りも、サンドイッチをほおばる彼の横顔の残像も、
今すぐ、雨に消してほしかった。




2003/5/30/FRI
-5〜6月のテーマ『この街に住んで.....』-
[菜の花畑]
「そういえば私ね、すごい場所知ってるんだ!」
ドライブの途中、突然思い出して夫に言ってみる。
休日出勤していた夫が、月曜日に休みをとった。春の陽が優しい、平日の午後。
「今行ったら、きっときれいだと思うよ」
そして、車のスピードをぐん、とあげた。

あれはまだ私が4、5歳くらいの幼い頃、
当時住んでいた家の近くに、広大な菜の花畑があった。
1本1本がとても背の高い菜の花で、
小さい私は、畑の中に入ってしまうと、見えなくなるくらいだった。
太い茎の間を、縦横に走り回って遊び、まるで迷路のような場所だった。
菜の花の迷路。
それは子供心にも、とても素敵でロマンチックで、夢の中の世界のようだった。

走るのに飽きると、鮮やかな濃い黄色の花びらを見上げながら、
迷路の真ん中で、ひんやりする土の上にしゃがみこんでみる。
外の音は、ふぅっと消えて、ゆっくりと時間がなくなっていく。
なぜか悲しいことを次々に思い出したりして(子供にも悲しいことはたくさんある)、
そのたびに黄色い花びらに、顔を近付ける。
風にゆれてサラサラ音をたてる葉の様子が、私と話したがっているようにも見えて
優しい気持ちになったものだった。
涙がつうっと、あごまで流れようとする時、きまって友達が呼びにきた。
「どこにいるのぉ?もう行くよ!」
「うん、待って!」
菜の花の迷路から、背伸びして、ちょこんと頭を出して合図する。
もう今となっては、あの頃、何が悲しかったのかも思い出せない。

車が懐かしい場所に入って行く。
「この辺りに、すごい菜の花の畑があるのよ」
「そんなの、あったかなあ?」
とても背の高い菜の花がある広大な畑、と夫に説明していたので、
それはなかなか見つからなかった。
「もしかして、これ?」
たしかここだと、私が思った場所には、タタミ6畳くらいの広さに
ひょろっとした菜の花が、こじんまりと植えてある畑があった。
背の高さは私の腰くらいで、これを迷路と呼ぶには、いささか安っぽくて
子供だましにもならない気がした。

こんな畑だったかしら?こんなに小さかったのかしら?
でもたぶん、昔からそのままの場所なのだろうと
すこしづつ記憶を呼び戻す。
そう、たぶん、ここは変わっていない。
この小さな畑で隠れて遊んでいた幼い私。
あの頃からみれば、今はずいぶん広い世界へ飛び出していったものだと、
あらためて思う。
小さい身体いっぱいの、小さな悲しみも、
今では思い出せないくらい、遠くはかないのが、もどかしくなるほど。

ひとしきり小さな畑を見下ろして、すごい場所ってコレか、と
がっかりしている夫について車へ戻る時、
黄色い花の先端をちょんちょん、とつついて、集めた記憶を手放した。

車を走らせながら振り返ると、どんどん小さくなる菜の花たちが、
さわさわと揺れて、あの頃のように話したがっているように見えた。
でももう、私には菜の花たちと何の会話もできないことを知っている。
今年5歳になる私の娘には、
あるいはあの菜の花の声が聴こえるのかもしれない、と思いつつ、
畑から川を2つ越えて、自宅のある繁華街のマンションへ戻った。




2003/5/2/FRI
[匂いに溶ける]
結婚してこの春で5年がたった。
私にとってこの結婚生活はいくつもの瞬間的な現実の集積で、
なまなましく、一生懸命で地道なものだ。
それまでの環境の違う人間どうしが、一緒に暮らすということの難しさや幸福を、
私はもっと軽く考えていたらしく、日常の中でいちいち慌て驚き、いちいち満たされる。
とても落ち着いて生活などしていられないのだ。

それぞれの場所で、違う景色を見ながら生活していた頃は、
互いの景色の違いを持ち寄っては、それに惹かれていた。
ところが結婚して一緒に暮らしはじめると、見るものの違いは少なからず障害になってしまう。
私はこれをこう見たいのに、あなたは何故こうしようとするのか、となる。
小さないざこざから、大きな口喧嘩までこなすことになり、
帰る場所の違うふたりなら、きっと経験することのないような内容の喧嘩に至る。

そのたびに思う。
ダメダと思っても、これで終わりにしてはいけない。
だってまだ5年しか一緒にいないんだもの。
最近はじめて知ったことだってあるし、
食べ物の好みだってこの5年の間に少しずつ変わったりしている。
これからまだ、お互いにいろいろあるよ。きっと。たくさんの未来を抱えていることを思い出す。
そうしてふたりとも、静かになる。踏み止まる。
私にはこの「あきらめるような境地」というのを心地よく受け入れられるようになったことは、
結婚のメリットでもあったかもしれない。
この類いの温度の低い情熱を持つことは、そんなにわるいもンでもないから。

それでも、ひとりになりたいと思うことが時々あり、
夫がいなければきっともっと穏やかで心静かで、幸せなんじゃないだろうか、
とまで思うこともある。
口に出して言ってみると、夫は必ず黙ってしまう。(無視すると言ってもいい)
「それは違うよ」とひとこと言ってくれればいいのに。
正直な夫はそれが言えない。彼もわかっているのだ。
それが伝わってくると、私は少し肩の力が抜ける。
私にとって結婚はある意味、低い階段を一段踏み外す感じに似ている。
あれ?という感覚。
どうして私はここにいるのかしら。何でこんなことになってるのかしら。
この瞬間も日常は流れているのに、とってつけたような、そのばかばかしさが可笑しい。

それぞれの場所で、違う景色を見ながら生活していた頃には
決して気が付かなかった幸せ、というのもある。
あの頃は、別々にいることで、その分一緒にいる時がとても濃くて楽しかった。
常に一緒にいる状況であれば、おしなべて幸せで、ぬるく穏やかで、
その分、雰囲気は薄くなるように感じることもある。
しかし、だからこそ、同じ風景の中でそれぞれが違うものを見ていたとしても
ふたりでいる時のその空気はひとつに括られる気がする。
ここに居よう、と思う。

不思議に居心地のいい空気の匂いに慣れ始めると、
もう、一緒にいなくても私は大丈夫、とは思いたくないし、思われたくない。
強かった一人の頃の私が、少しずつ溶解していく。




2003/4/25/FRI
[all woman]
ハジメマシテ。
よろしくお願いします。

春になると、この言葉があちこちで行き交う。
その緊張感が好き。
何かが待ってるかもしれない、その気分を好きになる。
たとえ、目新しいことは何もないだろうなあ、と知っていても
脳裏からそれを追い出すように、
いたずらに、手でアタマのあたりの空を切る。

私はいわゆるただの専業主婦で、日々、家事と子育てに追われ、
自分の時間をつくり出すことがなかなか困難な生活をしている。

独身時代も忙しく、いろんなことに一喜一憂しては騒いでいた。
でもたぶん、その頃よりも今のほうが数倍忙しい。
していることは決まりきったことのくりかえしだけれど、
永遠に続くかのようなこの平坦さを、平気で続けていくことは案外むずかしい。
下手な感情をそこに混入させて、秩序を乱してしまったら、
すべてを失ってしまいそうな緊迫感がある毎日なのだ。
こんな種類の緊迫感があるなんて、結婚してはじめて知った。

そんな毎日に疲弊を感じたり、飽きてしまったりすると、
たまにつぶやく。
「but I'm all woman ... 」
私は、だけど、どこからどこまでオンナよ、と。

主婦であることは、今の私の仕事かもしれないけれど、
オンナであることは私の仕事ではなく、私そのものだから、と強く思いたい。
ひとりの女である私の、気持ちの雫をいちいちすくいとってあげたいし、
" 誰かのオンナ " でもあることのスペシャルを、大切に生きていけたら、と思う。

新潟の桜は散ってしまったし、心はいつも晴れではないけれど、
春の、うるさいくらいにまぶしい陽の中で、
cafe de chocolatにハジメマシテ、が言えることが、本当にうれしいのです。