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ある時は会社員又ある時はライター、DONZYさんの社会派コラム(チトオーバー?)暮らしと生活。的を得た時代感覚が好きで執筆をお願しました。
PROFILE
NAME
:DONZY
年 齢:33歳
血液型:A型
星 座:天秤座
出身地:愛知県
好きなもの:コーヒー、納豆、ほどよい肉体美、お風呂、睡眠
嫌いなもの:タバコの煙、ゴキブリ、寝不足、月曜日
好きな場所:香港
12/2現在のマイブーム:アミノ酸

 愛知テイスト【DEAREST】
2004/5/26/WED
[小さな行動]
最近、テレビを消している。
きっかけは、時間の有効利用を考えた時。
だらだらとテレビを見ることが無意味だと思ったからだ。
今更ながら気付くことでもないのだろうが。

テレビのスイッチを本当に見たい時だけONにする生活にして3ヶ月あまりが過ぎた。

有効的に時間が使えているかどうかは別にして、
テレビが無いと情報の選別に敏感になることに気付いた。
だらだらと垂れ流される情報の大半は、不必要で、無意味で、
真実からほど遠いものばかり。
いくつものニュースやワイドショーをはしごして見るくらいならば、
本当に信頼しているニュース番組と新聞を読むほうが、
真実に近づけるような気がする。

インターネット上に氾濫する情報は、選別する能力がなければ
読む価値が無いことにもつくづく感じた。
情報が手に入らないことと氾濫する情報に飲み込まれることの危険さは同等だ。
私たちは、今以上の知識と公平さをもってこの情報社会を
生きていかなければならないと思った。

この時代にバランス感覚を身に付けることは、平静を保つことに似ているかもしれない。
私は、平静を保つためにテレビのスイッチを切った。
世の中のできごとから背を向けるのではなく、感覚を]研ぎ澄ますために。




2004/1/14/WED
[Where is Raed?]
かなり遅いですが、新年のご挨拶。
本年もどうぞよろしくお願い致します。

最近、blogという言葉をネット上で目にする。
正式には、weblogと言うそうだ。
webとlog日々更新される内容という言葉を組み合わせて縮めてblog。
blogで検索すると日本語のサイトはもちろん英語での検索でも
膨大な検索リストが表示される。
日本の日記サイトとどう違うのか明確には分らないが、
似たような物ではないかと理解した。
その気になれば、blogはインターネットを接続できる環境があれば、
誰でも作成できる。
そんなblogで非常に有名なものがある。
Where is Raed?」というblogだ。
著者は、サラーム・パックス。イラク人。29才。
(「バグダットからの日記」という邦題でソニーマガジンズから
日本語訳が出版された)
あの9.11以来、アメリカの情報操作によって私たちに刷り込まれた「イラク人」像。

誰もが熱心なイスラム教徒で、フセインとその一族に洗脳されてしまい、
多くの人々が自爆テロ志願者。
彼等は一刻も早くアメリカやイギリスの助けが必要で、
彼等をフセインの支配から開放することが、現在世界がなすべき
もっとも重要なことである、というプロパガンダ。
「Where is Raed?」は、それらが実際どうだったのかを知ることができる。
イラク政府に見つかるのではないかという恐怖と断続的に起る停電の中で
書き続けられた内容は、決して悲観的ではない。ユーモアと皮肉が
たっぷりと込められ、イラク人の現実が綴られている。(彼のblogは、現在も更新
中)
これを読んだらブッシュ大統領や小泉首相は何を思うだろう。
(知ってた?ブッシュは英語が読めないらしいよ←サラーム風)
自衛隊のイラク派兵はどんな意味を持つのだろう。
インターネットのお陰で様々な情報を手に入れることができる。
あの戦争を懸命に正当化しようとしているアメリカに彼のblogは
きついパンチを食らわせている。




2003/10/27/MON
-9〜10月のテーマ『携帯電話の向こう側』-
[手提電話]

香港に行ってきた。
2年半ぶり。
久しぶりの香港は、相変わらずのパワフルさで、
初日の私は完全に負けてしまった。
車には引かれそうになるし、道には迷うし、ぼんやりして迷惑がられるし。
はははは、ボケてる日本人丸出し。

さて、テーマの携帯電話(手提電話)にこの香港をこじつけてみる。
実は、今回初めて香港で携帯電話をレンタルしてみた。
最近見ない古いタイプだったが、かなり重宝。
日本で携帯電話依存症な生活をしていると、
それが無い生活が数日続くと想像するだけで気が滅入ってしまう。
頻繁にかかってきたり、かけたりするわけでもないのに、
こんなに必要とするなんて、なんだか変だと思うのだけど。
香港に行った事がある人なら、あの街の人たちの「電話好き」については
知っていると思う。
ストラップで首から電話を下げ、イヤホンマイク使い、
歩きながら話しつづけるという芸当はなかなかできるもんじゃない。
地下鉄の中で、延々話し続ける人々。
ランチのテーブルに向かい合って座っているのに、
一方の人はずーっと携帯電話で話し続け、
もう一方の人は黙々と食事を続けているという風景。
うーん、奇妙。
で、香港人に質問してみた。「ねぇ、みんな何を話しているの?」
「いろいろ。大した話じゃないよ。お昼はどうする?週末どうする?とか、
ちょっとしたことだよ」
「でも、みんなが自分の話を聞かれたら嫌じゃない?」
「なんで?大した話じゃないから別に聞かれても構わない」
うーん、そういう感覚かぁ・・・
「香港は、通話料金が安いからみんな電話するんだよ。日本は、高いでしょ?」
確かに、安くはないけど。
プライバシーということに関して、かなり認識が違うことは、
以前から十分に感じてはいたけど、公共の場でする会話の内容は
彼らにとって「プライバシー」にはならないようだ。
でも、それくらいの図太さが無いと熱気溢れるあの街で生きていくことは
できないのかもしれない。

帰国して、家に帰る地下鉄の中。
「車内では携帯電話の電源はお切りください」
ほとんど誰もいない車内に響くアナウンス。
会話している人さえないにのに。
そんなアナウンスにほっとする自分を発見したりする。




2003/7/22/TUE
-7〜8月のテーマ『スキルアップ』-
[習い事、はじめました]

先月から「サルサダンス」を習い始めた。

数年前からサルサは結構話題になっていた。
スポーツジムでマシンを相手に黙々と汗をかくより、
音楽に合わせて体を動かした方が精神衛生上良いのではないかと思ったのだ。
でも、実際は、どんなダンスかという知識はなかった。
とりあえずミーハー気分でお試しレッスンを受けてみた。

難しい、でも楽しい!
私のようにスーパー運動音痴でリズム感全然無い人間でも
先生は実に親切に教えてくれる。
先生は、キューバの方。
日本語ペラペラで、かっこいい。
もう全身「ダンサー!」
「右、左、後ろ、前!」と言われるままに動くんだけど、
私のそれは”ステップ”とは呼べない。
ぎくしゃく、ぎくしゃく。ロボットか、君は?とつっこまれそう。
なんと言っても、サルサと日本の盆踊りでは、カウントの取り方が違う。
盆踊りには、微妙に「溜める」けど、サルサには、ない。(と、思う)
なんと言ってもパートナーと踊ることが重要だから、勝手に自分の微妙で
溜めていたら相手と合わなくなってしまう。
「月がぁ、出た出た、月がぁ、出たぁぁ」に親しんだ私には、
テキパキ踊るダンスとう印象なんだけど、でも上手く踊っている人は、
そんな印象とは違う。
なんか、違う。
リラックスして、自然に踏んでいるステップには、余裕すら感じる。
頭で考えているうちは、ダメなんだ。
盆踊りも、子供のころから踊り続けて身に付いているから自然に踊れるのだから。
今は、先生の後ろ姿を見て、ひたすら頭で「前、後ろ、いちに、いちに」と
しかめ面して眉間にシワを寄せて踊っているけど(もちろんそんな顔してると注意される)、
数カ月後にはカッコよく「サルサ」しているといいな。

現在、私のいる初心者クラスは「集中特訓キャンペーン」らしくて、
毎回2時間ぶっつづけでレッスン。
終わると背中の筋肉がバキバキで足はガクガク・・・
家に帰ってベッドに横になっても、疲れすぎて、体が痛すぎて眠れなかったりする。

それでも、新しく何かを始めたという事実は、嬉しくて、そんな現実にもにやにやしてしまう。




2003/5/19/MON
[おばあちゃん]
ゴールデンウィークに両親と母の実家に出かけた。
この歳にもなって親と一緒に遠出するのも気恥ずかしいのだが、
今回は祖母のお見舞いがメインだったので、そうも言ってられない。
叔母の法事を済ませ、祖母の現在の住まいとなっている老人ホームに出かけた。

ホームは、病院よりはしゃれていて、でもほんとうに老人しかいない所だった。
老人と見舞客と介護するスタッフ。
BGMでエンヤが流れていた。
祖母は、95才。足を悪くして以来、だんだん痴呆も進み、
今ではごくわずかな人しか認識できない。
当然、私のことも分らなかった。
一緒に行った叔父が、久しぶりの祖母の姿を見て、涙した。
私もいつものおばあちゃんでないことにショックを受けた。
手を繋いで「おばあちゃんの手と私の手はそっくりだね」と話しかけても
「そうかい」と常に同じ答えばかりだった。
同じ部屋で生活するお年寄りたちは、私たちの様子を黙って眺めていた。
感心を持ってというより、そこに音を発し動くものがいるからという感じだった。
祖母は、私の母を含めて6人の子供を産んだ。
若いころは、詐欺事件に巻込まれ、財産の大半を無くし、
長男は、家を継がずに好き勝手な生き方をし、夫には随分早く先立たれてしまった。

6人の子供のうち、3人は既に亡くなっている。

長く生きているとロクなことないよ。
何年か前に祖母は言った。
そんなことないでしょ、おばあちゃん。ひ孫だって見れたし、ねぇ。
そんな風に言ってみんなは祖母に笑顔を向けたけど、
祖母にはつらい日々が沢山あっただろう。
今、祖母の心は、何も考えず思い出しもせず、穏やかなのかもしれない。
「○ちゃん(私)が結婚するまで、ばあちゃん生きてるか分らないから、
先にお祝いあげておくね」
そう言って封筒を渡してくれたのは、もう随分昔のことだ。
多分自分は結婚しないだろうと思っていたから、受け取ることに少々ためらった。
が、受け取ることで祖母が喜んでくれるのが分ったのでありがたく頂戴した。
「もし、おばあちゃんが生きてる間に私が結婚することになったら、
もう一度お祝くれる?」
「あたりまえさ。がんばって花嫁さんになってよ」
「がんばってなれるもんじゃないしなぁ」
「約束だよ。○ちゃん、花嫁さんになってよ」
「うん、うん」
ごめんね、あの時指きりしたけど、私はきっとその約束を守れない。
ほんと、ごめんね、おばあちゃん。




2003/5/2/FRI
[I love HongKong]
私の愛する中華圏が危ない!
しかし、私には、早く有効な治療法が見つかるか、
突然SARSが消滅してくれることを祈ることしかできない。

友人(香港在住)「あぁ、僕の人生はめちゃくちゃだ」
私「何言ってるの。きっとすぐに元通りになるよ」
友人「スイスなんて大嫌いだ。僕は、贔屓のスイスレストランがあって、よ
くそこに行ったけど、もう二度と行くもんか」
私「(はぁ?と思いつつも)確かにスイスの時計フェアでの香港バイヤーに対する
扱いはひどかったけど、でも、原因不明の病気の時は仕方ないじゃない」
友人「おまけにタイだって。香港から来た人間には、ずっとマスクを付けろって言う
んだよ。
カッコ悪いじゃないか。バケーションにならないよ」
私「だったら、タイに行かなければいいじゃない」
友人「だってもうホリデーの申請してしまった」

私は、香港という街に非常に深い愛情を抱いている。
もちろん、そこに住む人々もひっくるめての愛情だ。
彼等が時折『?』な発言をしても、できるだけ理解しようと思うのだけど.....。
いやほんと、笑える。
ますます好きだ、香港。




2003/1/24/FRI
[健康万歳!]
かなーり遅くなりましたが「明けましておめでとうございます」
本年もどうぞよろしくお願い致します。
昨年12月から慌ただしい日々が続き、冬休みが明けたと同時に再び多忙な状態。
私の周囲の口癖は「仕事はじめの週間なんだけど、年末みたいに滅茶苦茶」
それは今でも続いています。
どうなってんの?

さて、年をとると関心が高くなるのは「健康ネタ」。
20代の頃は、友人と食事をしながら
「物忘れがひどいなら●●を食べるといいよ」とか
「××は、免疫力をアップさせるんだって」なんて会話はしなかった。
今では、30才を超えた人間が集れば自然に「健康ネタ」で話が盛り上がる。
若い頃、健康でいることは、それほど重要ではなかったように思う。
ちょっと貧血気味、とか言う方がカッコよかった。
ところが今では、いかに健康でいるかが話題になるのだからおかしなものだ。
若いころの「健康」は、同年代だったら同じように持ち合わせていたものだった。
特に気をつけなくても維持できた。
ところが、30代になると20代のさまざまな無茶のせいで、
人それぞれの体の状態になってしまっている。
肝臓が悪いとか腰が悪い、体脂肪が高い、とか。
健康診断を受ければ、どこかしらが警告音を発している。
20代の健康は、ちょっと恥ずかしいものだったけど、
30代の健康は、お金を出してでも手に入れたいものと変わった。
健康であることは、外見を若々しく保つということにも繋がる。
微妙な年齢。友人たちが集った時、自分だけが妙に老けていたらヤだな。
そんな気持ちが「健康」への感心になる。

ヨーグルトを食べてみたり、肉を避けて魚介類を食べてみたり。
酢を飲んだり、水を変えてみたり。
客観的に見ると笑えるのだが、健康への果てしない努力は続いていく。




2002/11/22/FRI
[突然!名古屋観光案内]
毎日随分寒くなりました。
皆様、いかがお過ごしですか?
今回は、私が住む街の新しい観光名所(?)をご紹介をしたいと思います。

名古屋は「地下の街」としてご存知の方も多いと思いますが、最近の名古屋は地上のほうが勢いがあるように思われます。
数年前、JR名古屋駅の真上にツインタワー「JRセントラルタワーズ」が完成しました。高島屋・マリオットホテル・ビジネスオフィスからなる複合ビルです。

そのJRセントラルタワーズができるまで、名古屋駅周辺は「暗い」「活気が無い」といったイメージで、お洒落な場所は名古屋駅から地下鉄で数駅先の「栄」でした。
JRセントラルタワーズできて、名古屋駅は活気のある(東京や大阪よりは劣りますが)街に生まれ変わったのです。

そして、冬になるとタワーズはすばらしいイルミネーションで飾られます。
昨年から始まったこのイルミネーションは、周辺道路を渋滞にし、
とんでもない騒動になりました。
今まで大掛かりなイルミネーションを見れる場所が名古屋にはなかったのです。
その人出は「栄」をしのぎ、周辺のデパート、飲食店に素晴らしい経済効果をもたらしました。

今年も11月15日にイルミネーション「タワーズウィンターギャラ」が点灯しました。
初日から大勢の人が集り、クリスマス、年末に向けて雰囲気を盛り上げてくれています。
(タワーズのオフィスビルに勤める人たちにとっては、
エレベーターは混雑し、帰ろうと思って外に出ると腹が立つほどカップルだらけ、
というちょっと迷惑な状態でもありますが)
神戸のルミナリエや東京の青山通りのように、
冬を彩る有名なイルミネーションがありますが、
名古屋のJRセントラルタワーズもそのひとつに加えられるのではないかと私は思っています。
もし、この季節、名古屋にお越しの際は、少し陽が落ちるのを待っていただき、
ぜひイルミネーションをご覧になってください。
年末の忙しさから開放される一瞬が、そこにあります。

ちなみに、私は、JRの関係者でも名古屋市職員でもありません。
単なるお祭り好きなだけです(笑)

■JRセントラルタワーズ オフィシャルサイト http://www.towers-style.com/




2002.10.24.THU
-10・11月のテーマ『今だから言えるゴメンナサイ』-
[申し訳ございません!!!]
若い頃には考えもしなかったことを最近しみじみ考える。
それは、まぁ、それなりに年もとったし、
世の中の仕組みも分かってきたからなんでしょうが----。

友人たちが結婚をし、子供を産み「うちの子、来年から幼稚園なの」
などという話を聞いたりしていると、いろいろ考えを巡らせた果てに
自分の親がいかに自分なんかよりちゃんと人生を生きてきたかを痛感するのだ。
ちなみに、私と同じ年齢の時には、恐ろしく我がままな私と病弱な弟を育てていた。

友人たちの会話「うちの子にスイミングスクール通わせようと思うんだけど」とか
「英語は早いうちからのほうがいいんだよね?」なんて、
会話を聞くと、そうか、こうやって我が両親も私に習い事をさせたんだ。

私にバイオリンを習わせたかった母。それを反対した父。
今思えば確かに私には音楽の才能なんてこれっぽっちも無かったから、正解だった。
習字(正座が嫌でさぼってばかり)、そろばん(半年でクビになった)、
英会話(当時は小学生で英会話ならってるのはすごく珍しかった。
でもクラスメイトとお喋りしてただけ)、
算数.....数々の習い事にお金をかけてくれたけど、結局、目立った成果が得られたものはゼロ。
今思えば、時間の無駄。お金の無駄。
そんなことに投資しつづけてくれた両親、ほんとうに申し訳ないです。
一体私は、幾ら無駄にしたんだろう??
子供は親が自分にお金をかけてくれることを当然のように思ってしまうが、
実際は何かしら節約をしてお金を捻出してくれていたのだと今なら分かる。

ううう、申し訳ございません。
その上、いまだに恩返しもできてません(汗)

とりあえず、大病もしなければ、人の道を外れてもいないってことが
親孝行-----ってことで勘弁してください!!




2002/9/5/THU
[9.11]
もうすぐあの日から1年。
あの恐怖の瞬間。
映画のワンシーンかと思うような衝撃の映像を眼にしたその時、
自分がこの世で、ものすごくちっぽけなものなのだと真実思った。

どうすればアメリカとアフガニスタンの戦争を回避することができるのか、
いろんな情報を求めてネットをさまよった。
政治家でも著名人でもない自分が、何をしても世界の動きを止めることはできないのに、
なぜか突き動かされるように「平和」について考えた。

「戦争でなく正義を」を掲げた署名運動にも参加した。
友人たちにもその運動に参加して欲しくて、私は書いた。
「思案している時間はありません。
世界は、戦争へ向かって歩みを進めています。
もしあなたがこの署名に参加しても、戦争は始まってしまうかもしれません。
しかし、多くの人々の願いが戦争の中身を変えるかもしれません。
何もできない私たちは、こういうことでしか平和を願うことができないのです」

あの日から1年を迎えようとしている今、世界はまた新たな戦争が始まる予感に怯えている。

昨年の9月25日のニューヨークタイムスにオノ・ヨーコさんが出した広告。
「Imagine all the people living life in
 peace(人々が平和に暮らすことを想像しよう)」

今、もう一度、世界中の政治家が、自国の人々だけでなく、ほんとうの意味で世界中の人々が、
地球上の全てが平和で満たされている姿を想像すべきだと思う。
そうすれば自国のエゴのみで政治をすることを控えることができるだろう。
「我が国が世界で1番」の発想は、決して幸せではないこと悟ることができるだろう。

「ギブ・ピース・ア・チャンス(平和にチャンスを)」
同じくオノ・ヨーコさんが出した屋外広告。

昨年の9月11日。
多くの人の心の中で無意識につぶやかれた言葉はきっと同じだ。
戦争を望む人なんていない。
give peace a chance........,please.




2002/8/7/WED
[暑中お見舞い申し上げます]
時々見かけるあなたへ。
お元気そうで何よりです。
相変わらずデキるビジネスマンという感じで、
惚れ惚れしてしまいました。
(順調に出世してるようで安心しました。(笑))
歩く姿も、話す声も昔と全然変わっていないけれど、
でも、きっとあなたと私が視線をあわせることも、
声を掛け合うことも、きっと二度とないのでしょうね。
遠くから確認しあっていることは、多分お互いが分っている。
でも、私たちは絶対に声を掛け合わない。
子供っぽいね。笑っちゃうよね。
でも、これも大人のマナーかな。
これ以上思い出を作らないことも、あなたの優しさと思っておきます。
私も分別を働かせて、終わったことを蒸し返したりしません。
二度と交わることのないお互いの道。
あなたを見かける度に、もう少しあの時を大事にしていればよかった思うけれど、
あの時は、あれで精一杯だった。
思い出して後悔しても過去は過去。
あなたはいつまでもかっこいいあなたでいてください。
私も前を向いて一生懸命歩いて行きたいと思っています。
それから、あなたの幸せをお祈りしています。




2002/6/17/MON
[運命を探して]
梅雨入りしたのに雨が降らない。
これって重大問題じゃないですか??
数年前、米不足で日本中が騒いだことを思い出します。
長粒米はおいしいけれど、納豆をかけて食べるには不向き。
やっぱり納豆には日本の白いお米でなくちゃ!

なんてことを心配しながらも、実は、雨が降らなくて嬉しいことがある。
それは「傘」について。
私には今、お気に入りの傘がない。
急な間に合わせで手に入れた、しょぼい傘を使っている。
とても気に入っていた傘が、さしている最中に突然ボン!と閉じてしまうという
大笑いな症状を起こすようになり、お気に入りが一気に一発芸傘へと転落。
今では、靴箱の奥にしまわれている。
雨が降るたびに「傘が欲しい」と思うけれど、運命の出会いは訪れない。
雨の日のブルーな気分を少しでもなごませてくれる私の一本を探して、
デパートへ行ったり、雑貨屋へ行ったり、いつになったら出会えるんだろう?
うろうろしている間に、梅雨が終わり、台風の時期を過ぎ、雪の時期を迎え...
私はずっとしょぼい傘をさしているんだろうか。

物との出会いは、人と同じで、ある日突然。全くの偶然。
あぁ、私の運命の1本。梅雨が終わる前に出会えるかしら???
ちなみに理想は、大きくて(ゴルフ用ではなく)、
持ち手が太くて(手が大きいから細い持ち手は爪が手のひらに刺さるのです)、シックな柄。
それほど、わがままではないと思うのですが。
心当たりの方は、ぜひご連絡ください。




2002/5/27/MON
[あの事件で思ったこと]
神のみぞ知る偶然で私は今「日本」にいる。
もし、神様が悪戯心を起こしていたら、
私は、違う国に生まれていたかもしれない。

例えば、北朝鮮とか......

今、飢えることなく、
何の罪もない親兄弟が理由もなく連行されることもなく、
小さい兄弟を家族が生きる為に売ることもなく、
明日におびえることもなく、
日々生活を営めることは、つくづく幸運なことだと思う。

日本に対し、不満がないわけではない。
今の人生に、満足しているわけではない。
しかし、もし、他の国に生まれていたら「生き残る」ことに精一杯で
不満だとか、より幸せにといった思いすら抱けくことができないかもしれない。

もし、あの国境の向こう側に自分が生まれていたら。

韓国の人たちが感じている現実を私たちは、
本当の意味で知ることはできないけれど、
少なくとも私たちの生活が「他の国から見たらもの凄く恵まれている」ことは情報で知ることはできる。

あの日、余りにも違いすぎる現実を目にし、
日本に生まれた幸運を感謝せずにはいられなかった。




2002/5/21/TUE
[か弱き者よ、汝の名は女]
そう、女性は弱いのだ。
と大きな声で言えない今日この頃。
実際、私自身も相当強いと思う。精神的に。
心の中に鉛の棒が入っているという表現がなんとなく的を得ているように思う。
いざというとき、立ち上がれるというか、腹をくくれるというか。
でも、私は「男らしく」はないと思う。
私には腕力や体力はない。
懸垂は1回もできないし、走ればノロいし。

女らしさ、男らしさ。
強いか弱いか。そんな基準は過去のものなのだろう。
今は、男らしい女らしいとは見た目を表現するだけのことで、
その人の内面を表現するものではない。
男らしいか女らしいかではなく、人として「思いやりがあるか」とか
「懐が深いか」というほうが人を語るに相応しい表現方法だと思う。

とは言っても、日本的ジェンダー意識が植え付けられてしまっている
限り、女は偽ってでもか弱き者であるほうが、
世の中は生きやすいのかもしれないと考えたりもする。
結構ずるい発想だけれど、
生きる知恵をつけたものが勝ちと言い切ることができれば、それもひとつの手だ。

ぴったりとしたカットソーにスカート、パンプスをはいて
「嘘っぽい」と鏡に向かって舌を出す自分。
男の人たち、ごめんなさい。




2002/3/31/SUN
[青からの卒業]
新入社員を迎える。
彼等を見るとフレッシュさを感じるよりも「うーん、君たち元気ないね」と心配してしまう。
最近の若者は「若者らしくない」というのは、まさにこの部分。
彼等からは「間違うことや失敗することを恐れない若者らしさ」よりも
「無難にそして目立たなく」といった感じを受ける。
ま、慣れてくればそれなりに個性も表わしてくるんだろうが。

自分が若かったころを思い起こす。
若いことは恥ずかしいこと、と教えられた私は、
ホント若いころを思い出すと恥ずかしいことばかりだ。
知識も経験もなく、それなのに虚栄心と自己顕示欲ばかり発達していて、
勘違いと失敗の連続だった。

そんな「若気の至りで...」の世界から卒業したのは、20代も終わりの頃だった。
ある日突然「背伸びをしても仕方ない」ことに気づいた。
どんなに背伸びをしても、私の器はこれだけしかないんだ、
ということに突然、気づいたのだ。
気づいたのが遅すぎたかもしれない。
でも、肩の力が抜けて、ありのままでいることができるようになった。
正直、生きるのが楽になった。
今は、ちゃんと自分の身頃にあった服を着て生きているといった感じだ。

もちろん、若いころの経験があってこその今だということも十分承知している。
だからこそ、若い人たちに言いたい。
「若いうちに、いろんな経験をしたほうがいい(ただし、法に触れない経験を)」と。
青い時代からは卒業する時がくる。
懐かしむ時が必ず来る。
人生は、その後の「実りの時」にこそ意味がある。
その時期を充実させるには、若い時にどう過ごしたかに左右されると思うのだ。
後悔だらけでもいけないし、無味乾燥でもいけない。

なーんて、人生を知り尽くしたようなことを言っているけれど、私もまだまだ人間できてない。
これから、より一層の人生経験を積んで、30代をかっこよく卒業したいと思っている。
無理矢理「卒業」にまとめてみたけど、無理すぎたかしら?




2002/3/7/TUE
[沈没寸前!日本丸の行方]
私が勤務している会社でも「ついに」リストラが始まった。
50歳以上の社員に「早期退職制度」を実施することになったのだ。
今まで「こんな会社いつでも辞めてやる」と豪語していた人々が急に静かになった。
私が勤務している会社は、比較的大きく知名度も高い。
社員たちは会社に、しっかりとおんぶ状態で、危機感なんて全くなかった。
「リストラ」なんて”我が社の辞書にはない”と思っていたおめでたい人達の集りだった。

今の世の中「変われない」企業は取り残される。
企業が変わるということは、そこに働く人々の状況が変わる。
そのことが理解できていない人は多いようだ。
そして変わるということは、当然良いことと悪いことが伴うということも。

小泉内閣の言う「痛み」もそれだ。
改革が進み、政治が変われば将来的には良いことかもしれないけど、
ここしばらくはつらいことのほうが多いだろう。
我々には、つらい時期を迎える覚悟ができているだろうか。
経済は、一時的に今以上に落ち込むかもしれない。
失業率は上がり、税金が高くなるかもしれない。
ボーナスがゼロになるなんてあたりまえかもしれない。
全く予想もつかない「何か」が起るかもしれない。

私たちは日本丸という半分沈みかけた船に乗っている。
小泉船長は、溺れかけた人を見捨てても仕方ないと思っている。
溺れかけた人たちを救っていたら、船そのものが沈んでしまうのだ。
私たちは、それも仕方ないと支持した。(一時は、90%の人が支持し
た時もあった。真紀子宗男騒動で支持率はかなり落ちたが)

では、自分が溺れかけた人になったら?
気が付いたら会社は倒産し、失業手当てをもらうことになり、
何ヶ月も職を得ることができなくなったら?

改革なんてくそくらえ、と思うだろう。
きっと政治が間違っていると思うだろう。
でも、今のままでは日本丸はますます沈んで行く。

さあ、私たちはどうする?




2002/2/12/TUE
[義理チョコ反対]
OLをしていると憂鬱になる季節バレンタイン。
本当に好きな人にだけに渡すことに意味があるのだろうけど、
チョコレート業界の陰謀か、義理チョコなるものが世間を横行する。

女性社員一同より。と書かれた義理チョコへのメッセージには、ずらり連名。
男の人たちはホワイトデーにその人数分のお返しを用意するハメに陥るのだから気の毒だ。
最近は義理チョコも「男性社員一同より」というのがあるそうだが、正解だと思う。

それより今年の義理チョコは廃止して、義理チョコに払う
お金を「アフガニスタンの子供達」へ送るってアイデアはどうだろう。
全社員に通達。
「今年我が社は義理チョコ、義理お返しはやめて、
それぞれ500円づつ寄付してください。
集ったお金は赤十字を通してアフガニスタンの子供達へ寄付します」

ちなみに私は、長いこと正真正銘の義理チョコを渡したことがない。
ほんとうにお世話になった人、好きな人にしか渡さない。
所属部署の全女性従業員が部長に共同義理チョコを渡しても私は参加しなかった。
イヤなやつと思われても私は構わない。
チョコでなく、仕事でがんばりますから、って私は思う。

お世話になった人に渡す時は、お返しはいりません、と必ずつけたす。
「これは○○の時にお世話になったお礼です。
感謝の気持ちを表わす機会がなかったので、バレンタインにのっかってみました。
だから、ホワイトデイのお返しは考えないでください。
再び私がお世話になることが絶対にあるので」という感じで。
大抵、相手も大人の割切りで納得してくれる。

チョコレート業界はこの時期で、一年のほとんどの利益をあげるそうだ。
それを聞くと、踊らされている自分達がなんだかばかみたいに感じてしまう。
私がへそ曲りなのかもしれないけど。




2002/1/28/MON
[大人って]
子供のころ、ルール違反をすると叱られた。
嘘をつくと「閻魔様に舌を抜かれる」と言って怒られた。
他人をいじめてはいけない。
ズルをしてはいけない。
人に迷惑をかけてはいけない。
-----私たちは子供の頃色々なことで叱られ、諭された。

雪印の事件、国会議員の秘書が犯した事件、地方自治体職員が犯した事件、
テレクラで知り合った中学生に「わいせつな行為」をした会社員、
女子大生をストーキングした末に殺害した男、子供に食事を与えずに餓死させた夫婦、
老人介護という名前の元で金もうけしか考えていない人々、脱税する人、
家のゴミを駅のゴミ箱に捨てる人、道ばたにタバコの吸い殻を投げ捨てる人、
空き缶やペットボトルを置き去りにする人..........

子供の頃、私たちは「ちゃんとした人」になるように諭された。
欲望のままに生きることは、間違っていると。
法に触れるような行為をすることは、絶対にしてはいけないと。

子供達には偉そうに語るくせに、現実の大人たちは毎日罪を、不正を犯している。
正しく生きるということが、大人はなぜできないのだろう。
なぜ、他人が自分をどう見ているのか、どう感じているのかを考えることができないのだろう。

それとも、大人になると「どうしようが勝手」なのだろうか。
大人であることはなんて楽なんだろう。私はある時、思った。
誰にも規制されず、自分の気分や都合で日々を過ごすことができる。
子供はそうはいかない。(学校をサボるのだって一大事だ)
「楽」であるということは、とても大変なことなのだと大人はちゃんと考えるべきだ。
注意してくれたり、諭してくれたりする人がいなくなることは、自分を客観視し続けなければなら
ないということ。
「誰かが見ている」
それは、自分が自分を見ているという意味。
もうひとりの自分が「それは、やっていいことなのか」と常に問いかけ、
「私は、ちゃんとしている」と答えられることが大事ではないだろうか。

かたい話で恐縮してます。
でも、最近のニュースを見ていて「大人」でいることがいやになってきたので書かせて頂きました。
大人ってなんだろう?




2002/1/15/TUE
[お願い事のレベル]
年始に「伊勢神宮」に行きました。
生まれて始めての「お伊勢参り」です。
ものすごい渋滞にはまって、たどり着けないのではないかと思うほどでした。

ご存知でしたか?
願い事は人に願ってもらったほうが叶うそうです。
自分が「出世しますように」と願うより、友人に「●●さんが出世するようにお導き
ください」と願うほうがいいそうです。
そういう訳で、昨年、私はJ子の願いを神様にお願いし、J子は私の願いをお願いし
てきました。
結果、彼女の願いは叶ったけれど、私の願いは叶いませんでした。
ちょっと、不公平じゃない?神様。
今年もしつこく昨年と同様に、同行したJ子に私の願いを神様にお願いするよう頼み
ました。叶わなかったら来年は自分でお願いします、はい。

ところで、お願い事のレベルっていうのはどれくらいまでなんでしょう?
例えば子供たちの願い事「野球が上手くなりますように」とか「数学の成績がアップ
しますように」といった超現実的なものは、「ま、ありだな」って感じがしませんか。
でも「嵐の××くんと恋人同士になれますように」とかいうお願いは、「オイオイ、
知り合えないじゃないか」という神様の突込みが入るような気がするのです。
お願いは具体的なほど良いと言うけど、上の「嵐」だって相当具体的だけど、叶
いそうにない。

逆に、よくある「今年1年が幸せな年になりますように」はちっとも具体的ではない
けど、どんな1年であってもある程叶ったような気がするマルチな願い事のように思
えます。
安易に願いがちな「お金持ちになりますように」は、「で、どんなビジョンがあるん
だ?」と神様は銀行の融資係のようなことを聞いてきそうです。
「宝くじが当りますように」「今年こそ結婚できますように」といった漠然とした神
だのみは、神だのみならではのお願い事として「あり」なのでしょうか??

うーん、お願い事のレベルって良く分らないです。
こんな事考えるのって私だけ?
ちなみに私のお願い事は「●●とよりが戻りますように」です。
●●は日本にはいません。ここ半年以上会っていません。

そう、私がこんなことを考えるのは、このお願い事が「キンキ」願いに近いのではな
いかと思うからです。
絶対に叶わないお願い事を2年連続してお願いしているのなら、それこそお賽銭のム
ダってやつですよね。
(バチあたり???)

PS お願いは宣言方式が正しいという人もいます。「今年は○○しますので、よろし
くお願いします」という方法。




2001/12/10/MON
[脱・パラサイトシングル宣言!]
パラサイトシングルのことを初めて耳にした時「これって私の事?」と妙にへこんだ。
はっきり言って私は甘えに甘えた人生を今まで送ってきた。
生活費のほとんどを自分の欲望のままに使い、貯金も限り無くゼロに近く、かと言っ
てこれといったキャリアもなければ人生のビジョンもない。
親さえ元気ならとりあえず私もオッケー!というムカツクほどお気楽な人生を送って
きた。それなのに「結婚したくない。私はひとりで生きていく」などと生意気なセリ
フを豪語するお荷物娘(娘というには申し訳ない年齢だが)。
しかし、最近しみじみ自分の人生を考え、人間腹をくくってみるのも大事だと思った。
そして、生きてきて初めて「よし、家を出よう」と思った。

遅すぎる。
あまりにも遅すぎる。
そう思う人は多いはず。

親が海外赴任で家をあけ、自分の家で一人暮らしの真似事はしたことがあった。でも
家賃がかかるわけでもなく、光熱費等は親が支払っていたのだから、経済的に自立し
ていたわけではない。
「自分の住処」を探すことだって初めて。不動産屋なんてドアをあけたこともない。
そんな私の「住処探し」には、ベテランの友人が付き添ってくれた。

諸事情を伝えて紹介してもらった鉄筋コンクリートマンション(アパート??)は、
それなりに気に入った。
部屋を探して、ここと決めたら支払うお金って....えー、そんなに払うのぉ!!知ら
なかったよぉ。
それに、冷蔵庫とか電話回線とか、あーテレビもだ.....カーテンも..そーだ、洗濯
機!あ、アイロンもいるねぇ。
初期費用ってこんなにかかるのね......考えれば当然なんだけど、知らなかった。世
の中の一人暮らししている方々はすごい。立派。感動。
「あんたって箱入りどころか、金庫入り娘なのよ、結局」
友人の冷たい一言に、豆粒より小さくなる私。

家に帰って電器屋のチラシを切り抜く。
電卓を叩いてため息。
それでも、自分の力で自分の生活全てを賄うという魅力には叶わない。
貯金通帳とにらめっこして、取りあえず最低限必要なものをそろえよう。
そんな決意をしているところに、ひょっこり父親が顔を出した。
「ねぇ、独立祝いに冷蔵庫とテレビと炊飯器、買ってくれるぅぅぅ?」
------私のパラサイト人生、いつになったら終わるのやら。




2001/12/3/MON
[はじめまして]
今回から参加させて頂きますdonzyと申します。
このサイトのライター決定の通知を頂いてから、もう1週間以上経ってしまいました。
ごめんなさい。
検定試験があったり、仕事が忙しかったり....言い訳満載です。

さて、雅子様にお子さまが産まれて、日本中がお祝ムードに彩られていますが、
やはり出ました「天皇は男でないとだめなのか?」発言。
自民党の内部でも皇室典範改正に前向き発言が飛び出し、
このままいけば21世紀の中ごろには女性の天皇が誕生しているかも。
そもそも男性が天皇になるというのは、明治以降に決まったそうです。
男が権力握りたくて仕方なかったんでしょうかねぇ。
外国と戦争をするには男の天皇のほうが都合がよかったのかもしれません。

雅子様は結婚前に「男の子が産まれるかしら」と口になさったそうです。
私は常々思うのですが、子供を産むという人間の自然の営みが「義務」になり、
片方の性のみを奨励するような差別的な思想はなくなって欲しい。

日本の至る所に今だに「男の子を産め」という風習があるが、
それはタリバンが女性に教育を受けさせなかったという差別に近いものを感じます。
「男の子を産め」と言う人たちは自分達が「差別」をしていることに気づきもしない。
強いられる「男性優位」
産まれてからもその差別は続く。男兄弟のほうが大事にされてるんじゃない?
なんてことを感じたことのある方、結構いるんじゃないでしょうか。

これって女性の生きる力を萎えさせる一因だと思う。
男が跡取りの発想は普通のごく一般的な考え方に思われがちだけど、実はその普通が
女性の社会進出をもはばんでいることに、我々は気付き、改めるべきだと思う。