2000/9/19/TUE
■ガッチャマン
いよいよオリンピックが始まりました。 ここ最近は、電車に乗っていても、職場でのちょっとした空き時間でも、はたまた道を歩いているだけでも、どこからかオリンピックの話が耳に入ってきます。
これだけ多くの人達を熱中させられることができるなんて、オリンピックって奴は大したもんです。
そして、それとは別に、最近よく目にするものがあります。 「ガッチャマン」です。
それは某電話会社の広告看板なのですが、ぼっーとしながら駅のホームで電車を待っている時など、ハッと気がつけばそこには「ガッチャマン」です。ぼっーとしながらテレビを視ていると、ハッと気がつけばそこには「ガッチャマン」です。
(おかけで未だにそのCMを最初から力いれて視たことがありません。)
むちゃくちゃ格好いいです。マジで。
もともとタツノコプロ系のアニメに関しては、かなり格好いい路線をいっているのではないかと思っていたのですが、それを実写版(?)で再現してしまい、更にそれをかっこよく仕上げてしまうとは、うれしいこと至極このうえない喜びです。
おそらく、当分の間はこれをシリーズ化して続けていくのではないかと思うのですが、最初の期待通り、最後までかっこよく決めてもらいたいっす、と思う今日この頃です。
まあ、本当のところ正直に言えば、某アメリカン・コミック、もっと正直に言うと、某BxxxxNに似ているかもとは思はないこともないです。っつーか、ぱくり(?)かとも一瞬思ってしまわないこともないです。
でもね、...。
しょうがないです。
格好良いことは事実なのだから。
そして、もしその「ガッチャマン」をWebでも見てみたいと思った人がいらしたら、次のアドレスに飛んでいってみて下さい。
そしてそして、もし「むちゃくゃ格好いい」と思ったのなら、ぜひ!!!’NEWS COMICS’をクリックしてみて下さい。
かな〜り、イケてます。
更に倍です。
ということで、アドレスはこちら。
http://www.ntt-east.co.jp/

2000/9/5/TUE
■ケータイメール
最近、駅のホームや電車のなかでよく目にするのが、一生懸命ケータイに文字を打ち込んでいる若者の姿。
なにをそんなに始終伝えることがあるのだろうと、半分冷めた目で見ていた私なのですが、それが一度ためしに利用してみると、結構使えるじゃありませんか。これが。
わさわざそんな小さいテンキーで文字をタイプすることなんてせずに、安いパソコンでも買って、ちゃんとキーボードでメールを打ったらいいじゃないの、なんてことを最初はよく言っていたものなのに、それが今では私自身がしこしことテンキーを打つことに。
おかげでタイプも早くなりました。
だいたい、私が良いなと思うところは、ケータイで送るメール自体がショートメール中心になる為に、受け取る方としても用件がすぐにわかって便利だし(シンプル イズ ザ ベスト)、しかもそのままメモ代わりにも使えて更にお得ということ。
他にも相手の状況などあまり気にせずに送ることができるし、受け取る方にしてもある程度の時間の余裕をもって、対応することができますし。
まあ、これはメール一般に言えることなのですが。
でも、メールだと人によってはタイムラグに大きなずれがあったりしますからね。
さらに私の理想を言えば、ケータイと私の脳みそとを線で結んで、思ったことをそのまま気軽にメールすることができれば、それが一番ベストなんですけど。もちろん、受信する側でもいったんケータイで受けたものを、時間の空いた時に脳みそにロードするようにして。(ここがみそですよ。直接脳みそで受信しちゃったら、パニックになるおそれがありますからね。そこがテレパシーと違うところ)
そうすると、文字とかも必要なくなるかもしれないし、下手すると言語の垣根自体なくなっちゃうかも。
(まあ、この問題は、人間は実際のところ、物事を言葉で考えているのかどうか、という問題にもつながるので、あまり突っ込んだことは言えませんが)
ということで、そんなこんなでこのコラム自体もケータイメールで作りました。嘘です。

2000/8/29/TUE
■蝉
もうすぐ8月も終わりになります。
気持ち的には8月の終わりは夏休みの終わり、そして夏の終わりです。(とは言いつつもまだまだ暑い日々が続いておりますが)
小学生の頃、夏休みの最後の一週間というのは、とても悲しい気持ちになったものでした。
でも、なぜか社会人になると、夏休み明けの前日というのは、あの頃のような気持ちになる変わりに、とてもとても憂鬱な気持ちになります(仕事いきたくねぇ〜)。いずれにしても、他の長期休暇(正月休みなど)の時は特にそうでもないのに、夏休みの時だけそのような気持ちになるというのは、ちょっと不思議なものです。夏休みというのは、ある種特別な意味があるのかもしれませんね。
私の子供の頃の夏休みと言えば、毎日といっていいほど昆虫採集に走り回っていたものでした。
そのなかでも特に、蝉取りにかけては必須項目のひとつとして、夏休みの間に幾度となく虫かごのなかを蝉だらけにしたものです。(豊見城城址公園にはお世話になったなあ)
蝉にはご承知のようにいくつかの種類があるのですが、沖縄で蝉といえば「クマゼミ」でした。でも図鑑や雑誌などでみかけるメジャーな(?)蝉は、なんといっても「アブラゼミ」です。私は一時期、その「アブラゼミ」が欲しくて欲しくて、血眼になって探しまわったものでしたが、結局見つかるのは全部、羽が透明な「クマゼミ」で、とても悔しい思いをした覚えがあります。
あの頃は本当に、羽に色(模様)のついた蝉が欲しかったものでした。
でも!、こちらではあの幻の「アブラゼミ」が普通にいるのです。
しかも「アブラゼミ」だけではなく「ツクツクホウシ」や「ヒグラシ」(「つれづれなるままにひぐらし」の「ひぐらし」は、蝉の「ヒグラシ」だと思っていました。余談)だって鳴いているではありませんか。
もう本当に、チョーカンドーって感じ〜?
私自身、今はもう立派な(?)大人になっていますので、あの頃のように蝉を乱獲するようなことはしませんが、でもたまに木にとまっている蝉(アブラゼミ)を見つけては、少しだけ幸せ気分に浸っています。
しかし、その蝉の季節ももうすぐ終わります。しみじみ。
(でも秋もいいよね)

2000/8/25/FRI
■不吉な数字
今はそうでもないんですが、ここ2〜3年ほど私にとって’13’という数字は、とても嫌な数字となっていました。
とりたてて’13’だからといって、特別に嫌な目にあったわけでもなく、宗教上の理由とかもない私が、なぜに’13’かというのは、非常に不思議だったのですが(今となっては最初の発端さえ思い出せない)、とにかく’13’という数字に遭遇すると急にブルーになってしまいました。
それでこういう時って、得てして’13’にやたらと出会ったりするもので、例えば時計を見ると13分だったり(ひどい時は13時13分)、階段が13段だったり、何かの順番が13番目だったりと、「なぜ?」というぐらいに’13’づいている日々がありました。
だから、「これは決めるぜ!」と思ったときには、特に意識して’13’という数字を外していました。
でも、一個でも’13’が拘わってしまうと、途端にやる気が失せてしまい、それに関連していたものはだいたい中途半端な結果となりました。
別にそれまでは特に数字にこだわるという性格ではなかったのに、なぜか急に数字にこだわるようになってしまい、そのせいで窮屈な生き方を強いられるようになってしまったのです。
いったんそうなってしまうと、意識的に’13’という数字を特別視することは辞めようと思い何かと屁理屈をこねては’13’の悪夢から目覚めようと試みたのですが、そうすればする程、よけいに’13’を意識してしまうという、まさに蟻地獄のような状態に陥ってしまいました。
そんな私も、いつのまにやら’13’の地獄から抜け出すことができて、今はほっと一息ついているところです。
(話が急展開してすいません)
もし、この地獄がまだ続いていたのなら、この文章を書くことは絶対にできなかったでしょう。
今日の教訓:
好きなものは作っても、嫌いなものは作らない。
(できるかなぁ〜...。無理だろうなぁ〜...。)

2000/8/15/TUE
■光化学スモッグ
一週間ほど前、日中職場で仕事をしていると、突然、区のアナウンスが流れ出しました。
一瞬、「もう5時?」と思ったのですが(毎日5時になると区のアナウンスが流れます)、時間を確認するとまだ5時には1〜2時間ほど早い時間です。
そこであらためてアナウンスに耳をすませてみると、なにやら「光化学スモッグ注意報(あるいは警報?)」が発令された模様で、そのことに関する内容でした。
要するに「光化学スモッグ」が発生したので、なるべく外には出ないようにということなのですが、だいたい毎年この時期になると発令されるようです。
最初、私がこちらに住むようになってこの話をきいた時は、とてもびっくりしてしまったのですが、今回そのことをまたあらためて思い出してしまいました。
私のなかでは「光化学スモッグ」という言葉自体「高度経済成長」と同じ次元(時代)で存在していたのに、それがいまだに現役であり続けているなんて、まさに「えっ〜!」て感じでした。
(ついでに言うならば、私のなかでは「光化学スモッグ」→「高度経済成長」→「ウルトラマン」→「悲しい(寂しい)」という連想になります。蛇足ですが)
昔はかなり頻繁に「光化学スモッグ」という言葉がメディアに登場していたのに、最近ではほとんど気にもかけなくなってしまい、もうそんな事はとっくに解決したものとばかり思っていたら、それは大きな誤解で(誤解ではすまされない..)まだまだ治っていなかったわけなのです。
最近は「光化学スモッグ」と同様に「公害」という言葉自身が何やら陳腐化してしまったような気がしますが、その言葉が指し示しているもの自体は以前と変わらず、いやそれ以上に以前にも増して強力になってきているのではないか、そんなことを考えさせられた一日でした。

2000/8/8TUE
■備えあれば・・・
この前、知り合いから電話がありました。
普段から滅多なことでは連絡をしてこない人なので、何事が起こったのかと思い一瞬緊張したのですが、とりあえず話を聞いてみるとパソコンのハード・ディスクがクラッシュしてしまったとの事で、電話はそのことについての相談でした。
その人が言うには、普段と同じように印刷を行っていたら、突然パソコンがフリーズしてしまい、その後いったん電源を切ったが最後、それ以来二度と立ち上がらなくなってしまったそうです。
いろいろとユーティリティを試してみても全くダメで、ショップの人に電話をしてみたところ、ハード・ディスクを交換するしか方法がないと言われ、ショックのあまり私に電話をしてきたというわけだったのです。
私としては、とりあえず「なぁ〜んだ。そんなことか」ということで、ホッと胸をなで下ろした(?)のですが、当人にとってはかなりの重大事だったらしく(普通はそうかもしれない)、なんとか今あるデータをとりだすことはできないものかと、必死になって聞いてきました。
しか〜し、その人の場合は残念なことに、ハード・ディスク自体が完全に認識されなくなっていた為(しかも、パソコンからは異音がするようになっていた)、データの回復は望めそうにもありませんでした。
そのことを相手に伝えるのは、少し可哀想な気もしたのですが、一応、助かる可能性はほとんどないということを話した上で、最後の手段としてメーカーに直接問い合わせてみることを提案しました(非常に望み薄ですが)。
もともと、その人は5年近くもパソコンを使っていて、このようなケースは初めてのことだったらしく、ショックはかなりのものだったのですが、最後はあきらめるしかないと思ってくれたようです。
このHPを訪ねてきて下さっている皆さんについても、これは他人事ではすまされないことだと思います。
ハード・ディスク・クラッシュはこの例でもわかるように、いつ何時起こるか予想がつきません。
それは突然やってきます。
と、こうやって書いている私自身についても、もしかしたら今急に壊れてしまう可能性だってあるのです(あくまでも可能性として)。
ちなみに私の職場では、個人所有のものについてそのような自体が発生した場合は、口では「大変だ」とか「可哀想」とかいいながらも、顔は笑っています(人の不幸はなんとやら)。
ただ、本当に重要なもの(開発したソフトやドキュメント等、いわゆるお金になるものが格納されているディスク)については、きっちりとしたバックアップ体制をとっています(非常に当たり前のこととして)。
最近はハード・ディスクも大容量化してしまって、それらのバックアップをとるのも個人ユーザーにとっては大変なことですし、また、あまり現実的とも思えませんが、しかし、少なくとも本当に大切な物(いわゆる書類関係)については、最低限、別媒体にコピーをとっておいた方が良いと思います(後で泣かないために)。
ソフトウェア自体は、何度でもインストールすればいいのですから。
とかなんとか言いながらも、私に関して言えば、全くバックアップはとっていなかったりするのですが。
その時はその時です。
覚悟はできてます。

2000/8/2/WED
■アメリカン・ビューティー
遅ればせながら、映画「アメリカン・ビューティー」を観てきました。最初は全く期待せずに、単なる時間潰しのつもりだったのが、これが以外や以外、見終わった後しばらくの間は私の時間を占領されてしまいました。
流石アカデミー。
恐らく、何も期待していなかったことと、逆に「(どうせ)ハリウッドでしょ」といったかなり偏った偏見が逆に反動となって、このような結果をもたらしたとは思うのですが、それにしても、その日は一日中得した気分に浸っていました。
まだ観ていない方に対して特に「お薦め」するというつもりはありませんが、まあ、機会があったら一度観てみるのも悪くはないかもしれませんね。
ちなみに今回の私のお気に入りは、(アネット・ベニングは言わずもがなですが、それとは別に)娘のボーイフレンド役の人が(映画上の役柄も含めて)なかなか良かったです。

2000/7/26/WED
■暑っ
いまさら、改めて言うのも何ですが「暑い」です。
マジで。
今年は夏に対する心の準備を整える間もなく、いきなり暑いです。
こちらの「暑さ」と沖縄の「暑さ」とを私なりに簡単に比較してみると、おそらく「暑さ」をより感じるのはこちらの方です。
もちろん沖縄にしてもマジで暑いことには変わりないのですが、それよりも沖縄は「暑い」ではなくて(太陽光線が)「痛い」という感じです。
それはやはり、こちらよりも沖縄の方が幾分か太陽に近いという距離の問題なのかもしれませんし、あるいは太陽との間に遮る物があまりないということが関係してるのかもしれませんが、沖縄で感じる日差しというのは、身体に突き刺さるような気がします。
それに比べてこちらの方は空気もドヨォ〜ンとしていて、「あ・つ・い」って感じです。
それに、沖縄の日陰とこちらの日陰とは、あきらかにこちらの日陰の方が「暑い」です。
沖縄だとどんなに暑くても日陰に入ると幾分か涼しく感じたりするのですが(本当に?)、こちらでは日向と日陰の温度差があまりないような気がします。
それは、沖縄は東と西の海が近い上に、その間にあまり風を遮るような山々や高い建物などが存在しない為、風通しが良いのが要因なのではないかと思うのですが、それに比べてこちらの方は、まず風がない上に例え吹いたとしても暑い空気を循環させているだけ(かき混ぜているだけ)で、どこからも入ってこないし出ていかない。
だから、暑い空気がそのまま残ってしまって、なかなか涼しくならない、といったようなことが言えるのではないでしょうか。
でもこちらはまだいい方で、盆地などは更に暑いと伝え聞きます。
(最高温度も高いですしね)
あと、もう少し付け加えるならば、車の排気ガスやクーラーの屋外機なども「暑さ」を増長させている原因だという話もたまに聞いたりします。
これも真偽の程はわかりませんが、なんとなく納得してしまいそうな話ではあります。
でも、そんなことより何より決定的に違うのは、本人の覚悟ではないでしょうか。
もともと、沖縄は「暑いところ」という意識がありますから、「暑く」て当たり前なわけです(ちょっと強引)。
しかし、こちらは冬になると氷点下近い上に、夏は30度以上というのは、ちょっと欲張りすぎではないでしょうか。
だって、沖縄だと年間の高低差なんてたかだか20度ぐらいでしょ(10度〜30度)。
それに比べてこちらは0度〜30度ぐらいあるんだから、そりゃ「暑さ」も身に染みるってぇもんですぜぇ。旦那ぁ。
更に、先ほども言ったような盆地などはそれ以上の温度差なのではないでしょうか。
と、ここまで書いてきたところで自分自身何が言いたかったのかわからなくなってしまいました。
余計に「暑さ」が増してきた気がします。

2000/7/19/WED
■踏切
沖縄にはなくてこちらにあるものの1つに「踏切」というものがあります。
(厳密には沖縄にもあることはあるのですが。自動車教習所のなかにね)
それは、別に特殊な能力とか資格とかがなくても、誰にでも体験できるものです。
私も数え切れないぐらいの「踏切」を体験しました。
でも、未だに慣れることができないのです。
「踏切」というものに。
警報機が鳴って、遮断機が下りてきます。
その後、電車が通過して遮断機が上がるまでの間は、前に進むことができません。
でも、それが済んでしまえば何事もなく線路を横断することができます。
そんなたわいもないことが、私にはなぜか今一つピンとこないのです。
何度か自問してはみるものの、今一つ正解を得ることができないまま、今日まできてしまいました。
「踏切」は、その待ち時間が長いということがあります。
そして絶対的な強制力があるというのもあります。
でも、その割には作りが結構やわだったりして、肩すかしをくらってしまうというのもあります。
あと、自分なりに「ここまでなら大丈夫」というリミットが作れないということもあると思います。
などなどいろいろと思い浮かべてはみるのですが、どれもこれもポンと膝を叩いて「なるほど」と思えるような理由にはならないのです。
ただ1つ、言えることがあるとすれば、それは「信号機」と「踏切」は別物だということなのではないでしょうか。
(何を分かりきったことをなどとお思いかもしれませんが)
それはどちらも交通を整理するものとして、そして通行を止めるものとして存在しています。
そして私にとって「踏切」というものは「信号機」の延長線上にあるものでした。
でも、きっとその2つは似て非なる物ではないのかと、最近思うようになってきたのです。
これもどこがどういうふうに違うんだと問われれば、きちんと説明することができないのがつらいところなのですが、それでも、この答えをいつか導き出すことができれば、私の「踏切」に対する気持ちもきっと変わってくるのではないでしょうか。
そして、いつの日か「踏切」を単なる「踏切」として、自分なりに消化できる日が訪れることと思います。
その日が来るまで、私と「踏切」との戦いは続きます。

2000/7/12/WED
■<罰ゲーム
このあいだ、渋谷駅に向けて宮益坂を下っていた時のこと。前方から妙な人達が歩いてくるのを発見。
見かけは女子高生の制服を着ているのだけど、見るからになんだかおかしい。
要するに、制服が地に着いてない。
あと、なんとなく雰囲気が暗いというか、地味というか。
なるべく目立たないようにして歩いている感じ。
それとなく見続けて、近くになってやっとその原因が判明。
「げっ、オトコじゃん」
まず髪の毛があきらかにカツラ。
あと、体つきが筋っぽい(骨っぽい)。
それと、眼鏡が銀縁。
どう考えてもおしゃれをしているとは思えない服装。
その人達は全部で3人いて、すれちがいざま、私となんとなく目が合うと、ばつの悪そうな苦笑っぽい変な笑顔に。
ちなみに一番後ろの人はずっと下をうつむきっぱなしでした。
そしてその人達をやり過ごした後、私の頭のなかは?マークでいっぱい。
「いったいなんなの?あれは」
「女装趣味の一団?」
「でも、それにしては、全然決まっていなかった」
「普通なら(?)、もうちょっとおしゃれ(?)というか、それなりに力が入ってるんじゃない?」
「それにもうちょっと堂々として(?)歩くでしょ」
「う〜ん、ということは、あれは何かの罰ゲーム?」
「もしかしたら、TV番組?」
(まあ、これは考え過ぎ)
ということで、彼女(?)達は「罰ゲーム」だったことにして一件落着。
あと、よく考えてみると以前にも似たようなことが。
場所は秋葉原近辺。
天気は朝からあいかわらずの雨模様。
でも、そんな天気にも拘わらず、傘もささずに上半身裸(!)になって、時折なにやら叫んでいるおじさんに遭遇。
(イメージとしては、吉本のパチパチパンチ(?))
でも、道行く人はみんな冷静(?)でした。
何事もなかったかのようにその側を素通りしていきます。
私は、あいにくとちょうど道路の反対側だったせいで、その人の詳細な特徴は観察できず。
そしてその時の結論もやはり「あれは、何かの罰ゲームでしょ」ということに落ち着きました。
最近は、いろんなところで罰ゲーム流行です。
ところで、いったい何の罰ゲーム?

2000/7/4/TUE
■愛する人がそう望むのなら...
今回は、ちょっと下世話な話から。
先週、某歌舞伎役者と元女子アナとの離婚が話題となりました。
それ自体は、私にとってはどうでもいいことで、別に何の興味もありませんし、離婚の原因が、古いしきたりにあろうが、子作りを阻まれたことにあろうが、愛人問題にあろうが、それは私にとってはどうでもいいことです。
ただ、その時の会見で某歌舞伎役者の方が話されたセリフについて、ちょっと興味を惹かれましたので、そのことについて一言。
それは「私の愛する人がそれ(離婚)を望むのなら、それも致し方ない」といったセリフについてです(もし聞き間違っていたらご免なさい。多分そんなニュアンスのことを言われていたような気が)。
恐らく、好きな人が望むことと自分が望むこととの間に大きな方向性の違いが発生した場合、大別して採る道は2つでしょう。
1つは、強引に自分に合わせるようにする(相手を力ずくで納得させる)ことで、もうひとつは、先ほどのセリフのように相手の望むこと(好きなこと)を素直にやらせてあげる(相手に合わせる)ことだと思います。
まあ、問題の程度にもよるとは思うのですが、だいたい好き者同士が別れるかどうかの瀬戸際になればなるほど、前者のほうが、よりポジティブに見えて、本音トークとして受け入れられやすいのではないでしょうか。
それに比べて、後者の方はどちらかというと(他人に対して)ネガティブで、自分一人のなかで問題解決をしてしまう、あまり第三者から見て素直に同意を得ることができない方法だと思います。
それは、まあ、当たり前と言えば当たり前の話で、どう考えても前者の方がストレートで分かり易く、それに対して後者の方はなんだか釈然としない思いが残ります(あくまでも第三者としてね)。
そして、もし仮に自分のまわりでそのようなことに悩んでいる人がいたら、きっと恐らくみんなはその人に対して「本音はどうなんだよ。本音は」とかなんとか言って当人を責め立てておいて、最終的には当人の口から「本当はずっと一緒にいたいんだ」みたいなことを言わせてしまうことになるのではないでしょうか。
さらにもっと分かり易く言うならば、「本当は好きなんだけど、でも、...」の人が、最終的には「ずっと僕と一緒にいてくれ」というオチになる(最初ネガティブ、最後はストレートにポジティブ)のが、いわゆるTVドラマによくみられるパターン。
それと対照的なのが、「本当は好きなんだけど、でも、...」→「やっばり一緒にいたい」→「でも、結局二人は別れなきゃいけないんだ」→「人生ってつらいよね」→(哀愁)といった話の流れになるのが、いわゆる映画に見られるパターンではないでしょうか(かなり強引な括りではありますが)。
(ここで1つ補足しておきますが、前述の映画パターンは、決して告白する勇気がないから、その気持ちをごまかす為に、結果としてそういう態度をとってしまう、ということではありませんので。お間違えのないよう。そういったことは、それ以前の問題です)
そのようなことから考えると、例の某歌舞伎役者の方は、さすが役者だけあって映画を実生活にまで持ち込んだ(?)ともいえると思います(別に茶化しているわけではないですよ)。それともそこまで計算尽くなのでしょうか。
どちらにしても、そんな人生を歩んでいる人ってかなりカッコイイと思います。
すごく憧れるんですけど、私にはまだまだ修行がたりません(別に修行しているつもりもないんですけど)。
ちなみに私に関して言えば、最初は後者のパターンを実践しようとするんだけど、やっぱり我慢できなくてついストレート勝負にいってしまい、それがまた中途半端になってしまって、結局自爆してしまう、というどうしようもないオチになってしまうのが、今までの私のパターンです。...。
でもねぇ、やっぱり後者の映画パターンを本当に実践しようとすると、滅茶苦茶つらいと思うんですよ。いや、マジで。ほんとに。
もしかしたら、私にとっては一生憧れのままで終わってしまうのかもしれませんね。
でも、本音を言えば、人生に対してそれぐらいのゆとり(?)を持って望みたいものです。
ナンチャッテ。

2000/6/28/WED
■公園
先日「公園」へ行って来ました。
「公園」といっても、こちらの「公園」は、沖縄のそれとは違っていて、木々が生い茂り、ボート遊びができる池があって、といったいわゆる「公園」です。
そこでは、カップルや友達同士、親子連れ、あるいはたまに1人散歩(?)をしている人などがいて、みんなそれぞれに公園を利用しています。
なかには、歌を歌っている人(々)もいたりします。
(この前は、ギター持参の人もいました)
沖縄では、そもそもそのような「公園」がなかった(少なくとも私が住んでいた頃は。強いて言うならば、ちょっとだけ「グランド・パーク」(!!!なつかしい)に似ている部分があるかも)ので、最初の頃はとっても新鮮でした。
このような「公園」を利用できることは、こちらに住んで良かったことの1つとしてあげられます。
「公園」のなかを、あまり目的もなく散歩するも良し、歩き疲れたらベンチに座って一休みするのも良しで、結構落ち着いた時間を過ごすことができます。
先日はちょうど、少し雨が降っていたせいでしっとりとしていて、これがまた良い感じでした。
もし、私がもう少し若者であったならば、また違った楽しみ方もできたかもしれないと、ちょっとだけ悔しい思いもしています。
恐らく、思い切り勘違いをして、映画やドラマの1シーンを再現しようと、やっきになっていたことでしょう。
(もしかしたら、場合によっては...)
沖縄に住んでいる人でまだそのような「公園」を体験したことがない人は、今後こちらに来られるような機会があれば、一度こちらの「公園」を覗いてみるのもいいかもしれませんね。
(まあ、そうはいってもね...)

2000/6/20/TUE
■お弁当やさん
日頃、昼食は、近くのお弁当やさんで、弁当を買っています。
そのお弁当やさんは、特にとりたてて「超」おいしいというわけでもないのですが、まわりに比べるとそこが一番、値段&量&種類のバランスでベストというかんじなので、だいたい毎日、そのお弁当やさんに通っているというわけです。
でも、そのお弁当やさんは、とても狭いのです。
そして、割と近くのOLさんとかにも人気があります。
だから、お昼のピーク時は、お店が人であふれかえってしまい、にっちもさっちもいかなくなってしまうこともしばしば。
まさに、足の踏み場もない程の戦争状態です。
でも、そんな時でも弁当がおかれているショウケースの前に陣取って、あれやこれやと迷っているオネーサン達。
もうちょっと早く決めてくれれば、お店のなかもこれ程までに混まなくても済むのに。
と思いながらも、私は後ろの方からすっと手を伸ばして、弁当をゲット。
その後、こちらはレジでお金の精算を済まして、外に出ようとしているのに、そんな中、お店のなかに強引に入ってくるオネーサン達。
「出られへんやんか」と思いながらも、ここはじっと我慢、我慢。
ようやく、お店の外にでることが出来て、職場へ帰る道すがら、一緒にいった同僚達といつも話すのはオネーサン達のすごさ(含む不平/不満)について。
(恐らくオネーサン達はオネーサン達で、似たような事を言っているとは思いますが。どっちも、どっち)
でも。
そんなオネーサン達でも、ところかわれば、こちらから進んでチヤホヤしちゃうんですよね。
一同タメ息。
何かが間違ってる。

2000/6/13/tue
■鼻毛
ある日の喫煙室での会話。
職場の人「○○さん、今日、自分、鼻毛がでてるんっすよ」
私「えっ。...。別に気付かなかったけど」
職場の人「自分、たまにでてるんですよね」
私「あ〜、わかる、わかる。自分もよくでてるよ」
私「なんかねぇ〜、年をとる毎に、成長が早くなってるんだよねぇ」
職場の人「自分もそぉっすよ。やっぱり、自分達、煙草をすってるからですかね」
私「う〜ん。そうかもしれないね」
私「でも、自分はもともと毛が濃いからねぇ」
職場の人「みんな、鼻毛の処理とかどうしてるんすかね。特に、女の人とか」
職場の人「やっぱり、女の人にも鼻毛とか生えてるんですかね」
私「そういえば、女の人の鼻毛ってみたことないね」
職場の人「でも、全く生えてないってことはないですよね」
職場の人「みんな、うまく処理してるんだろうなぁ」
私「鼻毛ってさぁ、一度手で引っ張って抜いちゃうと、結構、癖になっちゃうよね」
私「めちゃくちゃ痛いんだけど、それが抜けた時の快感ってあるよね」
私「そんなことない?」
職場の人「そぉっすねぇ〜。」
職場の人「...」
私「(あれっ?)」
私「そういえば、鼻毛って、出口付近に生えてる奴って、完全に色が抜けちゃってるよね」
私「黒じゃなくて、汚い金髪みたいな感じ」
職場の人「えっ?...」
私「(あれっ?)」
私「あ〜、自分、鼻炎だから。鼻をかみすぎて、色がぬけちゃうのかな?」
職場の人「...」
私「...」
職場の人「(仕事に)戻りましょうか」

2000/6/6/tue
■精一杯の微笑み/第3弾
年齢的には、20代後半から30歳ぐらいの1人の女性がいたとします。
彼女は、それほど目立った存在ではないのですが、それでもある程度仕事の要領もわかってきたこともあって、それなりに職場でも責任のあるポジションについています。
また、本人にとっても、自分の考えたことが直接仕事に反映されていくことに、その面白さを感じており、また、それと同時に責任のある立場にあるということもあって、人一倍責任感の強い彼女は、仕事の為に自分のプライベートな時間を犠牲にすることもしばしばです。
そんな日常のなかにあって、彼女はひさしぶりに仲の良い友人とつれだって、1週間ほどの小旅行を計画します。
それは、常日頃頭のなかを占領している仕事からほんの少しの間だけでも解放されて、心身ともにリフレッシュしたいという願望より生まれたものであり、だからこそ、その期間だけは非日常を演出するために、いつも会っているような人達(恋人)とはまったく違った、どちらかといえば最近お互いに忙しくてめっきり会う回数の減ってしまった昔からの親友を、旅行のパートナーとして選択することを思いつきます。
また、その誘われた友人にしても、若干事情は異なるにせよ、偶然にも彼女と同じような思いを抱いており、二つ返事で彼女の提案をうけいれることにします。
二人は、それぞれの多忙な時間をやりくりしつつ、お互いに都合のつきそうな日にちを割り出し、その日に向けての準備を着々と整えます。
それから、ついに待ちに待ったその日が訪れます。
友人とは直接空港で待ち合わせすることにして、彼女は空港に向かいます。
家をでる時に、ふと、いつも使っている携帯電話が目に入ります。
そんなものを持っていっても何の役にも立たないし、かえって持っているとやっかいなことになるかもしれないと思いながらも、もしかしたら友人からの緊急の電話があるかもしれないと自分に言い聞かせて、結局いつも通り彼女は携帯電話を鞄のなかにしまい込みます。
空港に着いた彼女は直ぐに友人と会うことができ、携帯電話の必要性が完全になくなった今、彼女はその電源を切ろうと、鞄から電話を取り出そうとします。
そして、まさにその時、彼女の携帯電話が鳴り始めます。
着メロとしてつい先日登録したばかりであるカーペンターズの「close to you」が流れるなか、彼女はしばらくの間この電話について思いを巡らせ、そばにいる友人に目を向けます。
その友人にしても、それがどういう状況であるかは容易に想像がつくため、何も言わずただ静かにうなづき返します。
ついに、彼女は意を決して、通話ボタンを押します。
その長い電話でのやりとりの間中、彼女の表情はみるみるうちに険しくなっていきます。
そして最後に、通話を終えて携帯電話を片手に持ちながら、彼女は半分泣き笑い状態で友人にこう言います。
「ごめんね」
その時友人は、静かに微笑んでいます。

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