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北海道在住のMIYAKOさん。 ライターをお願いしたところ、こころよく引き受けて頂きました。
個人サイトのカリスマ管理人ミヤコワールドへようこそ!
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PROFILE
NAME:MIYAKO : 村上ミヤコ
血液型:RH+ B
星座:うお座
出身地:北海道室蘭市
好きなもの:マイルドセブンライト、雑種猫、エビアン、椎名林檎、カマンベールチーズ、テレビブロス、村上龍、スティーブンキング、ジャン・レノ、プレステのゲーム
嫌いなもの:携帯電話、冷たい手、メンソールのタバコ、グリンピース、人を試す人、ワタシを騙したヒトタチ、ヒトを差別する思想
密かなライバル:母親(!?)
その他いくらでも・・・
感想、質問苦情等はメールにて。。
■ミヤコさんのサイトはこちら
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2002/9/14/SAT
今流行りのドラマの主人公になりたくて、殺伐としたグレーのビル街に憧れて、
嘘のような出会いを待ち焦がれていたことがある。
今思えばそれは「ショッパイ」思い出だけど、なぜか思い返すと笑顔がこぼれる。
そんな、お話。
[ショッパイ。VOL1]
よく「日本の企業は本当に制服が好きだ」と外国人から言われるほど、見渡せば色とりどりの制服を着たOLが闊歩している町で、私は初めて不倫をした。
憧れていた偶然の出会いもステキな口説き文句もない関係だったけれど、手をつないでホテル街を歩くときはドキドキした。
車の中でキスをしたり、こっそり社内で渡す安いプレゼントだけが私たちを繋いでいるように思えた。 さえない中間管理職の相手は、海外のキツイ香水をつけていて社内の同僚からは「臭い!」といわれていたし、「3本で1000円!」のバーゲン品だと思われるサエないネクタイをつけていて、どこから見てもドラマの主人公の恋人のようにかっこよくない。
それでも、夜の街頭に照らされた横顔はステキだった。
不倫の関係は、「夜」のイメージが付きまとう。
遠くまで車を飛ばして小さな喫茶店で一杯のココアを飲む。
高速道路沿いの安いホテルに泊まる。
クリスマス前の23日にプレゼントを渡す。
それが私たちの暗黙の了解。
1年続いた関係は、相手の奥さんが妊娠したときにあっけなく終わった。
「もう、家内とは何年もそういうことしてないよ」
が口癖だったのに、ちゃんとやることはやってるんだ。
と思った瞬間に、キツイ香水が鼻をついて安物のネクタイに嫌気が差した。
脂ぎった額に汗を流しながら言い訳をする声が、
遠くで唱えるお経のようにイミもなさないように聞こえる。
最後はバタバタしていて、ゆっくり話しをする時間ももらえなかったけれど、
携帯に入ったメールだけが今でも思い出せるほどにくっきりと記憶に焼きついている。
「申し訳なかった」
何に?
今までの関係に?
今自分がやっていることに?愛していたというのは嘘だということに?
そのメールを消してからも言葉の意味はわからず仕舞いだ。
哀しくはなかった。
ただ、あれから5年たった今でもあの人の携帯番号を暗記している自分が辛い。

2002/9/4/WED
[月曜日の、特別なワタシ]
深夜の通販番組を見て、夜明け前にやっと眠る。
頭の中で「明日のブランチは手作りのスコーンを焼こう」と思いながら眠る。
昼過ぎに眠い目をこすって、シャワーして。
冷たいピーチフィズを飲んでみる。
カンタンなレシピで作れる小さなスコーンを食べる。
愛車で昼過ぎの強い日差しの中ドライブをして、
休日明けの人気の少ないデパートを歩いてみる。
いつもは行きにくい、ちょっと高級なブランドショップもゆったりと見れたり。
輸入雑貨のお店で値引き交渉してみたり。
コンビニで安いワインを買ってみたり。
安いハンバーガーをパクついてみたり。
フレッシュジュースのお店で探していた本を読んでみたり。
ハッと気づけば、携帯の電源がオフになっている。
それでも気兼ねしない、平凡で静かな過ごし方。
最近の、ワタシ。

2002/8/6/TUE
[暑中見舞い申し上げます]
かき氷がおいしかったよ。
ワタシはいつも、レモンのシロップ。
縁日で買ったゴムのヨーヨーは、
もう小さくなってしまったよ。
煙草の銘柄を変えました。
少し、ダイエットしました。
小さなダイヤのネックレスを買いました。
あなたに会いに行きます。
雲を越えて、海を泳いで。息をきらせて、走って歩いて。
顔が見たいです。
手を繋ぎたいです。
髪の毛に触れたいです。
ずっと、ずっと、そう思っていました。
これからも、多分ずっと。

2002/5/27/MON
[手]
私は男の手が好きだ。
もっと詳しく言うならば、愛する男の手が好きだ。
パソコンばかりやってちょっと青白く、筋ばった手。
工場作業で鉄サビやオイルまみれの手。
本をめくるときの、ちょっと気取った手。
箸を持つ日本人特有の器用な動きを見せる手。
携帯電話をポケットから取り出して握る焦ったような手。
誰から教えてもらうことなく、
スマートに煙草を咥えてライターで火をつける一連の流れを舞うように踊る手。
渋滞でもイライラすることなく車のハンドルを握っている手。
大好きな女性に合図をする照れたような手。
悔しさのあまり硬く握り締められ涙を流さんばかりの手。
男の手は、感情をすべて表すのではないだろうか。少なくとも私はそう思う。
恋人が浮気をしている時も、私は彼の手を見る。
不用意に優しく抱きしめる冷たい手で、私は愛が冷めているのを知るし、
突拍子もないプレゼントを渡されるときに触れた手で、
ほころんだ気持ちを取り繕うとしている気持ちが解る。
憎らしいほどに正直な、手。
でも私はそんな正直な手が好きだ。
見破られるのを解っているのに、隠すような仕草さえ可愛い。
そんな情けない手も、また愛すべき存在。愛するものの一部だから。
世の男性よ。
女が鋭いのは、決して勘に頼っているわけじゃない。
すべてを語る、その『手』を見て、感じているからだ。

2002/5/22/WED
ちょっとした取材と研修でパリに行っていました。 そこで見かけた、ちょっとした出来事.....。
[花]
硬い石畳を軽々と華麗に舞うのは、すらりと手足の長い綺麗な青年だった。
自身と太陽の光でキラキラに輝くその姿と、あまり上手ではないアコーデオンの響きが
噴水のある小さな公園に集う人々を誘う。
つたない指さばき。その間からこぼれる鳩と色とりどりのスカーフ。
奇術師、と呼ぶほどに上手くもなく。それでも見る人をあっと言わせる技術。
まるで魔法を覚えたての小さな魔法使い。
だけど、真っ白い歯を見せて笑う笑顔は多分どんな達人魔法使いもかなわない。
私はその少年に群がる人だかりの合間に埋もれ、必死でその笑顔を見つめていた。
ブルーのバラの花束がどこからともなく現れて、
一番前で瞳を輝かせてその技に見入っていた小さな少女の手に握られる。
たどたどしい異国の言葉で、ありがとう、とその少女は頬を赤らめて言った。
青年もうやうやしくかぶっていたカラフルな帽子をとり、膝を曲げてお辞儀。
その帽子に、次々と金貨や銅貨コインが投げ入れられ小さな魔法は終わった。
集まったときと同じよう、唐突に人の波が切れて私は一人ぼっちになる。
『タネも仕掛けもございません』
そう言って始まった魔法は、まろやかな夕日の温かみのようにゆったりとその効力が薄れる。
名残惜しく私は帰路につく。
心の中で、パッとどこからともなく現れたバラの花をずっと思い浮かべながら。
公園を横切った先にある、古びたカフェや古本屋。
その向かいにある小さな花屋に、あの青年がいた。黄色のベストにグリーンのパンツ。
白い手袋をしたままで。
『このピンクのバラ、1ダース』
店員が、ガールフレンドにでもプレゼント?と聞いていた。
『ええ。ピンクのリボンとカードも付けてください』
照れたように頭に手をやるしぐさが、自身に満ちた魔法使いと同一人物とは思えないほど幼い。
私は古本屋の店先に出してある本をとる手を、思わず止めた。
先ほど、色とりどりのスカーフと取り出した手さばきの何倍も不器用に、
青年は淡いイエローのやわらかい紙につつまれた花束をそっと受け取った。
『ありがとう』
笑顔で手を振る青年の目が、夕日をうけたわけではないのにまぶしそうに細められた。
片手には、魔法の道具がつまっている皮製の古いトランクを持ち。
もう片手にはピンクのバラ。
帰る背中が、期待に揺れているのがわかった。
このバラを、どうやって手渡そうか。
何て言おうか。
愛していると告げようか。
多分彼の魔法の奇跡は、愛するものの前ではとても無力で小さく、
そんなものよりもつなぐ手のひらや合わさった二人の影のほうがずっとずっと大きくて
強い奇跡なのだろう。
とても綺麗に動く指先や、どこからともなく手のひらに舞い降りる花々よりも。
今そこで、とても不器用に花を受け取った彼の指を。私はとてもとても好きでたまらない。
坂道の向こうへその背中が消えたのを見届ける頃、
私は形容しがたい幸福なその気持ちを暖かいミルクを飲むこむように、心の奥へしまいこんだ。

2002/2/26/TUE
[桜の花びらのかわりに]
その頃の北海道はまだ寒くって、ふわふわと雪が降っていた気がする。
初めて手をつないで学校から帰ったのは、たしか、中学二年のときの卒業式。
上級生が涙を流して校門を後にしているのを、手をつないで見ていたっけ。
「付き合っている」わけじゃなかったけど、
ワタシたちは時々、夜遅くまで学校に残って、
ちょっとだけキスしたり、
つたないボキャブラリーの中から、
相手に伝わる最高の言葉を捜して、愛を語ったりした。
もう今は、いろんな男性と出会ったり、別れたりをしてきたけど。
この頃になると思い出すのは、
ちょっと背伸びしてはいた皮のローファーからのぞく白いソックスとか、
ちょっと短めのセーラー服。
学ランから見え隠れした、ヘインズのTシャツ。
青いスポーツバッグ。
今じゃ顔もはっきり思い出せない初恋の相手を思うたびに、
ワタシはまた一つ歳を重ねる。
そして、あの彼は、
もういまでは、パパだったり。
たまに町で少しヒゲの伸びたその顔を見かけるたびに、
時の流れとその速さを痛いほど感じながら。
哀しいのと、うれしいのと、懐かしいのを。
胸いっぱいに吸い込むのでした。

2002/1/15/TUE
[夢]
夢を実現させた人がいる。
夢に敗れた人もいて、
夢に向かっている人もいる。
信じれば叶うって、ワタシもずっと思っていた人でした。
信じて、努力すれば絶対夢とか希望とかって叶うんだって。
ワタシがまだ、15歳の頃。
スキだった絵画の世界を追求しようって、がむしゃらにがんばってた。
毎日毎日アトリエに通って、毎日毎日絵をかいて、油くさくなるまで絵の具まみれになって。
進学をどうしようか、なんて聞かれたら即答してた。
「アトリエで仕事して、絵の道に入る」って。
高校行くとか大学行くとか、これっぽっちも思ってなかった。
本当に、本当に考えてなかった。
絵をあきらめたのは、多分小さな理由。
両親に言われた「周りが言うほど、あんたは上手じゃない」って。
「お世辞に乗せられた人生なんてやめてしまえ」なんていわれてね。
もちろん自殺しそうになるほど悩んで泣いてどうしたらいいかわからないくらい自分を責めたりして。
でも、アトリエにいた先生がヒトコト言ってくれたんだよ。
「回り道してみるのもいいじゃない。今出来なくても、10年後、また絵の世界に戻ってこれることを自分に約束しなさい」
今、ワタシはデザインの夜間学校に通ってる。
春からはデザイン関連の仕事に就く予定だ。
今年でちょうどあれから10年目。
ワタシは今、絵筆の代わりにパソコンのマウスを握っている。
回り道をした分だけ、ワタシは傷ついたし苦しんだ。
深夜番組をいつまで見つづけていてもなくならない不安材料たち。
涙が胸の中ににじみ出る、誰にもいえない孤独。
惰性の毎日にカラカラに乾ききった心。
それでも、多分約束は果たされたと思う。
自分のやりたいことは、形を変えて目の前にある。
それを美しいと思える。
楽しいと感じる
毎日続けていきたいと願う。
夢というのは、それでいいのではないだろうか?

2001/10/11/TUE
■紙の上のワタシ
パソコンで、原稿用紙で。
ワタシは仕事をします。
パソコンならば、一昔前の古めかしいマシン。
原稿用紙ならば、学生時代にしか書いたことのないあのペラペラの用紙。
最初に何を書くか。
ワタシはまず自分の名前だ。
文末に必ずワタシはワタシの名前を書く。
書いたとたん、それはワタシから離れて「誰かの名前」になるような気がしませんか?
ペンでなぞると、新たな人格が紙の上で生まれるような。
そしてその名前をもった「紙の上のワタシ」が一人歩きして物語を語り始める。
次々と堅いキィやペンでその人格を追いつづけ、やっとたどり着いた先はやっぱり「自分」。
結局、ワタシがぐるぐると回って、戻ってくる。
新たな完成やストーリーをためこんで、戻ってきます。
それは痛かったり、甘かったり、愛しかったり。
そしてまた明日繰り返されるんです。
今、こうして書いていても、ワタシはしっかりとマシンのモニタで踊り、字という魔法に化けて何かを綴っています。
紙の上のワタシ。
5時になったら、戻っておいで。
終業のベルが鳴るからね。

2001/6/28/THU
■アナタとワタシと平和のこと
そこにある、ただ長く遠く続いている平和な感情に人間は甘えがちだけれど、
その平和の原材料をもう一度見直してみなよ。
どうしてこんなにシアワセなんだろう?
どんなに刺激のあることでも、長くそのまま続いていけばそれは日常生活と同じ。
歯を磨いたり、トイレにいったりすることと同じ。
小さいときに、一人で夜にトイレにいけるようになったのがどんなにうれしかったことか。
お母さんのいない留守番を泣かずに待っていられる強さ。
おばあちゃんの家に一人で行けた喜び。
お母さんに教えてもらったクッキーを、はじめておいしく焼けるようになった日の美しいバターの香り。
もう忘れたでしょ?
もう一度、やり直せるくらい、ワタシは自分の感情を最初から見直したい。
今の平和は、きっと昔は大きな刺激。
その刺激が大きな平和を作っていくだけのこと。
だから、出会いもふれあいも発見も勉強も。
すべては遠い未来の平和のため。

2001/4/17/TUE
■プラスアルファの関係
セックス有りの友情って、なんかスキなんですよ。
いや、そんなの成立しないとか成立するとかの論戦じゃなくて。
そういうのもアリな場合あるんッスよ。
多分みんな経験あると思うけど、一度関係持ったらなんか微妙に二人の間に流れる空気とか言葉とかが変わって見えませんか?
相手の弱みが分かったり、逆に強さを感じたりしませんか?
30センチまで近づけて、あともう一歩な距離を縮めることができるような気がするんです。
それは決して「密着」している空間じゃなくて、「接近」している距離。
多分、コロリと愛のコトバを吐いてしまえば「恋愛」に発展しそうな微妙な間合い。
きっと、今まで付き合ってきた恋人たちも知らない「友情」を知ったという優越感と安堵とがこちゃまぜになった関係がスキなんです。
恋人にも女友達にも見せられない弱さをも、見せられる気がする。
ぐちゃぐちゃになった泣き顔も、隠さずに向けれるはずだし。
卑怯で都合のいい関係かもしれないけど、
お互いに必要として、セックスという手段でお互いを確かめて、
それでも「友達プラスアルファ」としてやっていけるなら、
それはそれで愛すべき存在だから。
それを、ワタシは否定されたくないだけです。
きっと誰にもわかってもらえないけど、
恋人だけが知ってるワタシ
友達だけが知ってるワタシ
自分だけが知ってるワタシ
・・・があってもいいんじゃない?
全部、もう、昔の話だけれど。

2001/2/15/THU
■チョコレートの思い出
バレンタインが来るたびに、ワタシが思い出すのは、
まだ中学生だったワタシのバレンタインデー。
幼馴染だったR君に決死の覚悟を決めて告白しようと思った日でした。
少ないお小遣いを貯めて貯めて有名なお菓子屋さんのチョコレートをやっと買った。
それはバラの花びらを形どったもので、花びらヒトツヒトツがチョコレートで出来ているもの。
もうそれは、清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入。確か5000円くらいしたかな。
それに何度も何度も書き直した手紙。
お気に入りの便箋を何枚も何枚も使って書いたけど、結局全部捨ててしまった。
当時の女の子たちよりはるかにオクテだったワタシは、みんなでキャーキャーいいながらチョコレートを買うわけでもなく。
友達と一緒に好きなヒトのところへ行くわけでもなく。
ただじーっと好きだって気持ちだけを温めていただけ。
とうとうバレンタインがきたけれど、R君に結局渡せなかった。
もちろん「好き」だって気持ちすら。
いつものように学校にいき、R君と顔をあわせると、R君はいつものように明るくハ
キハキとした調子でワタシに「おはよう!」と言う。
わたしも「おはようR!」と言う。
そして二人で昨日見たテレビの話や、宿題やった?答え合わせしよう!って会話になる。
R君はいつワタシが話し掛けても笑顔でギャグを飛ばして楽しませてくれた。
それ以上、ワタシは何を彼に望むんだろう?
そう思った瞬間、5000円も出したチョコレートと数日間ずっと悩みぬいた告白の言葉は何の意味もなさなくなった。
まだ、恋とか愛とか、そういうことよりも、
ただ好きなヒトと同じ話題で同じ笑顔で同じ楽しさを共有していたかった。
「これ、昨日お母さんの知り合いからもらったんだ。」
そう言ってR君と二人で食べたチョコレートの味。
きっと、R君は、ワタシの気持ちに気付いたのか、気付かないのか。
よくわからないけど。
ワタシはもう、今は他の男性を愛しているけれど。
今だにコッソリと、R君の笑顔を思い出してしまいます。

2001/1/31/WED
■23歳の恋愛論
恋愛なんて、もっともっと楽しいことだってずっと思ってた。
いつもスキでいて、見つめ合って、手をつないで、語りあって、助け合うのがあたり
まえだって思ってた。
いつでも横に恋人がいてくれて、毎日が幸せの絶頂期なんだって。
でも案外恋愛ってしんどい。
くだらないことでケンカしたり、
嫉妬したり、
傷つけたり、
傷ついたり、
キスしたり、
触れ合えなかったり、
抱き合ったり、
泣いたり、
泣かしたり、
笑ったり、
痛かったり、
甘かったり、
そんなことばっかりあるような気がする。
ワタシの「恋愛」って、おいしいこともおいしくないこともゴチャ混ぜになって、ド
ンとダンボールで配達されるようなもんだって。
その箱の中から、楽しいことだけを拾うなんて到底ムリ。
一緒に痛みとか苦しみも拾ってしまうワタシの恋愛。
それでもワタシは、恋愛してきた。
ケンカして、記憶がなくなるまでお酒を飲んだりもしたし、
ホンキで死にたいって思ったこともあった。
でもその反面、つないだ手が温かかったり、
笑顔がキラキラしてたりしたのも見てきた。
覚悟が、いるんだと思う。恋愛って。
そんな汚いことも、キレイなことも、
全部ひっくるめて受け止めてあげたい!と思った瞬間が
「恋愛」してるときなのかもしれない。
なんて、23歳も残り少なくなってきたアタシは思ったりするわけです。

2000/12/23/SAT
■おばあちゃん最後の恋
うちのおばあちゃんはものすんごーく昔ながらの奥様です。
お料理・裁縫・和裁・洋裁・着付け・お花・お茶。
日本文化のありとあらゆるものに精通し、それを一生涯誇りに思っているような、ようするに「ガンコババァ」な方です。
うちの母も母親であるおばあちゃんのワガママにはアタマがあがりません。
でもワタシは、小学生で父親が離婚したのもあってかとってもおばあちゃんにかわいがられて育ったので、おばあちゃんが怒ったところなんて見たこともないんですよ。 だけどひしひしと伝わる厳しさとか、母親が「ばあちゃん苦手なんだよなあ」って言うイミはなんとなくわかります。
あるイミ、村上家一族の長っていうのは実際「おばあちゃん」が握っているようなもんです。
そんな「ガンコババァ」なおばあちゃんの、昔話をワタシはふとしたきっかけで聞くことが出来たんです。
先日実家へ帰ったらちょうど母親が健康診断でひっかかったとかで、一日検査で入院していたの。
そんな誰もいないところにいるのもタイクツなので、おばあちゃんの家にいったのね。そしてもう何十年ぶりかにおばあちゃんと一緒に寝ました。
そこで、ぽつぽつと、おばあちゃんが語り始めたのは、おばあちゃんの初恋の話でした。
おばあちゃんが娘時代。世は戦争まっただなか。疎開したとか、防空壕とか、防空頭巾とか、そういう「歴史の教科書の中でしか聞かない」ようなことが実際に起きて、そしてまわりにはたくさんの人がバタバタと死んでいた時代。
その当時、おばあちゃんは16歳。大工だった父(ひいおじいちゃん)と母(ひいおばあちゃん)はおばあちゃんが6歳のころになくなり、おばあちゃんは10歳離れたお姉さんとまだ赤ちゃんの妹・弟と一緒に暮らしていたそうです。
おばあちゃんの通学している女学校は軍の直属だったらしく、学校の授業でもヤリの練習とか実践さながらの授業が行われていたんです。
そんな中、おばあちゃんはヒトリの空軍兵と恋に落ちます。
「白い軍服がとても素敵だったんだよ」
って少女のようにつぶやいていました。
「タキガワ」さんって名前しか残念ながら知らなかったおばあちゃん。 でも二人は愛し合って、いつもコッソリと会ったり手紙を交換したりしていたそうです。
でも戦争は終わらず。
とうとうタキガワさんは「特攻隊」のメンバーに加えられてしまうことになりました。
おばあちゃんは「戦争はもう少しで終わる。山に逃げよう。戦争が終わるまで山に隠れよう」
と泣いて頼んだらしいが、タキガワさんは「お国のために」と言い、
「戻ってきたら結婚しよう」と言い残して次の日戦闘機に乗りこみ、そのまま帰らぬ人となった。
写真も手紙もすべて戦争で失い、残っているのは白い軍服姿のあのヒトの顔の思い出だけ、とおばあちゃんは静かな笑顔で言う。
「ドラマみたい!」と思わずワタシは言ったが、
ドラマじゃないんだよ。本当にそんなヒトなんてたくさん周りにいたんだから」と語るおばあちゃん。やっぱり戦争を生き抜いてきたヒトは違います。 ふと、アタシに初めて彼氏ができたときにおばあちゃんに言われた言葉を思い出しました。
「気軽にオトコのヒトと付き合える時代だからといって、たいして好きでもないヒトと付き合うほど女は暇じゃないんだよ」
おばあちゃんとタキガワさんが一緒に過ごせた時間はわずか2ヶ月たらずだったんです・・・
でも「一生分恋愛する時間を、あの2ヶ月間で経験できた」といいます。
それからおばあちゃんはお見合いをして、幼い弟と妹のためにもと今のおじいちゃんと結婚しました。
もちろんおじいちゃんもスキだけど、やっぱり死ぬ間際に会いたいと思うのはタキガワさんかな・・・ とおばあちゃん。
「死ぬのは怖くないよ。天国でタキガワさんが待ってるから」
とおばあちゃんは言いました。
でもおばあちゃん。病気もしてないのに「死ぬ」とか言っちゃイヤだよ。 ずーっと。長生きして欲しい。
「ガンコババァ」のおばあちゃん。
こんな悲しい恋愛を経験してきたんだ。
だから、きっと、他人に口うるさくなっちゃうんだよね。
みんな幸せになって欲しい!って思うから。

2000/11/21/TUE
■幸福と努力と日常の微妙な関係
今日は、いつもひっかかる信号がめずらしく青で、雪降る通勤ドライブも快適でした。
なんと一回も信号につかまらなかったの!
その話を会社ですると「あんた運いいよー。ついでにその運で当てたら?」
ってことで会社のヒトから宝くじを分けてもらいました。
ほんの日常のフツーの出来事だけど、ワタシこういう「普通の幸せ」に弱いんです。
おいしいジュースを飲んだり、ダイスキな音楽がラジオで流れたり、朝起きたら日差しがまぶしかったり。
こんなことでも「今日一日ガンバルゾー」なんて思う。
そのかわり、あまり「幸せになろう!」と意気込むことはない。幸せはあくまで「実感」するものだって思ってるから。
幸せは掴むものではない。努力した結果が「幸せ」なら、ワタシは喜んで努力する。
努力は絶対報われるもの、と言うけれど。そこに「絶対性」が求められている「努力」っていうのはなんか哀しい気がしませんか?
「もしかしたらダメかもしれない。でもやるだけやってみよう」的な要素が「努力」であり、その結果成功したら「幸福(喜び)」に変わる。
あるイミ、ギャンブル性を帯びた「努力の結果」。
だからこそ、日ごろの小さな幸福を見逃したくない。
幸福は、めぐり合っただけ・発見しただけで幸運なんだから!
努力じゃ作り出せない「イイコト」を、忙しいワタシタチはおっことしてしまうことのほうが多いはずだよ。
だからもう一度、今日の出来事思い出してみて?
今日の朝食に、大好物があったでしょ?
洗面所の鏡に映る自分は、左側から見るといつもよりキレイなことに気づかなかった?
町を歩いて、かわいい女性が横を通り過ぎだはず。
デパートには、ドキドキするようなかわいいピアスが並べられていた!
フワリと降り積もる雪は、天使の羽根のように見えるんだよ!

2000/11/7/TUE
■愛の欠点
「愛は愛であって、決してそれ以上じゃない。だから、ヒトは愛に付属する行為をつける。愛情とか、恋愛とか、愛憎とか。きっと、愛にも欠点はあるから」
私が一生涯で本当に愛して愛してダイスキだった人がくれた手紙には、こんなコトバがつづってあります。
私たちが、別れるときに交換しあった手紙。今はもう、どこかへなくしてしまった手紙だけど、そのフレーズだけは手帳に書き留めてあります。
まだ若かったから、愛のイミとか、愛することって?なんて問題は無視していたワタシ。
ただ欲しくてたまらない欲求の押し付けと、自分のワガママが原因で愛想をつかされたワタシ。
そんなワタシに、彼は「成長」というオミヤゲをくれました。
それが「愛ってこういうものなんだよ」っていう、彼なりの結論でした。
「愛をたくさんぶつけると、その相手には重荷しか感じない。「愛」というカタチだけじゃ押し付けになってしまう。
愛する心や愛する行為、愛する言葉。それが、キミには欠けていた」
思い出せば、ワタシは彼にいつもツラくあたっていた気がする。
「どうして電話してくれなかったの?」
「今日はどうして会えないの?」
「誕生日に出張なんて!最低!!」
求めるものが強すぎて、与えることを忘れていたワタシ。
後悔をする間もなく、次の欲求がワタシを支配して、どうしようもなくなる。泣き出したいくらいに、激しい激情がいつもいつも心に巣くう。
彼はずっと待っててくれてた。ワタシがその「愛の欠点」に気づくまで。
でもワタシは気づかなかった。彼のその優しさにも。
そっと別れ際手渡された手紙には、ワタシへの愛がいっぱいあった。丁寧な字で、しっかりと、愛が綴られていた。
この手紙には、ワタシに欠けていたものすべてが詰まっていた。
愛することへのやさしさという根本的なもの。愛する者への優しさ。愛するということへの厳しさも。全部。
それからワタシは、また違う男性と付き合ったけれど、そのたびにあの手紙のフレーズを思い出す。
「愛の欠点を補うために、人は行動という行為を与えられた」
かけだしのコピーライターだったその彼のコトバは、イヤになるほどクサくて恥ずかしかったけど、どうしてか涙がとまらなかったのを憶えている。
そしてワタシは、愛の欠点を補えたんだろうか?

2000/10/16/MON
■かくして、別離は突然に。
友情も、愛情も。壊れるときは一瞬です。
ガラスのコップを割ってしまったときのように、自分の部屋のドアを閉める瞬間のように。
もうそのときから、自分の生活の一部だったものが切り離されるような感覚に陥ります。
さっきまで、あんなに語り合っていたのがウソのように薄っぺらなものに感じられ、熱くなった愛のコトバすら、雑草のざわめきほどにしか感じられなくなる。もしくわ
「耳障りな音楽」みたいに不快感すら感じる!
「ああ、なんでこんなヒトと仲良くしてたんだろう?」
いろいろなしがらみを考慮にいれても、どうしてももう一緒にいられない「不快感」が、別れの気持ちを増幅させます。
きっかけは、小さなことなんですよね。そういう「突然の別離」というのは。恋人同士であれば、パートナーの下着がキライな色だったとか、ゴハンを食べるときにくちゃくちゃ音をたてるとか、洋服のセンスがイヤだとか。
でも、結局。その「きっかけ」ってイイワケなんだろうね。
本当はずっと前から「あー、あのヘンはキライだなあ」っていうのがあって、そこを見ないようにして一緒にいたんだよ。
だから、その「イヤな部分」を再確認したときに、やっとその部分を受け入れることが出来て、それでもやっぱり「その部分は嫌いだ」と確信できる。
まあ、こんなのはケースバイケースなんでしょうけど、少なからず1度や2度、そんな経験はみんなあるのでは?
ヒトをスキになるのに理由はないけど、キライになるのだってたいした理由なんてないときがある。
ただ、小さなきっかけヒトツで、その「理由」を発見してしまうことはあるんだけど。

2000/10/4/WED
■今出来ることはヒトツ
どんなにツラいことがあってもね、楽しいことがあってもね。
自分に出来ることって「どちらにするか」っていう二つの選択肢に限られてるんだよ。
どんな小さなことでも、ヒトってそういう何十・何百という選択肢を経て、今を生きてます。
今も、「今日の晩御飯、ひさびさに外食してたら。もしかしたら強盗が襲ってきて、ワタシは人質にとられて。。」なんて。
その「もしかしたら」っていう選択を、わたしたちはいつもいつも迫られてる。
逆にいえば、「どう考えても・どう悩んでも、やれることはたったヒトツ」だけなんです。
フラれて泣いても、「あきらめるか」「あきらめないか」のどっちかしかないだろうし、仕事でミスっても「謝るか」「ごまかすか(?)」のどっちかしかないよ。
だから、悩むな!っていうのはアホみたいに決まりきったコトバだけど、「悩んでも何も問題が動かないのなら、その限られた選択肢の中で動いてやる」っていうのがワタシの信条。
それは、自分自信が選び抜いた最高の選択肢だって信じてますから。ワタシ!
野生のカンだけ、信じます。ワタシの人生の中の幾重にも広がる人生の分かれ道を、ただヒトリで歩んできた自分だから。
絶対イイことがその向こうに待ってるって。
人間、シアワセな道を自然と歩むようになってるんです。
今が不幸でも、ワタシに出来ることはヒトツ!

2000/9/27/WED
■レンアイカンジョウノススメ
ドラマや雑誌、小説など。「恋愛しなくちゃダメ」という風習が強く強く全面に押し出されている気がしません?
「恋してないとキレイじゃない」みたいな。そんなに恋愛してないヒトはダメ人間なのか?ブサイクなのか?生きている価値がないのか?果たして、ヒトって「何のために恋愛」してるんでしょう。というか、「恋愛」は「何かを得るため」の手段なの?
ヒトと恋愛感情を共有するってことを、そんな「何かを得るためのプロセス」的な要素だとしたら、なんかものすごく哀しいことだと思いません?相手にひかれて、ひかれあって、その「シアワセな状態」を表す記号として「恋愛」っていうコトバがあるんじゃないかな。
だから、「恋愛がいきがい・すべて」なんてのはなんか違う気がする。
それはあくまでも「カタチ」だから。
恋人同士で何かを育んでいったり、二人でいる状況から何かを得られるのであれば、それは「恋愛」というカタチから発展した二人の感情。だから「恋愛してる」状態に依存してちゃ、その記号から抜け出せないよ。たぶん。
だからワタシは巷で騒がれている「カレシ」「カノジョ」の関係を作るのなら、恋人はいらない。だって、そんな「依存心」「恋愛という名の社会的スティタス」「性的欲求」だけを欲するなら、ヒトリでいます。
ヒトリで生きていけないヒトは、二人でくっついたって何もならないと思ってるから。
「二人でヒトリ分」なんて間違ってます。
「二人でいるなら5人分」くらいのパワーが出せないと。「恋愛」って呼べる状態じゃなはず!
フラリとただ、肉体関係を結ぶだけの恋人たちは、一体どういう感情で「恋愛」しているんだろう。都会の真中で、何を思って抱かれているんだろうな。なんて、テレビニュースやワイドショーを見ながらぼんやりと思うときがあります。

2000/9/21/THU
■おしゃれ
ここ最近洋服とか化粧品とか。アホみたいに買わなくなったな。ほんの数年前なら、流行の洋服や靴、化粧品を買わないと「町なんて歩けない!」ってホンキで思ってた。バカだな。
でも今は、ある程度「自分色」なベースのものがあれば、あとは適当に着まわしたり、適度にアレンジしたりして「自分にあった肩のこらない」おしゃれをするようになった。
当然、「最先端バリバリ」ファッションではないけれど、背伸びしない、「流行にのまれない」おしゃれが楽しく感じてきている。それに比例して、「おしゃれが自分のすべてじゃない」というふうに、価値観が変化しているのだろうね。学生時代なら「おしゃれこそわが人生」みたいな生活してたし。バイト代なんかはぜーんぶ洋服や化粧品につぎこんでたんだよね。あの頃。
今は「自分に心地よい」ものを欲する気分が大きいね。お金を出して買うもの=流行のもの、ではなくて、「自分にとってちょうどいいもの」を選択するようになった。
・・・歳か?自分??

2000/9/15/FRI
■技術か?人柄か?
はっきり言います。
ホームページっていうのには2種類ある。
「サイト管理者の見せる技術に集まる」もの。
「サイト管理者が見せる人柄に集まる」もの。
少なからず、どちらかにすべてあてはまると思うの。
今人気のデザイン系サイト。フラッシュバリバリで、フレーム&スタイルシートじゃかすか使っててもうビジュアル的に「わんだほー」なサイト。見ただけで圧倒されちゃうよね。とてもマネの出来ない技術。その「技術の展覧会」みたいなサイト。一回見ると忘れられない作品に出会うこともしばしば。そういうのじゃなくても、個人でウェブ素材なんかを作っているトコロもココに当てはまるよね。これを「技術に集まるもの」ってワタシは思う。
逆に今膨大な数で増えつづけている「癒し系」サイト。ネットアイドルとかよくやってるけど、要するに「管理人の内面(かどうかはわからんが)」を全面的に宣伝し、アピールする。そして趣味の合うヒトが集まって交流が広がっていく。まあ、その他にも個人で自己紹介サイトや掲示板サイトを開いているところは「自分の同類集まれ」状態になってるでしょ?
そういう理由で「人柄に集まるもの」。
どちらが悪くもないし、優れているわけでもない。ただ、「価値観と感性の違い」なだけ。「コチラがスキだから、ソッチはキライ」ってだけの問題。
だけどね。ワタシも1度、結構おしゃれな新人ウェブデザイナーの方がサイトオープンしたと聞いてお邪魔したんです。掲示板にカキコミしたわけよ。「いつも見ています。この作品の○○はよかったです!」ってな具合に。
でもかなり冷たいあしらいをされてしまってね。すごくスキな作品とかあったんだけど、見るたびにそのイヤな思いがよぎっちゃって。結局集めていたポストカードとか捨てちゃった。
やっぱりね。サイト運営って「人柄」だと思うのよ。最終的に。
「人柄に集まるようにしむける宣伝」をしているアイドル系サイトは別にしても、いくら技術がよくても、見せる努力をしていても、サイト運営者の心遣いとか、人柄とか、そういうのが結局アクセス数につながったり、「温かい雰囲気作り」に発展するよ。
確かにネット上の優しさの伝達速度って、「見せる」ことより希薄で、ゆっくりとしたものかもしれないけど、その思いは回線を通じて絶対伝わるんです。確実に。

2000/9/11/MON
■冷たい電子機器の温かな出会い
携帯電話が一般的に爆発的普及を見せたのは、ただ単に「通話」が手軽になったことだけじゃないと思う。
「メール」でしょう。確実に。なんでかっていうと、本来は電話ギライなアタシでさえ、「何のために携帯持ってる?」って聞かれたら「メールチェックするため」と答えるから。一日に何度も何度もチェックしてしまう。来てなくても。来てても。「誰かとコンタクトをとりたいよう」って思うたびに、無意識にチェックしてるのかもしれない。
「誰かと接していたい・接点を持ちたい」と思う気持ちが強いのに、実際に対面する時間や余裕(自分のね)やタイミングがズレて、なかなか実際に会えないとき。メールだよね。そう。メールに依存しちゃう。そして、メールチェックの回数は、ワタシのココロのスキマの大きさに比例する。
「何かしてほしい」「そばにいてほしい」「このコトバを言って欲しい」と貪欲な欲望がつのるほど、ワタシは携帯を手にしている時間が長い。ココロの叫びを、感じ取って欲しくて。何かの結果や答えを求めて。
冷たい電子機器の「携帯電話」に、今ワタシが求めているものは「実際に会えないヒトとの温かなやりとり」なのかな。
それを「むなしい」ととるか、「ヒトツの接点の保ち方」ととるかは人それぞれ。
だけどその行為を、日常化してしまったのは紛れもなく「携帯電話」というものを持ち歩いている人間すべてだ。
欲しいときに、「欲しい」と言える。会いたいときに「会いたい」と言える。そんなワガママなニンゲンの欲求にいつも耐えてくれる「携帯電話」に感謝感激。
そうしてワタシはまた、使い慣れた二つ折りの携帯電話のフタをあける。温かなやりとりを今日も求めたくて、メールチェックのボタンを押します。

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