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| 待ち望んでいたニューヨークからのLOVEコール。コラムもステキで即採用。HANAYOさんのLIVE
in NY。 |
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PROFILE
NAME:HANAYO
血液型:O型
星座:天秤座
在住地:ニューヨーク
出身地:大阪
好きなもの:海。スタジオ。FDR。公園のブランコ。本屋。
嫌いなもの:生クリーム以外あまりない。二日酔いの時の自分。
人生のコンセプト:「うれしい、たのしい、気持ちいい」
目標:美女で野獣
web-site
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2004.4.15.THU
[ちょっとした楽しみ]
今までいろんな人とブランコに乗ろうよって誘ってみた。
その度に、酔うから嫌だっていう人とか、
乗らずにじっと私の気がすむまで待っていてくれた人とか、
もういくよ。って突き放した言い方をした人とか、
それはそれはいろいろだけど、誰も私と一緒に空を目指して地面を蹴ってくれた人はいなかった。
だから私はいつも一人で乗りに行く。
幼い時、家に帰りたくなくって夏の暑い日にブランコを漕ぎ続けた。
熱射病に掛かってしまって、その夜楽しみにしていたお祭りに行けなかった。
お姉ちゃんに綿菓子買ってきてってベッドからお願いしたのに、
結局買ってきてくれなかったっけ。
もっと大きくなって、下宿先のアパートに冷房が付いてなくって、
あまりの暑さのあまりよく公園に涼みに行った。
ブランコに座りながらうまくいかない恋について日記つけていた。
ボストンの公園で、ブランコに乗りながら写真を撮った。
アパートに一人で居るのが耐えれなくて公園に行ったら蝉と私しかいなかった。
情けないほど一人だったけど、ブランコに乗ってる自分を撮る事でちょっとだけ微笑めたんだ。
NYに来て、近くの公園で今までに一番漕ぎやすいブランコに巡りあえた。
丁度ランドリーの前の公園にあるから、使っている頻度は最も高い。
その親でもおかしくない年齢の子供達に混じって、これでもかって高さを競っている私。
時々、やっぱり思う。
いい年した大人が公園でブランコ漕いでいていいのだろうか。
でも、プロフィールにも書いた私のブランコ好きってのは筋金いりなの。
誰が何と言おうが好きなものは好き。
って意気込んでみても、周りの大人はブランコには乗っていない。
(余計なお世話かも知れないけど、本当は乗りたいんじゃないの?なんて思ったりもするんだけど。)
ぐんぐん漕いで、行ける所まで行こうと思うんだ。もっと高く、もっと遠くに。
それしか考えない。近所にある現実逃避。ブランコサイコー。
私という一つの物体が空に溶けてしまいそう。
ジャンキーの人達も含めて、世界中の人にこの喜びを教えてあげたい。
終わりを決める時は我に帰る時で、ブランコのあげる悲鳴のような音や
周りの人の冷たい視線を感じると私の心と身体は確実にブレーキを掛けて現実へと戻ってくる。
ブランコから降りても結局同じ所を行ったり来たりしてるけど。
やらなければいけない事は子供の頃よりもたくさんあるけど。
誰も一緒に公園で遊んでくれないけど。
一人でブランコに乗ってると、
なかなか思い通りに行かない人生って奴が楽しく愛しく思えたりするんだな。

2003.11.17.MON
-11〜12月のテーマ『これが私の生きる道』-
[これが私の生きる道]
新しくコンピューターのキーボードを買ってみた。
それまで使っていたのは白ワインをこぼしてしまったらあっけなく壊れたからだ。
新しく買ったキーボードはカチカチと音がする。まるでピアノを弾いているように。
ピアノはエリーゼの為にしか弾けない。というか、それだけは自信を持って弾けた。
ベートーベンがエリーゼの為に作った曲を、私は私の為に奏でる。
落ち込んだり自分自身が嫌になってしまった時に行う神聖な儀式なのだ。
音符が読めない私にとって、この曲をマスターするという事は並大抵ではなかった。
ミュージシャンのルームメイト(ピアノも彼女の。)に猛特訓してもらい、音と指で覚えた。
よく頑張ったねと自分で自分を褒めてあげれる数少ないお慰めアイテムーだったんだけど。
ある日曜日の昼下がり、いつものように機嫌良く弾いていると、
どんどんどんと、乱暴に私のドアを叩く(もしくは蹴ってたかも。)音がしてドアを
開けると怒髪天に突くみたいな、怒りまくってる人がいた。同じビルの住人だった。
いつもいつも同じ曲ばっかり弾きやがってARE YOU NUTS?
このビルに住んでる皆、あんたの事、嫌いやねんで。(やっぱりこの辺は大阪弁で)
他にもいっぱい言われたけど、泣きそうになるから省略。
私はその言葉に一言も反論できなかった。
大概の所、私は褒められる事の方が多く、(いや本当なんです。)
怒られる事に慣れていないせいか、怒られると私に非があるってすぐに思ってしまうのだ。
自分に陶酔しながらも心のどこかで観客を意識してた。
エリーゼの為は飽きたよーって声も聞こえないではなかった。
でも居酒屋に行けばとりあえずビールみたいな感じで、
私がピアノの前に座れば、ミレミレミシレドラ。で始まって終わる。
もしも私が運命とか、悲愴とか(ベートーベンが好き。)色んな曲を弾きこなした上での
エリーゼの為ならこんなに怒られずにすんだのかもしれない。
この批判は次のステップに行く努力をしないで、
一年間も同じ曲で満足していた私の怠慢さから来たんだ。
自分は努力の人だと再確認していた音が、同時に騒音として社会に迷惑を掛けていた。
築100年を超えるこのアパートは思った以上に音が漏れていたようだ。
かつあんまり上手くなかったみたいで、
それなのにあんなに自慢げに何度も弾いていた私って恥ずかしすぎる。
生まれてきてごめんなさい。もうピアノは弾きません。
結局私はこれがトラウマになってしまい、それからピアノの前に座る事はなくなってしまった。
だからってどうって事ないんだけど。
しかし、今私は新しいアイテムを手に入れたような気がしているのだ。
ブラインドタッチとはまだまだ言えないけど、鳴る音はかちかちかちぽんだけだとしても、
私は自分の言葉を音で確かめるように鳴らしてみる。別に他愛もない言葉の羅列でも、
なんだか嬉しくなってしまうのだ。
ちなみに今日も赤ワイン片手にやってるから、
過去の教訓から何も学んでない私だけど、
これが私の生きる道。どうか怒らないで下さい。

2003.10.29.WED
-9〜10月のテーマ『携帯電話の向こう側』-
[携帯電話の向こう側]
あれはまだメールや携帯が存在していなかった10年程前の事。
私は京都駅で3時間、ある人を待っていた。
彼は来なかった。というか、私達、逢えなかった。
肩を落として実家に戻り家族が寝静まった頃、彼から電話が来た。
あの時は会社の皆と飲んでてそのあと京都駅に行ったけど君はいなかった。
といわれたその瞬間、やっぱり終わってしまうんだ。と確信したりして。
彼とは旅行先のユースホステルで偶然出会った。
もちろんその時は旅先の出会いという事であんまり深く考えなかったけど、旅行後しばらくして一枚の葉書を受け取った。
筆まめな旅人が書きそうな当たり障りない内容で、こちらからもそのような返事を送ったような気がする。それがつきあうきっかけになった。
つきあってきた殆どが連距離だったせいか、実際に会うよりも、電話で話すよりも、手紙でやりとりする事の方が多かった。
自分が持っている過度な愛情を全てさらけだす事が怖かった私は、自分の感情をワンクッション置いて確認する事で自分の心のバランスをとっていたつもりだったが、ついにある日、自分の中で何か爆発して、電話でさよならを言ってしまった。そして最後のあがきで京都駅でずっと待ってるから会いたいという自分勝手な手紙を送りつけたんだった。
返事も聞かず自分勝手な運だけ信じて待ち続けた私は結局の所、一人だけで恋愛していたんだとも思う。
彼の右上がりの字に記された手紙の山は実家に帰ればまだある筈。
その存在感と共に私はあの時の自分の気持ちの揺れ方を今でも鮮明に覚えていて、時々困ってしまう。
もしもあの時、携帯があったら、メールがあったら、もっと違っていた筈だって思うのは、いつまでたっても忘れられない心の裏返し。
私にとって携帯電話の向こう側は、今じゃなく過去の世界に繋がってる。

2003/8/20/WED
[NY大停電]
8月14日4時11分、NYを始めカナダ、北東米一帯の電気供給が止まった。
私はその頃スタジオで電気を使った作業をしていなかったが、ラジオが止まり、扇風機が止まって、時間が少し止まった。でも「まあいっか。すぐ戻るだろう」と全く気にせずに作業を続けた。
二年前、私がスペインを旅していた時、gadiという最南端の町に着いた9月11日に記憶がプレイバックする。レンタカー屋がシエスタ中の為、時間つぶしに寄ったバーで、飛行機がワールドトレードセンターに突っ込んでいく画像を一番最初に見た時とよく似た印象だった。
”ウノ ブランコ ポルファボーレ" テレビの箱の中で起こっている事よりも、現実の自分の欲求の方を優先した。あの時もこの時も事の重大さに気付いたのはしばしたってからだった。
しばらくしてスタジオの中の建物自体が大きく揺れはじめる。『この辺一帯電気がダウンした』、『携帯もかからない』、『conedison(NYの電気供給会社)の建物が燃えている』(後にこれはデマだったけれど)....などの情報が次々と入ってきた。
それまでは『hi』位しか言葉を交わした事のなかった人ですら『何処に住んでるの?一人暮らしなの?なんなら家に来る?』など、いきなりプライベートな話をして、ぐっと打ち解けてしまったりして。
[no electric in NY]というとんでもない事態が発生した。電車、エレベーター、信号、明かり、冷蔵庫、電話などその他諸々が一斉に止まる。面白い程、容赦がなく。今回の事も天災でなく人災だ。
人間が起こしたものがブーメランのように人に還ってきたような気がする。
私は幸運にも街で働いていた彼氏が車で迎えに来てくれたから助かった。
そうでなければ歩いて家路に向かわなければいけなかった。帰り道に私達が車から見た景色はいつもとは違い、地下鉄に乗れずバス停で待ってる人の山や、はちきれんばかりにバスに乗っている人々、動かなくなった信号の変わりに交通整理している一般の人の姿、橋を渡る人々の行列、今までこんなにたくさんの人の姿を見た事はない人、人、人の集団だった。
ラジオから盛んにニュースが流れる。私達NYに住んでる人はこんな時でも皆冷静で人を思いやっています。電車の中で立ち往生してる人も互いに助け合って無事地下から生還できましたと実況中継をしていた。それを聞いてた私の彼氏が一言、『NYは常にコンプリメントが必要なんだね』。
家に帰っても明かりは付かず、とりあえず家にあるろうそくを集め灯す準備をした。
電気がなくてもガスや水道は機能している事と今が夏である事が単純に嬉しかった。
もしテロとか大惨事になってしまう事を考えると停電なんて大したことじゃないように思う。
街はいつも以上にお祭り騒ぎだ。party in black。たくさんの人がろうそくを持ってストリートで涼んでいる。人の存在がすごく熱く感じる。
電灯は付いてないけど、ひっきりなしに通る車のライトだけで結構明るい事に気付いた。
レストランの殆どはクローズしていたが、バーはろうそくを灯し営業したので入ってみた。もし私が今ひとりぼっちで友達もいなくてどこか遠くでおきざりにされていたら悲惨だったろうなと思いながらそこそこ冷えた白ワインを飲んだ。ろうそくの光に灯されて私の大切な人がより一層愛おしく思う。
翌朝7時半位、私が真っ暗な浴室で顔を洗っている時にいきなり電気が付いた。顔中石けんで泡だらけになりながらも文明復活に踊り喜んだ。
一日をかけてゆっくりと電気が戻ってきた。
ビーチに行ってた友達。空港でスタックになってしまった友達、仕事場から二時間かけて歩いて帰ってきたという友達、家に居たからno dramaだよといった友達、ただ皆が無事であった事が嬉しかった。
今、こうして電気が無事復旧して停電は過去のものとなってしまったが、罪と罰を感じるよりももっと早く、電力と恋人と友達の有り難さに感謝しただけで終わってしまった感じがする。そしてテロの時とは違ってこれからの日常生活にかまけて忘れてしまいそうなんだ。
慣れあいで自分の心が思い上がってしまった時に思い出せるように、当たり前のようにある存在に感謝して生活できるように、記憶の片隅にでもしっかり叩きこんでおこう。

2003/7/22/TUE
[forbidden city.]
ずっと禁じられた街だと思っていたのだが、実は紫禁城の意味。
日曜日の夜になると皆で繰り出すサルサバーの名前だ。
NYの紫禁城はアルファベットcityの中にある。
さびれたストリートの普通のビルの一階に位置し、
平日の昼間にそこの前を通っても見過ごしてしまうようなとっても小さなお店。
日曜日の夕方、あーだこーだと愚痴っている電話の向こうの友人。
なんだか面倒くさくなって「サルサ、行こう!じゃあ後でね。」と言って切る。これ定番
悩みは人の数ほど、電話やメールよりも会って話す方が健康的。
日が暮れ店に人の命が宿り、サルサの音楽が流れ、光り輝き始める頃私はドアを開ける。
ここにはアメリカ人やイスラエル人、キューバ人、アフリカ人、日本人、中国人、韓国人...etc
これでもか!っていう位いろんな人種の人達が集まってくる。
”俺、ブライアンっていうんだ”と見た目超白人の日本語ぺらぺらな彼は、
NY中で一番おいしいライチマティーニを作ってくれる舞台役者の顔を持つバーテンダー。
面白イケド訳のわかんない事ばっか言っているレイサンティーアゴは、
バンドのリーダーでピアノ弾き。
「私の名前はえびです」って日本語はそれしか言えないエィビはパーカッション。
犬が異常に大好きなヤギルはベーシスト。
「my name is イタタタ」と頭を抱えるふりをするイタイはフルートを吹き。
皆かけがえの無い友達。
中国人のオーナーが作る絶品の餃子やシュウマイを食べながら、
日本酒やカクテルを頂き、サルサに酔う。
いつも同じメンバーで、いつも同じような音楽で、どうしてこんなに楽しいんだろう?
ここでは皆が同じただの”人”。同じ場所で、同じ空気を味わう。
キャリアや価値観の違いについての悩みなんか、本当にちっぽけな事に思える。
戦争が始まった直後、バンドのメンバーも含めてイスラエル人達が
この店の前に固まって大声で討論していた。
自爆テロがあったりして、きっと母国の行く末を話しているのだろうと思い、
遠巻きに見ながら私も悩める国、イスラエルの事を憂った。
「何話してたの?」って後で聞いた。
「ああ、チェスの新しいオープニング方法についてだよ」
ヘブライ語のわからない私には、これが嘘か誠か....。
その討論の内容どうであれ、あの時、あの場所で同士は集い、
互いの存在を確認し、勇気づけられた。
出口の見えない迷路に光りが灯った気がした。
禁じられた街を私達は何処に行くのかも分からずに彷徨っている。
そして週末私達はココに集う。

2003/7/13/SUN
[初めまして]
NY在住のhanayoです。今回より、カフェ・ド・ショコラに参加させて頂く事になりました。
カフェ・ド・ショコラは記録的に長かった今年の冬に巡りあい、
(ほんと長い冬でした。そして今はいきなり暑い。ふう。)
人のぬくもりが感じられていいなあ。と一人でほっくりしてました。
今まで一読者として楽しんできたのですが、
ある日突然、あっち(いやこっちかな?)の世界に行ってみたいと思ったのです。
それは私がNYに行こうと思った時とよく似ています。
それまでは私はボストンでアートスクールに通ってました。
ボストンの学校でできる事、それだけしか考える余裕がなく、
又、実際居心地もよかった訳なのですが。
NYの事はほんの少し意識しながらも
なんの予定も計画もないけど、どうするんだろう。
卒業するほんの前、
NYの友達から、ルームメイト探してるんだけど、誰か知らない?という一本の電話が掛かり、
私は速攻、私が住むって言ってました。
NYに住んで4年が流れ(あっという間に。)私はまだ道に迷ったりしてますが、
写真を撮ったり、陶芸したりして、時には肉体労働者となり、
大切な人達とおいしいご飯を食べる事が出来てます。
幸せな日常の中で、泣いたり笑ったりキリリとしたりする事を伝えていければいいな。
まだ見ぬ皆様へ。万有引力にひかれてやってきた私ですが、
何かのご縁があっての事です。
末永くあたたかい目で見守ってください。

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