NATSUDONZYKANOKAORUMIYUMACOKUMIKOYOUTERUYOAKO
MASAMITUBASAAIRIaHANAYOHINATAKURANAOMIOSINKEI
HOMEBBS

2003年1月にテキサステイストから転身。
フリーライターとして新聞やウェブ、メルマガにコラムを書くほか、カラーコンサルタントのもとで修行中。
PROFILE
NAME:KANO
年 齢:30代前半
血液型:B型
星 座:LIbrA 天秤座
出身地:神奈川
好きなもの:太陽、風、夜、ジャズ、心穏やかな日々。
嫌いなもの:偽善、逃げ、ゴキブリ。
好きな場所:カフェ、本屋、スパ、太陽の当たる場所、
NY(ワールドトレードセンターの屋上が世界で一番好きな場所だった)。
趣 味:多すぎて書ききれない。
座右の銘:シンプル・イズ・ベスト

■ご意見ご感想はまKANO
■KANOさんのサイトKoguma Studio

 テキサス→東京・テイスト【AQUA】
2003/1/19/MON
-1〜2月のテーマ『最近気づいた事』-
[香水]
「香水つけてる男の人って、セクシーですよね。。」
平日の通勤族でごった返す雑踏の中を歩きながら、
突然、8歳年下の後輩が言った。

別れた彼に数ヵ月後に再会した時に聞かれた質問を、ふと思い出した。
「なにか変わった事に気がつかない?」
しばらく彼を眺めたけど、わからなかった。
「君が好きだって言ってた香水、やめたんだ。。」
私は、まったく気がつかなかった。
だってもう、そんなそばに行く事もない。

後輩の顔を見る事もせずに返事した。
「そう?なんか香水って、ブランド物の服と一緒で、着飾るためにあるみたい。」
「そうですか〜先輩。私はセクスィ〜だと思いますよ。なんか『大人の男』って感じするじゃないですか〜。」
「う〜ん、そうか、そういう見方もあるか。。」
街中でなつかしい香りを嗅ぎ、ふと「これ、なんだっけ。。?」と立ち止まった事はある。
そんな時、まわりから音が消え、自分だけが記憶という静けさの中に落ちる。
思い出のシーンが蘇るのは、しばらく後だったりもするけど、
香水で蘇るシーンがあること事態は、なんか、大人な感じもする。

自分は、香水なんてつけるような女じゃないのに。。
それは、蘇るシーンの中で、自分だけが場違いな気がして、
ちょっと、淋しかったりもする。




2003/11/10/MON
[境界線はどこ?]
「自分に甘い」と「自分に正直」の違いって、
どこにあるのだろう?
自分には厳しくありたいし、正直でありたいと思う。
でもそれって、どう違うんだろう?
共存するものなのだろうか?
自分の気持ちに正直に行動する、それは、
自分に甘いってことなのだろうか?
自分の気持ちに正直に、受け入れていた物事は、
実は、自分を甘やかしていただけなのだろうか?
どこに境界線があるのだろう?

人によってその境界線って、違う。
自分のした事が、ある人は、自分に正直で宜しいって思ったり、
でもある人には、自分がかわいいだけじゃん、って写ったり。
同じ行動なのに、人によって相反する意見を言わせる。

だから。。。境界線は、自分で決めるしか、ないみたい。
自分はどこで線を引く?
どこまでが自分への甘やかしで、
どこまでが自分への正直さなのか。
その線は、今だにまだ見えないけど。。
近いうちに、決めようと思う。

近いうちに。。なんて、これはどっちなのだろう?




2003/10/27/MON
-9〜10月のテーマ『携帯電話の向こう側』-
[自分のペースで]
日本に来て9ヶ月になるが、私は日本の携帯が好きだ。
アメリカのと比べて小さいし、デザインがかわいいし、機能がいっぱい。
と言いつつ、機能なんて何ひとつ活用していない私ではあるが、
これだけは使っている、それはメール。
携帯メールなんて当たり前すぎて機能とは呼ばない!と言われそうだが、
アメリカでは携帯メールは普及していないので、私にとっては立派な機能。
そして大好きな機能。
だって、
好きな時に書ける、
好きな時に受け取れる、
移動時間を活用できる
いやなメールはすぐ消せる。
嬉しいメールはずっと保存しておける。
。。。良い事だらけじゃないか。

そもそも私は、しゃべりより書きの人間なのだ。
携帯が鳴るよりメールがきた方が嬉しい。
結局、自分のペースで受け入れたり受け入れないでいられる携帯が好きなのだ。
ただのマイペースなB型なんです。




2003/9/10/THU
[スイッチ]
昔、努力をしないと、明るくいられない自分がいた。
「陰」の状態がOFFで、「陽」の状態がONだった。
意図的にONのスイッチをいれないといけなくて、このON状態は、ひどく私を疲れさせた。

それがいつのまにか、忙しい日々、おおぜいの人に会う日々の中で、
つまり「陰」になんかになっていられない日々の中で、
普通の状態が「陽」になっていた。
気が付いたら、「明るい」が私の代名詞のようになっていた。

それでも一人で暗くなりたい時はあるわけで、
そういう時は、わざわざそういう環境を自分で作らなくていけなかった。
ひとりで過去の暗い思い出に浸ったり、ひとり暗闇で暗い映画見て落ち込んだり。
わざわざスイッチをONにして、自分を暗い海の底に沈める。

でも長年「陰」の状態から遠ざかっていると、暗い思い出なんてそう簡単に出てこない。
過去の傷はあるはずなのに、ろくすっぽ思い出せない。
自分は案外現金なもんだと思った。頭が悪くなったのかもしれない。

一体いつ、どこで、どんなふうにして、ONとOFFが逆転したんだろう?
本当に逆転したのだろうか?ONの状態が続いているだけなのではないか?
「陰」でも「陽」でも、ON状態が長く続くと、疲れるという事だけはわかっている。
私が疲れるとき、それはどっちの状態にだろう?

あなたのONとOFFは、いつですか?




2003/5/12/MON
[眠り]
最近、眠れない。
最近というより、ここ1年くらい眠れない。
もともと夜が好きで、寝るのがもったいないと思い、
いつまでも起きているタイプではあったが、
眠りたくても眠れないという事はなかった。
ごろごろごろごろ、1時間も2時間もふとんの中で回転している。
べつに思い悩むことがあって眠れないのではない。
ただ横になっても眠れないのだ。
これが思ったよりストレスなのである。
快適な睡眠が得られないということは、
人になんてダメージを与えるのだろう。

独身の頃、眠れない夜はどうしてたっけ?
そうだ、私はいつも音楽をかけて寝ていた。
自分的にはクレモンティーヌの語りかけるような甘い歌声か、
静かに流れるビル・エヴァンズのジャズピアノが眠気を誘った。
ロックでも2曲目以降は覚えていない。
音楽が頭の中の雑念をかき消してくれて、心地よい眠りの世界に導いてくれた。
これが楽しみなひとときでもあった。

でも結婚してからは音楽をかけて眠る事はなくなった。
彼が眠れないだろうと思ったからだ。
30秒で眠りにつけるくせに、音に敏感な彼の横で、
音楽をかけようとは、思いもしなかった。

が、ゆうべ、ついにやってしまった。
暗闇の中ごそごそCDラックをあさり、数少ないCDの中から1枚選んだ。
本当はTOKIOをかけたかったが、さすがにそれはやめて、
今井美樹をゼロに近い音量でかけた。
今朝起きたら、3曲目以降は覚えていなかった。

よし、これでいこう。

結婚3年目にして変わったこと。
彼の眠りより、自分の眠りが切実になったこと。
願わくば、美樹ちゃんの声は夢の中で聞いたのだと、
彼が思ってくれますように。




2003/3/8/SAT
-2〜3月のテーマ『My Gift to You』-
[春になるから]
先日、友人につきあって、都内のあるシャツ屋に行きました。
私は買うつもりはなかったので、店内をぶらぶらしていると、
あるシャツに目が止まりました。

白地にオレンジと青のラインがクロスした、さわやか色のシャツ。
無地の服が多い私にとって、あまり手にとる事のない柄。
でもなんだか気になって、試着室へ。

買うとしたら、どのセーターと合わせようかな?合うスラックスあったかな?
そんな事を考えていると、
突然、
春になってこのシャツを着ている自分がイメージできてしまった。

だから、決めちゃった。買います。

理由?「そうね〜、春になるから。」

その時店員さんが言いました、「これが最後の一枚だったんです。
ぴったりのサイズでよかったですね。」
私の決意は、確実なものとなる。

こうやって私はちょくちょく自分にギフトを贈る。




2002/12/30/MON
-12月のテーマ『私の今年の3大ニュース』-
[大きな一歩]
クリスマスも終わり、一年で一番安くなると言われている
アフター・クリスマス・セールの時期がやってきました。
この時期に来年用のクリスマス・ギフトを買いあさる人も多く、
そのために会社を休む同僚もいるほど。
休みをどうすごそうがいいけど、そういう人に限って普段の無駄遣いが目立つような。。(笑)
こういう時、知り合いや親族にクリスマス・ギフトを配る習慣のない
日本人でよかったなーと思ったりする。
逆に日本ではお中元とかお歳暮とか色々あるのでしょうけど、
アメリカにいるとどちらからも解放されてラッキー。

そんな私の今年の3大ニュースのトップは、
なんと言ってもここ、カフェドショコラにコラムを書かせていただける事になったこと!
なんと色々な扉が開いたことだろう。
「書く」という事が本当に好きなのだと、再認識した。
書く機会が増えた。
ストレス解消方を見つけた(笑)。
そして、将来の夢がちょっと違ってきた。

3大ニュースの2番目は、象さんを飼ったこと!
正確に言うと「アダプト」した。
アダプトとは、一般的には「養子にする」こと。
相手が象なので、この場合私は、この象を「援助」し、「里親」になった。
テネシー州にエレファント・ファンクチュアリー(ElephantSanctuary)
という非営利団体がある。
この団体が所有する広大な敷地には、年老いたり病気になった、
「用なし」のアジア象達が、できるだけ野生に近い環境で保護されている。
サーカスや動物園で死を待つ事しか許されていなかった象たちは、
ここへ来て残りの生涯を幸せに暮らす。
ひとりのサーカスパフォーマーと彼女の年老いた相棒タラが始めたこの団体は、
ボランティアと彼女らのミッションに共感した人たちからの寄付金でなりたっている。
私もまた、彼らの生き方に共感し、応援したいと思った一人。
私にできる事は小さいけれど、なにかしたいと思った気持ちに正直に行動した事。
そんな自分が嬉しかったりもした。

そして、今年最後の大ニュースは、10年以上慣れ親しんだアメリカを去る事になったこと!
突然ですが、私2003年の1月から数ヶ月、東京に住む事になりました。
数ヶ月が3ヶ月になるか6ヶ月になるか、はたまた12ヶ月になるかは不明。
そんな状況の中で10年近く築き上げてきたキャリアを捨てていいのか?!
という気もしますが、人は何処かで新しい風をいれないとクリエイティビティーもサビつきます。
キャリアを捨てるのではなく、ステップアップ。
だから海をまたいだ大きな一歩を踏み出す事にしました。
日本には子供の頃の数年しか住んだ事はないけれど、とても好きな国。
来年からはTOKYO TASTEで参加させていただきます。
来年の今頃はお歳暮の事でも気にしているのでしょうか?

なにはともあれ、来年も宜しくお願いします!




2002/11/7/THU
-10・11月のテーマ『今だから言えるゴメンナサイ』-
[ピンクのセーター]
なぜか昔から、彼氏に貢物をされるタイプではないようで、
「つきあってた人からもらった物」がとても少ないと思う。
おねだりなんてした覚えもあまりないし、されるのなんてもっといやだ。
「彼に買ってもらったのー」と言う女友達が羨ましかったりもしたけど、
特に彼に買って欲しいと思う物も、さほどなかった。
考えてみれば、私も誕生日プレゼントくらいしかあげないから、
平均交際期間を2年間だとすると、一人に2つくらいしかないわけだ。
でも、「物に罪はない」と思っているので、
前の彼にもらった物を、今でも平気で使っていたりする。

そんな私が、「彼からもらった物だから」という理由で手放した物が、ひとつだけある。
それは、誕生日かなにかでもらった、ピンクのセーター。
特にセンスがいいわけでもなかったけど、誰からの贈り物でもそうするように、
ありがたく頂戴し、大事に保管してあった。
正直言って、自分に似合う色ではなかったので、着たのは一度だけ。
彼から、別れ話が切り出されるのを予感した、あの寒い冬の日だけだった。

やっぱり似合わないと思いながら、あの一枚のセーターに、
私は一体なにを期待していたのだろう。
かいがいしく彼からのプレゼントを身に付ける私を見て、
彼が気持ちを変えるのを、期待していたのだろうか。
彼からもらったセーターを着ている事を、もちろん彼も気がついていたし、
私も、彼が気がついている事を、わかっていたので、
それが逆に、何も着ていないよりも恥ずかしくて、
これ見よがしにそんなものを着てきた事を後悔した。
第一、別れ話をする人が着る色じゃないよね。。
似合わない服を着て、似合わない事をしている自分が、
そして、どんな事を言っても、ふられるんだろうなとわかっている自分が、みじめだった。
案の定、ふられてた。

その後、ピンクのセーターは、あの場の重苦しい空気を吸い込み、
重ささえ増したように感じた。
目にしただけで肩がこった。
だから手放した。
リサイクル屋に出したのか、欲しいという人にあげたのか、
正直、今でもどういうルートをたどって私の手元を離れたのか覚えていない。
ただ、私の手元にない事だけは確かだ。

「物に罪はない」と思っていても、「物は大事にしなくちゃ」と思っていても、
物に投影された「思い出」が強すぎて、そばに置いておけない物がある。
だから、手放してしまったピンクのセーターさん、ごめんなさい。
今まで、あなたの存在を一度も口にしなかった事、ごめんなさい。
そして、あれから10年後の今年、オンラインでピンクのセーターを買い、
届くのを楽しみにしてしまっている私を、
あなたの思い出を、そっくり別の思い出で塗り替えるであろう私を、
許して〜。




2002/9/14/SAT
[気持ちを生かす]
今朝起きて、
いつもと同じようにシャワーを浴びた。
いつもと同じようにクローゼットの扉を開けて、着る服を考えた。
いつもならここで「着る服がない。。」と思うのだが、
今日は、まっさきに目に映った黒いシャツ。
普段は、あまり着ない、黒。
でも今日は、着ようと思った。
会社に来たら、日本人の同僚も黒い服を着ていた。
「なんとなくね。。」と二人で言った。
心なしか、オフィスの雰囲気も静かだった。

Yahoo.comにアクセスしたら、グレー一色だった。
びっくりしたけど、ハッとした。
慌てて自分の会社のウェブに追悼の言葉を追加した。
イントラネットにはアメリカの国旗を追加した。
あとでアメリカ人の同僚が「あの旗、すごいよかったよ。」と言ってくれた。

ランチ・ルームでテレビをつけた。
911関連の番組が流れていた。
これからの対策を話す政治家達。
一年前の恐怖と感謝の気持ちを語る生存者達。
亡くなった家族を誇りに思うと、愛を語る遺族達。
それぞれがそれぞれの思いを、
正確に表す言葉などあるはずもないのに、
それでも懸命に言葉を探しながら、
勇気をもって、語っていた。

廊下を歩いていたら、となりのビルの国旗が半分下がっていた。
自分の会社の旗も、半分下がっていた。
国中が、哀悼の意を表し、祈っている。
ひとつの事に向かって、会社が動く、組織が動く、国が動く。
人が動く。
改めて、すごい事だと思った。

気持ちを表す事を恥ずかしいと思わない事。
辛い事から目を背けるのではなく、向き合う事。
逃げない事。
表現する事。
行動する事。

みんなが色々な方法で気持ちを形にしている。
表現している、行動している。
素直に、正直に。。
思っているだけでは、だめなんだ。
表現しないと、行動しないと。
だめなんだよ、思っているだけじゃ。。

言葉にしよう、態度でしめそう、表現しよう、行動しよう。
行動してこそ、気持ちが生きる。
改めて実感している、近頃の私です。




2002/8/20/TUE
[小さな命と大きな愛]
えっちゃん、元気?
私がテキサスに、あなたがナパに引っ越してから、もうすぐ一年になるね。
あの時は、物理的に離れるのがいやで、二人して泣いたけど、
心が離れる事はないって、確信あったよね。
筆不精のあなたからのメールが月一でも、それは変わらない。

フラワーアレンジメントのクラスで会ってから、
私は何度、死にかけたバジルとか、しおれた蘭の鉢を持って
「助けて〜」と、あなたの家に駆け込んだ事だろう。
次に駆け込む時には、あなたは必ず、その前に置いていった、
根腐れしかけたタイムや、虫の付いたラベンダーを、
「はい」と、元気にして返してくれた。
いつもいつも、あなたのヒーリングパワーには驚かされてばかりいた。

私の周りに、もう一人、死にかけの植物を生き返らせる人がいる。
それは、私の母。
皆「もうダメかも〜」となると、母の所に持っていく。
そうすると不思議と元気に花を咲かせたりする。
そういう母と、あなたは似ている。

今年の夏、本当の母となったあなたと、
あなたの二人の分身(旦那と子供)に、
近々、会いに行くからね。
私の分身を連れて。
待ってろよ。
いや、大丈夫。
死にかけの植物は持って行かないよ。
あなたのヒーリングパワーは私が独り占めしたいから。




2002/7/15/MON
[ひと夏の恋]
ブラウン管で見る年上の彼の物静かな美しさと、
ラジオから流れるジョークの斬新さがアンバランスで、
幼い私の母性本能が動いた。
一方通行な思いは承知だったけど、少しの間だけ、恋をする事にした。

あの夏の日、学期末テスト開始の前日、一人で彼に会いに出かけた。
同級生には誰一人言わずに。
一人でチケットを予約して、一人で電車に乗って、初めての駅に降り立った。
見た事もないその会場への道のりを、彼と待ち合わせのレストランにでも行く気分で、歩いた。
初めてのミニスカートとパンプスが、ちょっと恥ずかしいような、ちょっと嬉しいような、
ひとりよがりな二人だけの秘密を胸に抱いて歩いた。

「美人のお姉さまが多い」と言われている彼のファンにまぎれて、私も「美人」のふりをした。
そしてデート気分で、彼の声に聴き入った。
なぜか、彼に会えるのは、これが最初で最後だと、自分ではわかっていた。

夕暮れも押し迫った頃、いつもの見慣れた駅に降り立った。

「すみませーん。今女子大生にアンケートをしています。ご協力くださーい。」元気
のいいお兄さんが話し掛けてきた。
「いえ、大学生ではないので。」と歩みを止めずに答えた。
「あっ専門学校ですか?全然OKですよ〜。あのですね、」と言いかけた彼に、
「いえ、高校生なので。」と言ったら、目を丸くして驚かれた。
童顔の私が、実年齢より年上に見られたのは、人生であの日が最初で最後。
あのひと夏の恋は、幼い私でさえも、大人に魅(み)せた。




2002/6/10/MON
[兄]
私は3人姉妹の長女。
上は上を、下は下を欲しがるように、
私は長いこと「兄」という存在にあこがれていた。

中学の頃、一番中の良かった友人は、家は遠かったが、
学校帰りによくうちに遊びにきた。
ついつい話し込んでしまい、外が暗くなったり、
天気予報が外れ、雨が降ったりすると、
必ずお兄さんがバイクに乗って迎えにきた。
スピード違反常習犯のお兄さんは、
彼女を乗せている時だけは、
後ろからクラクションを鳴らされてしまうほどの安全運転だった。

高校生の頃、長い長い坂道が通学路だった。
「行きはよいよい、帰りは恐い」の逆で、
急な上り坂を、毎朝チャリを必死で押して上った。
帰りに味わえる、爽快感のためだけに毎朝、汗を流して上った。

でも、雨の日だけは別だった。
雨が降ると、一緒に通学していた同級生のお兄さんが、
通勤前に、私達を車で校門まで送ってくれた。
ぶつかり合う色とりどりのカサを見送る優越感に浸りながら、
車はすいすいと坂道を上がった。
物静かで優しいお兄さんの車の中で、私は角松敏生の音楽と出会った。
やたらと大人の音に聴こえた。

でも、同級生が風邪でお休みの雨の日は、
他の黒や青やピンクのカサに混じって、
私の黄色いカサも坂道を上った。
あの日も、「帰りの爽快感はお預けだな〜」などと思いながら歩いていた。
ふと気がつくと、左足だけがやたらと冷たい。
革靴の裏を見ると、石がささっていた。
いつの間にか先のとがった石を踏んづけていたらしい。
裂け目から雨が染み込んで、替えのない靴下を濡らしていた
立ち止まる事もできず、
私はグチャッ、グチャッ、という規則正しい音を聴きながら、
毛づくろいをしたばかりの足を、泥水につっこんだ猫のような気持ちで、
カサの波に流されて歩きつづけた。

雨の日になると、角松敏生の大人の音とともに、
ちょっと孤独なリズムを思い出し、
私は、最初っからいもしない「兄」の不在を思う。




2002/5/15/WED
[わたしの中の男]
自分の中の男。。と考える時、「今」を飛び越え、
「昔」の自分が思い浮かぶ。

そう、遥か遠い、今世では行った事のない国にいた頃の自分。
あの頃、闘っていた。多分、平和のために。
男だった。なにかを守るため、なにかに対して、闘っていた。
ランプの灯りだけが頼りの洞窟の中で、仲間と戦略を練り、
平和な明るい日々を願い、政府と闘っていた。

結局囚われ、牢獄の中で年老い、病気になり、死んだ。
今の私が、政治家を嫌い、かび臭い匂いをなつかしいと感じ、
自分の信念をつらぬくために闘い続けるべきだと使命感を感じている事と、
関係あるだろうか?

またある時は、商人として、地道にコツコツと働いていた。
ヴェニスの商人のように、小さなボートで何かを運んでいた。
その時も男だった。
けっして金持ちではないけど、なんとかやっていけた。
家族がいたのかは知らない。
ただ毎日毎日、コツコツと働きつづけた。
そしてそのまま終わった人生だった。
今の私が地道なコツコツ型なのは、
この時の自分が強く出ているからだろうか?

私が記憶にもつ、男だった前世はこれくらいしかない。
でも私達は何度も生まれ変わり、いろいろな時代と人生を経験する。
魂に蓄えられた、その多くの経験が、「今」の自分を形成する。
だとしたら、今、「女」である私の中に、「男」は一体、何人いるのだろう?




2002/4/25/THU
[幸せについて]
今から数年前、あるひとつの出会いを失った私は、NYへ傷心旅行に出かけた。
精神的にかなりまいっていたので、NYからエネルギーをもらおうと一人で行った。
さすがに心配した友人が、現地に住んでいる知り合いを紹介してくれた。
ふたりの待ち合わせは、紀伊国屋の前だった。
初めて会ったのに、いきなりタメ口だわ、「あなた」呼ばわりするわ、
まったく気を使わないわで、圧倒された。
イヤミじゃなく、おかしな人だと思った。

彼はこれまた気さくに、私に真昼間のハーレムを案内してくれた。
アジア人が二人、他愛もない話をしながら、黒人の中を散歩していても、
誰も見向きもしない。ハーレムってこんな所だったっけ?と思った。
ハーレムのマクドナルドでランチして、また歩きつづけた。
歩きながら彼は、「振り子のように、不幸の分だけ、大きな幸せがある。」と言った。
私は「大きな幸せなんて欲しくない。人並みの幸せが欲しいだけだ。」と思った。
私達はそのまま歩きつづけ、セントラルパークで昼寝した。

でもあれから6年、今ならわかるんだ、彼が本当に言いたかった事が。
「大きな幸せ」じゃなくて、「小さな事にも幸せを感じるようになる」
という意味だったんだ。

朝の光と小鳥のさえずりだとか、
昼間の太陽だとか、
青い空だとか、
きれいな空気だとか、
コンクリートの間に咲いた花だとか、
同僚にもらったカップケーキだとか、
友人が貸してくれたCDだとか、
ひさしぶりにもらう手書きの手紙だとか、
夜観て泣いてしまうビデオだとか、
ふかふかのふとんだとか、
満点の星空だとか、
満月だとか。。

そんな「小さな事」に感謝できる事、それこそが彼の言う「大きな幸せ」だったのだ。

セントラルパークの芝生の上に寝そべりながら彼は、
「僕のガールフレンドに今日の事は内緒だよ。ヤキモチ焼きだから。」とウインクした。




2002/3/27/WED
[愛する者を失った時]
When you lose a person you love, you gain an angel you know.

「愛する者を失った時、知り合いの天使がひとり増える。」


私は、いつも「死」を恐れている。

別に自分が死ぬことが恐いわけじゃない。

自分の大切な人たちの死が、こわい。

いつの日か必ず、物理的に、自分のそばからいなくなる日がくる。

家族や友人が飛行機に乗るという度に、落ちたら。。と思うし、

旦那の寝顔を見ながら、このまま目を覚まさなかったら。。。と思ったりもする。

彼らが私のまわりからいなくなるのは、こわい。

二度と会えないかもと思うと、こわい。

でも。。知り合いの天使が増えるのは。。いいな。

いつくるかわからない「死」におびえながら生きて行くより、よっぽど、いいな。

天使になって守ってくれるから、今を一緒に、一生懸命、生きようか。

みんなにとって、自分にとって、「死」とは、

そういうものであってほしいと、願う。




2002/3/14/THU
[ぽっかり穴]
NYに行ってきました。
FBIからテロ警報が出ている日に、エンパイヤに上りました。
エンパイヤから見たダウンタウンに、双子のタワーはありませんでした。

そこだけぽっかり穴が空いていて、
NYの心には、ぽっかり穴が空いていた。。

自分の心にも、小さな穴がぽっかり、空いている。。

小銭を貯めた赤い財布を盗まれた時も、
お気に入りのセーターが乾燥機で縮んだ時も、
湾岸戦争に出動すると言われた時も、
愛犬サミーが天国に旅立っていった時も、
あの人が部屋を出て行った時も、
私の心には、ぽっかり穴が空いた。

WTCのあった場所に何を立てたって、WTCの変わりにはならないし、
ましてやそれが穴を埋めてくれるわけでもない。

でも、苦しい思いをした分、心が大きくなって、
その穴を受け入れながら、人は生きていくんだよね、きっと。。

水を洗浄してくれる備長炭の穴のように、
なんでも吸収して、なんでも排出するスポンジの穴のように、
心が「意味あるもの」になるための穴、になっていけばいいな、って思うよ。

悲しみを背負っただけの、穴じゃ、なくてさ。




2002/3/4/MON
[写生大会]
写生大会で賞を取るのは、簡単な事だった。
きれいにさえ描けば、賞はとれた。
小学校1年から5年まで、ずっとそうだった、
それを当たり前だと思っていた。
小学校6年の写生大会、初めて賞をとれなかった。
賞をとったのは、けっして上手とは言えない作品達だった。
上手ではない、だけど、子供の目からみても、力のある、生きている作品達だった。

その時、差を見せ付けられた。これが表現するという事なんだと思った。
自分にはとくに表現したい事がなかった。作品に意味がなかった。
描きながら、楽しくもなかった。
それを見抜いていた担任を、悔しいけど、いい先生だと思った。
私はあの時以来ずっと、表現する事に執着している。
いつでも自分の表現したい事を、真実を、模索してきた。
選ばれる事のなかった私の作品を、自分は超えているのだろうか?
ただきれいなだけだった、中身のないあの作品を、超えているのだろうか?
あの作品がライバルであり、原点でもある。
でも振り返ってみて思う。
あの日の自分からは、もう卒業したんじゃないかな?
賞はとれないけど、表現したい事がある、伝えたい事がある。
それが大事なんだって、わかったから。

17年たった今、私はやっと小学校を卒業できる。




2002/2/21/THU
[夢]
カリフォルニアLOTTO、全米1の宝くじ。
2002年2月16日、土曜の最高金額は$170Million、約220億円。
金曜に、仲間と$50づつ買った。
1プレー$1なので、1組50プレー。
今回は仲間4組が参加したので、当たる確立は4倍に増える。
配当金は4分の1になる。でも当たれば喜びが4倍になる。
これほどおもしろい事はない。
夢を買った。

私たちはまだ手に入ってもいないお金の使い道を、あれこれ語り合う。
ビジネスを始める。
とにかく会社を辞める。
その後の事はカクテル片手に南国の海を眺めながら考える。
家を買う。
ニューヨークのトランプタワーの最上階と、
東京に一軒屋とカリフォルニアのコースト沿いに一軒。
親の家のローンを返してついでにもう一軒買ってあげる。
兄弟にも買ってあげる。
友人に車を買ってあげる。
ギャラリーを始める。
自費出版で自分の思ったとおりの本を出す。
カフェを始める。
ライブハウスを始める。。。

話はつきない。
「当たったらどうしよう〜!」と、どうしようもない事を口にする。

でも話しながら気がつくんだ。当たらなくても、できる事はある、って。
トランプタワーの最上階は買えないけど、
ニューヨークに引っ越してトランプタワーを眺める事ならできる。
その気になれば本は出せるし、ビジネスを始める事だってできる。
宝くじが当たったらという架空の話の中で、私たちは夢の再確認をする。
情熱と行動力と覚悟さえあれば、できない事なんてない。
これほどおもしろい事はない。

LOTTOの結果はいつも、TRY AGAIN だけどね。




2002/2/16/SAT
[書く]
こんにちは。初めまして、KANOです。
前回はあいさつもなしに失礼致しました。
ここでコラムを書かせていただく事になって、
とっても嬉しいです♪
同時にちょっと緊張しています。
どうぞ宜しくお願い致します。

「書く」事、それは私にとって、生きている証。
私の中を通り過ぎていく、たくさんの感情や思いや言葉が、
私の生きてきた過程。
だって、通った瞬間に、それはもう過去になっている。
その瞬間瞬間を書き留めないと、忘れてしまうのです、私。
だから、書くのです。

やっぱり人って、その瞬間瞬間で変わっていると思うのです。
人の発するエネルギーが、ぐるぐるぐるぐる回っていると思うのです。
いろんなエネルギーだったりします。
まんまるかったり、トゲがあったり、ネガティブだったり、ポジティブだったり。
川が濁らないのは、絶えず水が流れているからだと言います。
人も絶えず変化している。それでいいと思うのです。
昨日より今日、今日より明日、自分が少しでも向上していたら、
それはすてきな事よね。

激しい水の動きが発する、マイナスイオンのエネルギーが好きです。
ストレスをとってくれて、癒してくれて、どこか懐かしくて。。
私も、そんなマイナスイオンになれたらいいな、って思う。
私の書く事が、誰かの小さなマイナスイオンになれたらいいな、
そう思って、このコラムをAQUAと名付けました。

もし私のイオンとあなたのイオンが、
少しでも触れる事があれば、
どうぞ、教えて下さい。
待っています。




2002/2/14/THU
[バラとひまわり]
アメリカ生活の長い私にとって、
バレンタインと言えば、チョコよりバラ。
贈るのは彼、もらうのは彼女。

記憶には、バラを贈られた事が何度かある。
黄色いリボンのかかった20本くらいの花束だった事もあるし、
一輪の真っ赤なバラだった事もある。
好きな人からの贈り物だった事もあるし、
好きじゃない人からの配達物だった事もある。
嬉しいとは思ったけど、ありがとうって気持ちは確かにあったけど、
心がしびれた事はなかった。
バラにワインとキャンドルライトなんて、逆にこっぱずかしくて居心地が悪い。
第一、私はバラよりひまわりが好きだ。

3年前につきあいだした日本人の彼は、日本人らしく(?!)
彼女に花を贈るような人ではなかった。

でもある日、会社のろうかを歩いてくる彼が、真面目な顔して私にこう言った。
「KANOの好きなひまわりが落ちてきたから、拾ってきたよ。」
そういって差し出した手に握り締められていたのは、
大きな黄色いガーベラだった。。
きょとんとする彼の前で、私は大笑いした。

この日はバレンタインデーではなかった。
でも私はこのとき、この人と結婚するんだと思ったんだ。