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テレビ局のAD、代理店のディレクター、コラムニストと業界を渡り歩き現在執筆活動中の薫さん。。
一味違うコラムをお願いしました。 |
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PROFILE
NAME:KAORU
血液型:A
星座:牛
出身地:岐阜県
名古屋の専門学校卒業後、地元テレビ局でADに→東京の広告代理店に就職→退職後カナダに逃亡(留学)→現在OLさん兼自称物書き(執筆活動中)
好きなもの:本、言葉の羅列、音楽、カナダ、秋・冬、経堂の居酒屋(笑)、ピアノ、大切なお友達、ポジティブな自分
嫌いなもの:うわべだけの付き合い、嘘、ネガティブな自分
■ご意見ご感想はこちらまで≫kaoru
■KAORUさんのサイト:alex.com
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2004/5/26/WED
[旅立つ人]
もう4年ほど前になるだろうか。
私は突然思い立ってカナダへ留学した。
漠然と、何かを変えようと思っただけ。
ただ、自分の暮らしていた枠から一度、飛び出そうと思っただけ。
つい一週間前、私に良く似た男の子がイギリスに旅立った。
高校時代の後輩で、明るくて活発で、ちょっと考えなしな子だった。
高校卒業後、東京の専門学校に進学して、なんとなく東京に犯されていた。
「あんな田舎帰れないよな」とか、「やっぱり東京じゃないとな」とか。
そんな、おかしな言葉を良く吐いて私を苦笑させてくれた男の子。
良くも悪くも、田舎から東京に出てきて弾けてしまったようだ。
卒業しても就職はしなかった。
需要と供給のバランスが良くない仕事を目指していたから、
就職できなかったのかもしれない。
でも、その頃の彼は、やりたいことをしようとする気力よりも、
ただお金を稼いで遊ぶことに懸けていたような気がする。
「今はさ、やっぱりいろんな経験しなきゃいけないし。色々やりたい仕事はあるんだけどさぁ」
彼がそんな台詞をはいていた頃、私はカナダに発った。
それ以来、会っていない。
一ヶ月ほど前、数年ぶりに彼と話をする機会があった。
驚いたことに彼は、あんなに毛嫌いしていた田舎に帰っていたのだ。
田舎の小さなイタリアンレストランでアルバイトをしているという。
留学資金を稼ぐために。
「なんで?どうしちゃったの」
「海外、行きたくてさ。なんとなく。一応語学留学なんだよ」
「へえ、また君らしい。いっつも先が見えないよね」
「あなたも一緒でしょ。先が見えない生き方はさ」
そういわれればそうだ。
私自身、あちこち生活のステージを変えて、仕事を変えて。
でも、やりたいことだから先が見えないことも全く不安じゃなくて。
カナダに行ったときも、帰国後のこととかどうでも良くて、
ただ、何かあると思ったから、行ったのだ。
今でこそ、やりたい事と、やっていこうと思う仕事とのバランスが取れてきて、
充実した生活を送っている自分。
でも、昔の私は彼に良く似ていた。
「あなたと俺は、本当によく似てるよ。そう思う」
「そうだね」
「だったら俺も大丈夫じゃない?心配要らないよ」
彼は高らかに笑いながらそう言ってのけた。
そうだね。心配要らないや。気をつけていっておいで。
ある日突然、日本を飛び出そうと思った自分を見送るような気持ちで電話を切った。
今彼は、マンチェスターで変化を遂げているはずだ。

2004/4/5/MON
[難しい話]
文春の事件は興味深かった。
プライバシーの侵害だと訴える人と、
表現の自由、出版の自由をかざす人。
各新聞社も揃って社説なんかで書いていたが、意見は分かれていた。
それはそうだ。もちろん、賛否両論いろいろ有るだろうと思う。
さて、趣味とはいえネットで文章を書いている私。
文春とは立場が大いに違う。それはそうだ。私は会社じゃないし、お金もからまない。
売らなければならない。読んでもらわなければならない。
そういう立場じゃない。
でも、だ。書く人間として必要最低限のことを気にかけるのは、
プロでもアマチュアでも同じだと思うのだ。
言葉を凶器にしない。絶対に。それを振りかざして人を傷つけたりしない。
言葉の操り方、文章の内容で人は十分傷つく。
銃やナイフが体を傷つけるのと同じように、その人の気持ちを傷つけるのだから。
意図的にしないのはあたりまえだとしても、
結果的にそうなってしまった場合でも、やはり深く反省すべきだ。
表現の自由や出版の自由はそういう根本的なものを蔑ろにしてまで、
守られるべきものではない。
個人の思想や、考え方は別として・・・。
今回の文春の記事は、果たしてどうなのか。
書かれた人は、私人だ。
親は政治家で、有名人で、良くも悪くもネタとしてあがりやすい。
でも、書かれた人は政治家でもなければ芸能人でもなくて、私人。
それに、公の出版物に果たして書くほどのことだったのだろうか?
その記事で、出版の自由や表現の自由をかざして戦っても説得力無いぞ。
と、思ってしまう。
多くの人に読まれたい。売りたい。
それはあたりまえだと思う。
でも、考えて欲しいのは、その影で泣く人がいるってことだよ。
ゴシップは楽しいのかもしれない。でも、絶対誰かを傷つけてる。
今回の件で、不服だ何ていう前に自分たちの書いている記事、やったこと、
ちゃんと考えて欲しいと思った。
それから、私も思った。
表現の自由って、なんだろう?

2004/1/28/WED
[手帳]
昔から、手帳を手放せない性質だった。
高校時代からずっとだ。
初めて買ったのは、確か中学生のとき。
当時、アマチュアバンドの作詞を担当していた。
そのバンドは、私が住んでいるところとは随分離れたところで活動していたから、
デモテープと譜面を送ってもらって、詞を書く。そういう、ちょっと不便だけれど楽しいものだった。
バンド活動は活発で、新しい曲もどんどん出来てくる。
「この曲、次のライブでやりたいから、宜しく」
なんてことを言われることも多く、これは手帳が必要だ!
なんて、半分格好付けみたいなものだったけれど、手帳を購入。
あの頃からもう随分経った。
高校時代は部活の予定と、バンドの活動予定。
専門学校生の頃は、校内イベントの制作スケジュール。
社会人になったら仕事の予定。
予定を書き込むのは当たり前なんだけど、
歳を重ねて、ライフスタイルが変わっても、ずっと書いていることがある。
それは、自分の言葉。
日記でもなく、詞でもなく。何となく思いついたものを、思いついたときに書き込んでいる。
感情なのかもしれない。
昔の手帳は、捨てられずにずっと保管している。
偶に見て、自分がそのときどういう動きをしていて、どんなことを感じていたのか、確認したくなる。
ネガティブなとき、ポジティブなとき。怒った字、やさしい字。
自分を見失ったとき、自分から学べることも多い。過去の自分から。
今日も手帳を開いて、言葉を書きとめる。
未来の自分が、これを読んでまた、学んでくれるかもしれない。
なんてことを考えながら。

2003/12/2/TUE
-11〜12月のテーマ『これが私の生きる道』-
[これが私の生きる道]
ふらふら、ふわふわ、うだうだ・・・そんな風に生きているつもりはないが、
傍から見たらそんな風に生きているように見えるかもしれない、私。
でも、自分としては、さくさく生きているつもり。
やりたいことが目の前に見えたらそれに真っしぐらな性格なのだ。
仕事にしても恋愛にしても、『これだ!』と思ったら、即行動。
故に、後になって失敗することも多々ありなのだが。
物書きを諦めたかと思えば、それだけに生きようとしたり、
新たに何かに挑戦したり。私の日々は暇そうで案外忙しい。
誰か一人に固執したかと思えば、愛想を尽かすのも意外に早かったり、
また新たにすてきな人を見つけて、押しに押してみたり。
私の恋愛も、意外と騒がしい。
昔、知人が私に言った言葉。「忙しくない時がすまないんだよね」
ってのは、案外当たってるなぁって、最近思う。
これって、仕事が忙しいとか、恋愛が忙しいとかじゃなくて、
気持ちが忙しいって言う意味なのだろうと、解釈している。
気持ちが平穏無事。これって大切なことなのだろうけれど。
でも、私の場合は常に気持ちが騒がしい方が、生きてるって感じられて好きだ。
仕事で滅入るのも、恋愛で泣くのも、人生悩むのも、有りだ。無きゃ困る。
人それぞれ、人生ってのは混沌としていて、
渋谷のスクランブル交差点並に色々なことがごちゃ混ぜになっていて、
案外、他人の振りですれ違った人とどこかでリンクしていたり、
疎遠になった夢と、ふとした瞬間出会ったりして。
そんな騒がしい人生。それが、私の生きる道。

2003/11/10/MON
[何処かに辿り着く筈の船]
鳴らない電話を待ち続ける日々が続いていた。
約一年、そんな毎日が続いて、平気な振りをしていてもどこかで、
頭の中のどこかで、もう無理だよって悲鳴を上げていた気がする。
頭のどこかに響いていた悲鳴が、口をついて出たとき、
私は大切にしていた恋人と別れた。もう、無理だった。
恋愛って、行き先不明の船に乗っているようなものだなぁって思う。
例えば、ついこの前まで私って云う船は、
その恋人との結婚や一緒の人生に向かって進んでいたのに、急に傾いちゃって。
我慢したり格好つけたり、素直じゃなかったり。
そうして自分を偽って相手にうまく自分を見せていたから、傾いた。
船のエンジンはプスプスと音をたてつつあったし、
きれいだった甲板もちょっと自分にしては広すぎたような気がする。
豪華客船を気取ってはいたものの、欠陥だらけの私の船。
船が壊れかけてやっと、自分がいっぱい勘違いをしていたことに気が付いた。
今の私は、古くてちっちゃい船に乗っている。
行き先は不明。ただ、ぼうっと漂っている。
でも、次にどこかへいくとするならば、このままの、ありのままの船で。

2003/10/18/SAT
[居場所探し]
例えば、ここが自分の居場所でないと感じてしまったとしたら、
次の居場所はどう探したらいいのだろう。
自分のいる場所以外、居場所なんてないのだけれど。
それでも、ふと、この場所は違うと感じるときがある。
慣れた職場や、住み心地の良い住居。
すばらしい友人や恋人。
多分、とても恵まれた環境で苦などなくて。
偶にある少々の悩みなんて、大したことなくて。
例えば、恋人とあまり連絡が取れないとか友人と喧嘩してしまったとか、
仕事が思うように出来なかったり、駅からの帰り道を長く感じたり。
そういう些細なことなんて、どうでも良くなってしまうくらいの恵まれた今。
そういうものに違和感を感じる。
居場所なんて、自分がいるところ以外には、ない。
解っている。それでも、どこかにもっと何かがあるような気がして。
こういう風に思うときは、決まって、逃げ出したいときなんだと思う。
絶対的な何か、それともどうにもならない何かから。
もしかすると、怠惰だったり強情だったりする自分から、
一番逃げたいのかもしれない。
そんなことを考えながら本屋に寄る。
地球の歩き方や洋書なんかを眺めながら、気持ちを落ち着ける。
とりあえず、ここが居場所だと、逃げるなと言い聞かせて、本をおく。
私はまだ、ここから逃げ出すわけにはいかない。

2003/9/17/WED
-9〜10月のテーマ『携帯電話の向こう側』-
[その向こうに]
はじめて携帯電話を手にしたのは今から7年程前。確か。
まだ、その頃は携帯でメールなんてできなくて、ましてやカメラなんて。
携帯電話を持ったものの、そんなに大して必要じゃなかったとき。
それからだんだん携帯電話が進化して、メールができて、ネットができて。
今はカメラも動画も撮れる。
街では、子供が新しいおもちゃを与えられたように、
携帯電話とにらめっこする人たちが急増。
私は、携帯電話が嫌いではない。時々鬱陶しくなるけれど。
最新機種に変更したり、会社そのものを変えたりすることも良くある。
一つの電話番号に、長いこと固執しない。
これは、時々感じる『鬱陶しさ』から来るものだと思っている。
携帯電話=おもちゃ。昔からそんな風に思っていた。
なんて便利なおもちゃだろう!って。
それが、どうしても必要で、重要なものだと思ったのはつい最近。
恋人が海外に行ってしまってからだ。
彼はその土地で携帯電話を持った。そしてその番号を教えてくれた。
自宅から、彼の自宅へ国際電話をかける。
それが当たり前なのかもしれないが、至極厄介なことである。
時差がある私たちは、2人が同時に自宅にいる時間が極めて少なくて、連絡が取れない。
そんな時、2人とも携帯電話を持っていた。
どうしても、話がしたい瞬間がある。
メールではなく、声が聞きたい瞬間。
言葉を交わしたいとき、それができないもどかしさは堪らない。
電話代が。とか、そんなことどうでも良くて。
携帯電話で国際電話をかける。日本とは違う呼び出し音。
日本語ではない言葉で相手が電話に出る時、私はとても安心する。
それが確実に、聞きたい相手の声であることに、安心するのだ。
おもちゃみたいに扱っていた携帯電話が、大切なコミュニケーションの道具に変わった瞬間。
容易に連絡が取れて、鬱陶しく感じることは今でもある。
それでも、携帯を常にもっている理由はひとつ。
大切な人たちから発せられるものを、確実に受け取りたいから。
その向こう側から聞こえる声。それがある限り、この道具はおもちゃじゃない。

2003/6/17/TUE
[恋人で居ることの難しさ]
片思いよりも、両思いのほうが怖い。
それは、この歳になってようやく思うようになったこと。
昔は、「両思いなんて、恋人同士だなんて、羨ましい」そう思っていた。
喧嘩をしても磨り減っても、恋人同士のほうが羨ましかった。
片思いなんて不毛で、しかもそれが叶わないものに為れば為るほど苦しくて。
早く恋人同士になって、誰の目も憚らずこの人を恋人だと云いたい。
そうして、焦って、苦しんで、誰かを必死で好きだった。
恋人同士は切ない。
ただ好きで苦しんでいたときよりも、ずっと切ない。
そして、怖い。
喧嘩別れが怖いんじゃない。
磨り減って疲れることが怖いんじゃない。
相手を思う気持ちが、大きくなりすぎること。
その『大きさ』が、どこかで相手を縛り付け、傷つけてしまうのではないか。
それが、怖い。
ただ、好きでいるだけでいいじゃないか。と、自分に言い聞かせる。
根拠の無い不安など、いらないじゃないか。と、思おうとする。
相手を思いながら、自分も大切にして、尚且つ2人の未来も考えて。
人間、そんなに器用じゃないからどこかに皺寄せが来る。
その皺寄せが、時として、相手を傷つけることもある。
恋人として関係する以上、絶対に傷つけないでおこうとしても、知らず知らずのうちに。
気をつけよう。そう思ってまた無理をする。
相手を優先させすぎて、自分が苦しくなる。
結局は、傷つけないこと、傷つかないことを心がけても、それが幸せかどうかはわからない。
その『傷』が後々の幸せになるのかもしれない。
自分も好きで、好きになってもらえて、恋人同士になって。
幸せだけれど、とても怖い。
それまで「好きだ。好きになって欲しい。恋人になりたい」だけで済んでいたものが、
もっと複雑に、困難になる。それが恋人同士なのではないかと思う。
乗り越えて乗り越えて、その先に待っているものは結婚なんて具体的なものではなく、
また、複雑さと困難。
それでも、恋人同士で居ることで得るもの、学ぶもの、そして何より幸せがあるから、
また乗り越えて、乗り越えて。
たぶん、それが恋人。とても難しくて愛しい繋がり。

2003/6/9/MON
[のんびり]
今朝、目が覚めたら8時だった。日曜。
休みとなると9時10時まで眠っていたのが、珍しく。
室内犬がクンクンと泣くのが下階から聞こえるので、早速散歩に。
晴れ渡った日曜の朝。気持ちがいいと、しみじみ思うのだった。
家に戻り、台所を片付けた。それから、軽く朝食を取る。
そういえば、日曜日にこんなにのんびりするのも珍しい。
等と思いながら。
最近、就業後に飲みに行ったり、休みの日は外出したり、
そういう、別に体力的に辛くはないのに、何となく忙しない日が多かった。
友人と出かけたり、家族で外食したり。
家族は其々に外出。
うん。本当に今日は1人だ。そう思うと、年甲斐も無くワクワクした。
丁度、小学生がお留守番を頼まれたときみたいに。
家族と同居している身、こういうことは珍しいのだ。
朝食を済ませ、部屋の掃除に取り掛かる。
とはいえ、そんなに広くは無い部屋、あっという間に片付いてしまうのだが。
次は・・・と思いつつ庭を見ると、熱そうにな転んでいる我が家のペットを発見。
久しぶりに洗って、虫除け用のパウダーをふりかけてやる。
犬を洗い終わって、大好きな映画のDVDを見つつ、このコラムを書いている。
のんびりとした、休日。うん、悪くない。
気詰まりではないけれど、人と触れ合うことによって起こる疲れってあると思う。
それがずっと抜けなかった。
ストレスという程の物ではなくて、なんか、人中りしている感じ。
職場の人、家族、友人。人と関わることは嫌いじゃないし、大切なこと。
でも、本当に1人で、したい事をし、のんびりと過ごす日も必要だなぁって思う。
勿論、ダラダラと怠惰に過ごすのではなくて、自分にとって有意義なことをしつつ。
でも、のんびりと。
コラムを書きながら考える。
さて、この後は何をしようか?
とりあえず、部屋のあちこちに飾ってある写真立ての写真を入れ替える。
それからは、またのんびりと考えよう。

2003/5/22/THU
[田舎]
私が今住んでいる土地に移ったのは幼少の頃。
多分、幼稚園くらいのとき。あまり良く覚えていない。
転勤族だった父にくっついて、関東のほうから岐阜の田舎に引っ越した。
それから数年後、私が小学校3年生のときに、山の中に家を立てた。
同じ市なのだけれど、それまで社宅があった場所とは明らかに違う山の中。
そこは、中部地方の人なら知っているような観光地に程近い場所。
・・・というよりも、殆ど観光地。
山と云っても、ちょっと高台といったほうが正確なのかもしれないが、周りは木。
見渡す限り、木。どこ見ても、木。更に家の前の道路は砂利道。
でも、15分も歩けば渓谷の綺麗な景色を拝める。
なかなか素敵な場所だった。
駅まで行くにもバスか車でないといけないような、そんな所に住んで、
もう20年近くになる。
小学校も中学校も、高校も凄く遠かった。
でも、全く苦にならなかったのは、そののんびりとした街の雰囲気のおかげだ。
途中、東京に出たり海外へ行ったりしても、矢張り此処に帰ってきてしまう。
都会でどんなに馬鹿にされても、慣れ親しんだ田舎が、私は大好きなのだ。
時が経つとともに、駅舎も駅前の商店街も、ちょっとづつ変わった。
小奇麗な建造物が多くなって、それまであった古めかしいお店がなくなって。
名古屋への通勤者が増えて、ちょっと垢抜けたような気もする。
私が越してきた頃に比べると。
私の家の周りにも家が立ち、ご近所さんがいっぱいだ。
木が、だんだんと少なくなって、昔良く見た狸も、今では見られない。
観光地はちょっと草臥れてしまった。
小さな遊園地も、あまりお客さんがこなくなってきてしまった。
決して都会にはならない場所。
でも、時代の流れとともに確実に便利になってきて人が増えてきた場所。
田舎の良い部分を殺ぎ落として、人を受け入れる街。
ちょっと散歩に出かけた、その草臥れた観光地で、
今でも大好きなはずのこの街を、切なく感じてしまうのだった。

2003/5/14/WED
[時事ネタ]
毎晩11時からのニュースは欠かさず見るようにしている。
最近の関心事は「有事法制」だ。
まだ的確に説明したり、語ったり出来る程理解できていないので、
これに関する説明や意見をコラムにすることは出来ないのだが。
さて、昨日もいつものように、ニュースを見ていた。お気に入りの『ニュース23』だ。
そこで、有事法制に関する街頭インタビューが流れた。
「有事法制って知ってますか?」
「え〜、しらなーい。なんか空から降ってくるやつ?」
・・・・。
こんな人が結構いた。
人其々関心後とは違うので、知らなくてもいいとは思うのだが、
全く知らないというのは如何なものか?
『聞いたことは有るけれど、なんとなくしか解らない』くらいは、
云えても良いような気がするのだ。
100%、それこそ評論家のような説明など出来なくてもいいから、
せめて、ちょっと的を得ている、
ちょっと知っているくらいの状態でいたほうがいいのではないか。
私も昔は、政治とか国会とか、全く興味が無かった。
だって、いくら興味を持って「それは可笑しい!」と声を荒げても、
日本の政治家には届かないのだ。
私たちの知らないところで、大層な事がどんどん決まってゆき、
国民である私たちは蚊帳の外。
そんなものに興味を持っても仕方が無いと思っていた。
でも、その姿勢がまず宜しくないと思ったのは、カナダに留学してから。
向こうで知り合った韓国や中国、カナダの友人は自国の事柄に関して熱心だった。
(勿論、対日本の問題にしても関心を示していたが)
私はなんと無知なのだろう。と、恥ずかしくなったのだ。
それから姿勢を変えた。
どんな問題であろうと、興味を持って知ろうとしなければ、いけない。
だって、私はこの国の人間なのだし、関わりがあるのだから。
声が届かない、反映されない、といっても私は日本国民なのだから。
『たまちゃん』とか『白装束』とかそういうものに興味が行くのはなんとなく解る。
これはリアリティある事柄で、「ふんふん、なるほど」って素直に頭に入ってくる。
昨日も、小学生の男の子がガソリンのようなものをかけられて火をつけられた。
などという非常に悲惨で腹立たしい事件がおきた。
そういう事件は、どこか身近で感情移入しやすい。だから見入ってしまうのかもしれない。
でも、政治なんかの話になると、何でこう現実味が薄らいでしまうのか。
実際私達の身に降りかかってくる問題であるというのに。
あまりにもリアリティが無いからだろうか。
『有事』なんて、抽象的過ぎて想像もつかないからだろうか。
でも、私にはリアリティのない、重大事件だと思うのだ。

2003/5/2/FRI
[カワイクナイオンナ]
古いボロボロのジーンズに色気の無いTシャツ。
それが私の仕事着だった。
ヒップバッグに油性ペンやカッター、はさみ等。ベルト部分にガムテープ。
首から下げたストップウォッチと、ジーンズのポケットに丸めて入れたタイムテーブル。
朝しっかり化粧をしてきても、仕事中には落ちてしまう。
せっかく伸ばした髪も、邪魔になるから切ってしまった。
それがADやってる女の宿命なのかもしれない。色気も何も無い。
テレビ業界なんて、ちっとも華やかじゃなかった。
それどころか惨めになることのほうが、私には多かったのだ。
綺麗な女性アナウンサーやタレントと一緒に仕事をしているのに、
私ときたら、この格好。同じオンナと思えない。
だから余計、性格までひねくれていたように思う。
例えば、このボロボロの服でなければ、恋人と二人でいるときは、まっとうに女だ。
でも、女として見られないことのほうが、圧倒的に多かった。
卑屈になっていたな、と今では純粋にそう思えるのだが。
もともと、選曲を担当するということで入った会社。が、入って直ぐに出向させられADに。
正直、一番したくない仕事だった。でも、テレビの現場がわからないと選曲の仕事はできない。
そう思って必死だったが、矢張り打ちのめされた。
私のオンナの部分が、抵抗する。こんなボロボロじゃあ、ちっともスタイリッシュじゃない。
若かった。世間知らずだった。馬鹿だった。
今じゃあの頃の自分が情けない。
どんな格好でも、どんな職種でも、一生懸命やってる人はキレイなのに。
今でも可愛気にはかけるが、当時は本当にカワイクナイ女だったと思う。
それは、仕事に対する姿勢や、職種だけで自分を卑下していたことが原因。
あんなカワイクナイ女には二度と戻らないと誓う今日この頃である。

2003/4/2/WED
[忘れた頃に]
私の大好きな物の中に、ピアノがある。
幼稚園の頃から、姉と一緒に使ってきたピアノ。
ピアノ教室に通っているときはダイッキライで、何時も辞めたいって思ってた。
小学校3年生の頃、私の練習曲はピアノ教本の『バイエル』ばかり。
私より先に習い始めた姉は、もうちゃんとタイトルのついた曲を練習していた。
その頃の私にとって、バイエルなんてつまらなくて、全然音楽っていう気がしなくて、
姉の練習曲が凄く羨ましかった。
自分の練習曲なんてそっちのけで、好きな曲だけを練習した。
お陰で、毎回先生には怒られっぱなしだったけど。
中学に上がると同時に、ピアノの先生が引っ越してしまい、私はピアノを辞めた。
発表会に出なくてもいいし、毎日練習しなくても良くなった。
「あ〜、すっきりした!」
これが、辞めた当時の率直な感想。
その後、ピアノに触らなかった。触る気がしなかった。
ところが、辞めて一年程経ったとき、突然弾きたいと思った。
ショパンやモーツァルトの楽譜を買ってきて(弾いたことも無いのに)毎日練習。
誰に聞かせるわけでも、発表するわけでもなく、弾くことが楽しかった。
ピアノと同様に、私は勉強もダイキライで、試験前にしか勉強をしないお気楽人間だった。
好きな教科は、授業中にしっかりやって、家に帰ったらな〜んにもしない。
そんな学生時代をとうに終わった今になって、私は歴史やら語学やらを勉強している。
しかも、「うわ、たのしーぞこれ!」とか思いながら。
ピアノと同じである。忘れた頃に面白さを実感する。
要するに、教えられているときはその物の楽しさとかっていうのが解らない。
興味を惹く物だと感じられないのだ。
『教えられてる』っていうスタンスで挑んでいるからだと思う。
今は、教えられていないし、勉強にも追われていないから凄く余裕を持っている。
だから、知りたいこと、勉強しようとしなかったことが、今になって凄く面白い。
大人になっても勉強って出来る。本を読んだり、新たな人間関係の中で。
教えられているわけじゃなく、知りたい知りたいっていう欲求で。
確かに、若い頃と違って覚えは悪いし新鮮でもないけれど。
それでも、人はいくつになっても学んでいける生き物なのだなぁ・・・と、身を持って感じる。
ま、学生時代に勉強しなさ過ぎだっただけかも。私(笑)

2003/3/19/WED
[人生の再構成]
最近、目に見えて不安定だ。
情緒不安定どころの話ではなく、不安定の極み。
以前も書いたとおり、私は様々な病と共に生活している。
リストカットやPTSDや、鬱なんかといっしょに。
最近はもうなれてきて、うまく病と生活している。
しばらく治まっていたはずのリストカットが、最近酷い。
夜も寝られない。訳も解らず泣いたりする事がしょっちゅうある。
今、私は幸せで、恋人と二人だけの話であるにせよ、婚約もした。
カナダと日本という距離に関係なく、守ってくれる人が居るのだ。
幸せだ。とても。恵まれている。
だから余計に、不安定になっていくのかもしれない。
言ってしまえば、これは焦りだと思う。
恋人が帰国する前に、様々な病気や過去をどうにか消化しておきたい。
そういう思いが強い。あと半年も無い。だから焦っている。
過去は急に消化できない。それを解ってはいても、焦る。
彼は、焦らなくてもいいという。先は長いのだから。と。
でも、私自身がそれを許さない。
焦りながらいろいろなことを考える。だから不安定になる。
一気に全部の事を整理しようとしてパニックになっているのだ。
なれない仕事を一気に押し付けられている気分だ。しかも、期間限定で。
正直苦しい。どうしていいかわからない。
過去が重い。日常生活の少しのことで苛々し、泣き、話すこともままならなくなる。
ちょっとのことで、フラッシュバックという現象が起こって、頭が真っ白になる。
私は考えた。必死で。そしてひとつの答えを見つけた。
それは、過去を再構成するということ。
整理して、ちゃんと受け止めること。そして、何が悪くて、何が糧になったのか、
自分自身に解らせること。更に、客観的に文章として書くこと。
私にはWEBという武器がある。
ホームページもメールマガジンも、ショコラだってある。
この25年を文章化する場所がいくらでもあるのだ。
人の目に晒さなければ、客観的に書いてそれを受け止めることはできない。
日記みたいに私的な文章では感情が大半を占めてしまうから、今までと何ら代わりは無い。
だから私はメールマガジンというステージを選んで、そこで再構成を試みている。
今後、新しい人生をはじめるであろう自分のために。
私に限らず、人はそれぞれに過去を持っている。
それは平凡であったり、波乱万丈であったり、人によって違うのは当然だ。
何かの節目として、新たな生活の前に再構成してみるのは自分にとって必ずプラスになる。
もしも、何かに行き詰まり、右往左往しているのなら、自分の今までを再構成してみると、
何か新しいものが見えてくると思う。

2003/3/12/WED
[才能に関係なく]
最近精力的にモノ書き活動をしております。
1.サイトのリニューアル
2.サイト上での日記執筆
3.メルマガ発行
4.もちろん、ショコラのコラム
という具合で、いろいろな所で、いろいろな文章を書いております。
小説を書くときは、過去の色々な経験を引っ張って別人格になる。
ショコラでは等身大の自分で、そのとき感じるものを感じるままに書く。
メルマガでは、時事ネタや自分の過去も含めて頭の中を再構成するようにしている。
日記はそれこそ雑記。思ったことや情けないことを書く。ストレス発散の為かもしれない。
書くことを仕事にしたい。
その一心で出来るだけ多くの人の目に、自分の文章を晒している。
ショコラを読んでメールをくれた人も居る。
決して多くは無いけれど、とても力になるし、書いていけるような気がするのだ。
それでも、書くにつれて「才能」という一文字が頭を掠めていくのだ。
書くことには、経験や思考、想像力、文章力、色々なものが必要だと思う。
でも、才能というものは自分で欲したからといって、手に入るものではないのだ。
書くことに対してネガティブになっているとき、私は「才能」に逃げる。
才能が無いから。とか、カリスマ性が無いから。とか、そんなクダラナイ言い訳をして。
そう、「才能」という言葉はただの言い訳に過ぎない。
よく○○%の努力と○○%の才能という言い方をするが、
私はその自分の努力の足りなさを見ないようにしているだけなのかもしれない。
「運や才能がないから、上手くいかない。カリスマ性が無いから共感がえられない」
そんなふうに考えていたことがある。
今思えば、馬鹿なことを。そう思う。
読んでもらえるだけでいいじゃないか。何か、少しでも感じてもらえればいいじゃないか。
私は、モノ書きを仕事としたいけれど、それで大成しようとか、人を動かそうとか、
そんな大それた事を考えるよりも、そんなこと以前に私は、
今WEBというステージで表現者で居られるという、この立場を幸運だと思いたい。
ショコラというステージで、素晴らしいライターの方々と同じ場で表現が出来、
Airing...というサイトで、何の制約も無く小説が書ける。
面識の無い人にメルマガを通して私を、その考えを知ってもらうことが出来る。
そして、日記でストレス発散!(笑)自分の道を残せる。
これで大満足ではないけれど、ショコラで書き始めたことによって、
私は表現者になったのだ。
お金にはならないけれど、仕事にもなっていないけれど、嬉しいと思う。
最近、精力的に活動する中、才能という言葉よりも、
表現者であることに誇りを持ちたいと思えるようになった。

2003/3/1/SAT
-2〜3月のテーマ『My Gift to You』-
[自己主張の激しい贈り物]
こっそり若者達を結婚させていました
今年のバレンタインデーは、何だか一風変わったモノになった。
私の家族は昔からイベントを大切にする人達で、
誕生日は勿論、父の日、母の日、クリスマスにバレンタイン、ホワイトデー。
その他諸々、とにかく『特別な日』を大切にする。
家族間でプレゼントを用意することが当たり前の環境で育ったので、
必然的に私もそうなった。
日本では、バレンタインデーというと女性から男性にチョコレートを渡すという、
何だかお菓子屋サンの陰謀であるかのような日になってしまっているが・・・。
本来は、まあ海外の風習で『Saint Valentine’s Day』という。
キリスト教司祭のバレンチノ(英語読みでバレンタイン)が処刑された日なんですね。
西暦3世紀のローマでは、皇帝クラウディウス二世により、結婚が禁じられていました。
まあ、これは若者が戦争に行きたがらない理由は「愛するものの傍を離れたくないからだ!」
という解釈から禁じたものらしい。
しかし、こっそり若者達を結婚させていた、キリスト教司祭であるバレンチノ。
それが皇帝に知られ、処刑されてしまった・・・と、簡略するとこんな所です。
だから、本来は「女性が愛の告白をする為にチョコレートを渡す日」ではなく、
「愛するもの同士が愛情を確認しあう日」という訳です。
さて、現在私の恋人は海外に居ります。さあ、何を贈りましょう?
日本の風習に則ってチョコレート・・・甘いもの食べない人だし。
もっとインパクトが有って、思いが伝わるもの。
超遠距離だから、会えないし、贈り物で自己主張をしよう!と(笑)
そこで、真っ赤なバラの花束を選んだ。
男性に花束を贈るなんて、何だか格好良い。そんな風に考えて。
海外の花屋のサイトにアクセスして、ボックス入りの赤いバラを2月14日指定で注文。
多分私はニヤけていた。「きっと驚くだろうな」そんな想像をして。
2月13日。日本時間でバレンタインデー前日に、恋人からカードが届いた。
男性からバレンタインカードを貰ったことなど無かったし、
何よりもいつもメールで話を済ませてしまう彼がカードを送ってくれたことが嬉しかった。
さて、私の目論見は外れて、彼は14日の午後、仕事で家を空けていた。
花屋さんから「何度訊ねてもいないよ!家にいる日を連絡頂戴!!」ってメール。
あ〜あ、折角びっくりさせようと思ったのに。
早速彼に電話をして、事の次第をつらつらとお話。この時点で花を贈ったことがバレバレ。
数日後、彼からメールが来た。
「殺風景な部屋を彩るバラの花」云々。
どうやら私の贈り物は立派に自己主張してくれているみたいです。

2003/2/14/FRI
[Books]
23歳の誕生日の日の朝、会社へ行くとデスクに文庫本が二冊、置いてあった。
書店のカバーがかかったままの、輪ゴムで括られた二冊の本。
マークトゥエインの「不思議な少年」と「人間とは何か」
「僕が一番影響を受けた本だよ。君ならわかると思う」
そう言って、その頃の職場の同僚がプレゼントしてくれた。
その時期の私は、どうにもならない自分自身と必死に戦っている最中だった。
同僚はそんな私の状況をよく知っていたから、だから尚更その本を選んでくれたのだと思う。
初めての本のプレゼント。
その頃付き合っていた男性には申し訳ないが、私はそのプレゼントが一番嬉しかった。
花束や高価な服、アクセサリーなんかよりも、余程嬉しかった。
それ以来、私は本をプレゼントするということをよくするようになった。
一昨年の春頃、私は姉に一冊の本を贈った。
当時話題になっていた「The Blue Day Book」だ。
育児や何かで、心身ともに調子の悪かった姉を毎日目の当たりにしていた。
結婚もしていないし、子供も持っていない私にはかける言葉が見付からなくて、
見ていることしかできなかった。だから、この本を贈った。
微笑ましい写真と、言葉の本。話題になったからという訳ではなく、私はこの本が好きだった。
もし私だったら、この本が欲しい。貰ったらとても嬉しい。だから贈った。
去年の私の誕生日。その日私は数ヶ月前に知り合った男性と会うことになっていた。
JR名古屋駅、セントラルタワーズの中にある大きな書店。
フラフラと彼を捜していると、目の前から緑の小さな紙袋を持った彼が現れた。
いつも会う時のように言う。お疲れ様。
そして、目の前にその紙袋が差し出された。誕生日おめでとう。そう言って。
そこから出てきたのは2冊の洋書。そのうち一冊は「The Blue Day Book」だった。
驚いた。とても。
自分が人に贈った物が、自分にも贈られたということが。
そしてそれが、私が欲しかった本だったことが。
その頃の私達は、お互いのことの半分も口にしていない筈だった。
私が、虚勢を張っているだけの、ただの弱い人間だということも、何も。
そんな、優しい本が必要な人間だと思っていたとは、到底思えなかったのに。
それなのに彼は、その本を選んで、私に贈ってくれたのだ。
ありがとう、とても嬉しい。そんなありきたりな言葉でしかお礼を言えなかったけれど。
本当はとても、とても嬉しくて、何故か奇跡だと思っていたこと。彼はきっと知らない。
そのとき、何となく、漠然と、この人とは一生の付き合いになると確信した。

2003/2/7/FRI
[自分との付き合い方を考えてみる]
ここ3、4年くらいで、鬱や引きこもりといった所謂「メンタル」的な言葉が
あちこちで聞かれるようになった。
女性誌にも「プチうつ」とかいって、取り上げられたり。
私個人としては「何で今更?」な感じでは有るが、大いに結構なことだ。
人は、他人との関係性を重んじるあまり、自分との付き合い方を蔑ろにしがちじゃないか?
ずっと、そんな気がしてならなかった。
私は、リストカッターだった。
もう何年も前から、精神科やら心療内科やらのお世話になっていた。
不眠症で、何かというと直ぐ不安になって、鬱の気があり、自分への攻撃性が強い。
理由は、勿論あった。家族の中での問題だ。
小さい頃から約10年にわたりゴタゴタとした家庭の中で、私はとにかく一生懸命だった。
私のお陰で、とは言わないが数年前からは極普通の幸せな家族として暮らしている。
父と母、姉とその夫、可愛い甥。とても幸せな環境で暮らしていると思う。
それでも何故か、私の不眠は治らなかったし、リストカットも止まらなかった。
些細なことでザクザクと傷つき、焦燥感に駆られ、イライラする。
こんなことは宜しくない。そう頭では分かっている。
頭の中は酷くロジカルで、計算しているつもりでいるのに、気持ちが言うことを聞かないのだ。
私は、私との付き合い方がわからなくて途方にくれる。未だに。
いや、分からないというより、この歳になるまで考えたことも無かった。
家族の中、様々な関係性の中、人との付き合い方を中心に右往左往してきた。
そして、何かあると自分を攻撃する。自分の中の何かが悪だと思って、とにかく切った。
切ると落ち着く。自分を傷つけたことで、関係性の中誰かを傷つけなくても済む。
そんな、いってしまえば偽善的な満足感で満たされた。死ぬ気は毛頭ない。
可笑しい、歪んでいる。この目に映るもの全てが、グニャグニャとカタチを変えている。
去年、私はある出会いをきっかけに徐々に自分のしていることの違和感に気付き始めた。
そして、それに対して相当にもやもやとした、苦い感覚を憶えた。
多分、自分との付き合い方を考え始めた頃なのだと思う。
その人は、とにかく私に「しっかり」考えろといった。
家族に、自分の状態を話せなかった。話したら、どうなるか分からない。
母は父は、自分達を責め、もしかしたら自殺してしまうかもしれない。
また、あの暗い10年間のような、厳しい家庭になってしまうかもしれない。
そう思いをめぐらすと、私はずっと黙っているべきだ、切っても切っても、耐えるしかない。
そう思っていた私を、諭すようにその人は話してくれた。
思い込みで予測を立てるな。君の予想どうりにはいかないよ、
そんな最悪な道ばかりには進まない。
進んだときに、また改めて考えればいい。
予想ではなく、考えて。何をどう話してどう理解してもらうかを。
君の家族なのだから、君だけを苦しめたりは絶対にしないはず。そうでしょう?
それから私は、『家族の為に切って耐える』ということを止めた。
未だに何も話せてはいないが、話をする前に自分を見つめなおす必要があった。
今までの問題、生き様、再構成して頭に叩き込む必要があった。
なぜ切るのか、何故眠れず不安ばかりを探し出すのか。
答えは未だ見つからない。
それでも、自分との付き合い方を明確にしていかなければいけないと思った。
「私は私である。それ以上でもそれ以下でもない」強くそう言う為に。
鬱病やパニック障害などといったメンタルな病気が、
普通に語られるようになった今だから考えるべきだと思うのだ。
他人との関係性を重んじすぎて、どこかしら苦しくなる前に、自分との付き合い方を。
私以外の家族にとって終わった問題を、私は近い未来また食卓の上に持っていく。
そのとき、自分をしっかり持っていなければまた壊れてしまう。
だから、今私は必死になって自分と付き合っている。

2003/1/14/TUE
-12月のテーマ『私の今年の3大ニュース』-
[バイバイ2002]
これを書いているのは2002年の12月31日。最終日です。
私にとっては、まさに激動の年でした。
3大ニュースにすると、こんなものでしょうか?
1.
ショコラでコラムを書き始めたこと。
一人で黙々と書いている状態がどうにも歯がゆくて、何とかしたいと思っていたとき、
ショコラに出会いました。
書く機会を与えてくださったplan-d様に感謝しているのは言うまでもありません。
ここで書くようになって、色んな刺激を貰いました。
他のライターさんから、読んでくださった方から、本当に沢山の刺激を。
正直、書くことに疑問をもった時期もありましたが、
今は、やっぱり書かなきゃ生きていけないと思ってます。
大げさかもしれませんが、書くことが、私の生きている証。
2.
かけがえの無い人に出会ったこと。
今までの、25年間のうちで最大の出会いでした。
無償で力を与えてくれる人は、そうそういないもの。
出会ったお陰で、苦しいことも悲しいことも経験しましたが・・・
でも、矢張りかけがえの無い人です。
全ての感情と、力と、前向きな姿勢を取り戻させてくれたその人。
恋愛感情以上。異性にあまりのめり込む方ではなかったのだけれど(笑)
久しぶりに、否、初めて恋愛している気分で、毎日浮かれたり沈んだりを繰り返しています。
3.
サイトオープン!!
まだまだ半端なサイトです。さらに、更新少ないですが(笑)
いろいろな人に協力してもらって、頑張ってます。
あれもやりたい、これもやりたい。気持ちばかりで、技術が伴っていませんが、
来年こそはもっと大きく、もっとのびのびとやっていきたいと思っています。
インターネットが普及して、書く場が増えたことは本当に幸運だと思います。
飛躍していこうという気持ち。それは一人で書いているときよりも格段に大きくなりました。
ここから、もっと多くの可能性を手に入れたい。
そんな気持ちで、来年も続けていこうと思います。
激動といっても、大きな変化は無かったですね。
でも、私の中ではとても大きな一年でした。
得たもの、失ったもの。両方とも大きくて、かけがえの無い。
様々な出会いと、別れと、始まりと終わり。
忘れることの出来ない一年になりました。
この一年、支えてくれた人達、見守ってくれた人達に感謝します。
来年はもっと大きく、もっとまっすぐに生きたいと思います。今年以上に。
皆様の2003年が良い年になるよう、心より祈って。

2002/12/5/THU
[したい事]
『なんか落ち込んだ』
昨夜、そんなメールが入った。
ちっちゃな携帯電話での、七面倒臭いメールのやり取りが苦手な私は、
すぐさま電話をかけた。
大きなお世話かもしれなかった。
でも、『落ち込んだ』なんてメールを態々送ってきたという事は、
それなりに話をしたかったのだと、お得意の勝手な解釈をした。
「どうしたの、何かあったの?」
「特に何も無いけどさ、なんとなく落ち込んでるんだよ」
嘘だ。と思った。ロジカルで、何にでも理由付けたがる人が、なんとなく。なんて。
私が訳も無く落ち込むと、必ず原因があると言い張るくせに。。
「理由があるんでしょう?」
その人は、煮え切らない言葉をぼそぼそと吐いた。うん、まあねぇ・・・。
暫く、そんなやり取りが続いて、ふとその人が漏らした。
「自分は、何をしたら良いのかな。と思って」
したい事が見つからないんだ。何をすればいいのか解からないんだ。そう言った。
何と言えばいいのか、私には解らなかった。
したい事が見つからない。そんな思いをした事などなかった。
逆に、やってみたい事が多すぎて混乱したり、
やりたい事しか見えなくなって、それ以外の可能性を捨てた事はある。
したい事が見つからないのではなく、見ようとしていないだけなのかもしれない。
その人は28歳。きっと、将来の事 −例えば、結婚の事やなんかを−
考えているのだろう。
怖いのだと思う。したい事が見つかって、それに没頭していく事が。
それで、生活出来るかどうかも解からない、そういう先の見えなさが。
「あなたには、可能性がたくさんある。これからなんでも見つけられるのだから」
こんな台詞が、咄嗟に私の口を衝いて出た。
「無理に探す事も無いよ。少しでも興味がある事は、何でもしてみたら良い」
「そうかな?」
「悩んでばかりいないで、動いて。そうする以外にないでしょう?」
私は、そうして欲しかった。落ち込んでいるよりも、もっと足掻いて欲しかった。
「偉そうに」
その人はそう言って、話しはじめてから30分程の間で初めて笑った。

2002/11/29/FRI
[色恋沙汰に弱い男]
私の友人に、色恋沙汰に滅法弱い男がいる。
他人の色恋沙汰には強い。相談を持ち掛けられたりして。
でも、自分の事となると、てんで駄目なのだ。
何でそうなっちゃうかなぁ?と、不思議に思うほど、自分の事となるとカイショナシ。
私はその彼を「兄さん」と呼んで慕っている。
色々な話をして、沢山説教された。
素晴らしい人だと思っている。・・・いや、思っていた。
それまで私は彼の事を、「ちょっと敵わない凄い人」として見ていた。
憧れの対象?こんな風になりたい的な目で見続けていた。
友達だけど、別格。みたいな。
ところが、だ。全く思い違いだった。
そんな崇め奉ってる場合じゃなかった。
女の子関係の話を聞いていると、何とも情けない。
私も人の事は言えないが、本当にカイショが無い。
びっくりだった。ひっくり返るかと思った。
それくらい、それまでのイメージとのギャップが激しかったのだ。
でも、思う。
「自分の事となると情けない」これって彼だけ?
私だって、相当情けない。
人の話しを聞いてる時は偉そうで、でも自分の事は駄目なのだ。
格好付けてても所詮皆かわいいもんなんだと思う。自分も含めて。
結局、男も女も色恋沙汰には弱いのよ。
恋愛の前では、みんな無力で、じたばた足掻くしかない。
彼のおかげでまた一つ学ぶ事が出来た私であった。

2002/11/27/WED
-10・11月のテーマ『今だから言えるゴメンナサイ』-
[嘘吐き]
とても大切な人に対して、何故嘘を吐くのだろう。
自分の一番悪い癖だと思う。
私は、感情の浮き沈みが馬鹿みたいに激しい。
ここのところ沈みっぱなしだ。
勿論それには原因がある。
私は数ヶ月前に大事な、本当に大事なものを亡くしてしまった。
もう3ヶ月経つのに、なかなか再浮上出来ない。
何時まで経ってもうだうだしている私を気にかけてくれる人がいる。
その人は、3ヶ月前に海外に行ってしまった。
それでも頻繁に連絡を取り、私の状況を見ている。
適切なアドバイスも、本気の心配も、気遣いも、全部嬉しい。
その度に、全て預けてしまおうと思う。この人に任せようと。
でも、次に私の口を衝いて出る言葉は嘘の塊だ。
「大丈夫。心配要らない」
この言葉は明らかに嘘だ。
ちっとも大丈夫じゃないし、心配していて欲しい。
要するに、強がっているだけなのだ。
例えば、誰かに全面的に預けてしまったとして・・・
その後、自分が甘えきりになるのは目に見えている。
ミットモナイと思う。だから、取り合えず嘘を吐く。
でも、きっと私の嘘は見破られていると思う。
それでも、その人は私の言葉を信じるのだろう。
遠くても、常に近くで見守りながら。
嘘ばかりで、ゴメンナサイ。
もう少し、見守っていて下さい。
いつか必ず、嘘ではなく心から言えるようになるから。
「大丈夫。心配要らない」

2002/10/16/WED
[Love & Peace]
また、テロ事件が起こった。バリ島での爆発テロだ。
アメリカ同時多発テロから1年が過ぎても、依然としてテロリストは動いている。
イエメン沖でフランスの原油タンカーが爆発、炎上。
クウェートでは米海兵隊員が襲撃。
国際テロ組織、アル・カイーダの指導者、ウサマ・ビンラーディンはこれを称賛しているという。
英雄的なジハード作戦。
米国人とユダヤ人に対する戦いを優先せよ。
この声明の真偽は不明だというが、これが本物だとしたら、背筋が凍る思いだ。
報復が報復を呼ぶ世界。こんなの嘘だと思いたい。
これはただの綺麗事としてしか、世の中に伝わらないのだろうか。
それでも問いたい。
『報復は何を生むのですか?』
愛も平和も生まないでしょう。何も育まないでしょう。
もし、何か生まれるとすれば、憎しみと悲しみだ。
それが増幅していって、やがてLove & Peaceは姿を消してしまうんだ。
やられっぱなじゃ悔しい。黙っていられない。
やられたら、やり返してやる・・・・子供ですか?
何も黙って見過ごせといっているわけではなく、全ての原因を考えて欲しいだけだ。
勉強不足の私にはまだまだ解らない事が多くて、根源を突き止められない。
でも、必死で分かりたいと思う。惨劇の根っこの部分。
話が出来るものならば、テロリストと話してみたいとさえ思う。
各国の首相や大統領と話したいと思う。
話したいというよりも、聞いてみたい。『原因を考えたことがありますか?』と。
きっと、誰もが願っているはずなのだ。Love & Peaceを。
テロリストも、それに、彼等の行為に報復する人達も。
でも何故か−
それを手に入れるためのやり方が、さらにその願いを遠ざけていることに気付かない。

2002/10/7/MON
[恋心]
恋を、した。
私のことを知っている人達。友人なんかは「何言ってんだ?」って思うかも。
私自身、なんか、こう、おかしいよなぁ・・・と、思う。
ここ数年、誰かを好きになるという感覚から遠のいていた。
恋人が出来ても、「恋をしました」という感覚が無くて。
何時この人を失っても怖くないだろう。そう思っていた。
それがどうだろう。今、その人を失う事を考えるだけで気持ちがざわざわする。
人を好きになって、毎日が楽しくて仕方が無かったのは遠い昔。
学校の廊下で、オフィスで、その人の姿を見るだけで嬉しくなれたのは何故だろう。
今は、楽しいことよりも、苦しかったり磨り減ったりすることの方が多い。
縁起でもない事を考えたり、相手の言葉から深読みしたり。
もうやめよう。そう思ってしまうこともある。
女なんかに、生まれなければ良かった。とまで、思った。
全てのことが手につかなくなる程、彼のことを考え過ぎている現状。
でも、雨上がりに濡れた木々を見て、二人で歩いた場所を思い出したりする時、
全ての負の感情が、さーっと消えていく。そして思い直す。
どんなに磨り減っても、あの人でなければダメなのだ。
そして、彼の事だけを考えて生活していては進まない。と。
自分の人生を犠牲にしてまで、彼を想っているようじゃ、いけない。
恋をしたときの生活のバランス、気持ちのバランスがとれなくなっていたのだと思う。
恋心から遠のいているうちに、忘れてしまっていた。
バランス。やっと取り戻した。
誰かを大切に思っても、恋をしても、
それと引き換えに自分を蔑ろにしちゃ、ダメだ。
その人を中心とした生活をしていては、見失ってしまう。
私の目の前にあるだろう、沢山の可能性を。
強くならなければいけないな、と思う。
恋に、強くならなくちゃいけない。押しつぶされないように。
彼のことを考える時間の倍、自分のこと考えていかなければ。
遠く離れてしまった彼に、決意表明のメールを書いた。
「したい事をします。まっすぐ前を向いて。でも、あなたの帰りを待ってるよ」

2002/10/4/FRI
[夢見る頃を過ぎても]
歌の歌詞だったか、文章の一節だったか記憶に無い。
『夢見る頃を過ぎても』
私の気持ちを揺るがす言葉だ。だって、その先がどうしても思い出せない。
それに、この言葉はあまりにも漠然としすぎている。
そもそも、『夢見る頃』ってどんな頃よ?
例えば、四季なのか、年齢なのか。
四季だとすると、私の中でのイメージは春だ。なんとなく夢見る頃。
様々な事柄の終わりと始まりの季節だからだろうか。
では、年齢だったら・・・。そう考えるとぞっとする。
夢を見ることに、年齢制限なんてあるのだろうか?
何かをしたい、こうありたい、こうしたい。私は毎日夢を見つづけている。
現在25歳。年齢など気にしたことは無い。
したいことはいくつになっても出来る。人はいつまでも成長しつづける。
そう思っているから、年齢に拘らない。
今だって、書く事で食べていこうという夢を持って生きている。
もし、夢を見ることに年齢制限があったとしたら、
私は生きてゆけない。
「25歳以降は、夢なんぞ捨てなさい」
そんな風に言われたら、私らしくあることさえ出来ないような気がして。
夢見る頃を過ぎても−過ぎても、夢は持ちつづける。
誰かが、夢を見るような歳じゃないでしょ。って言っても。
そういう人のほうが、輝いて見えませんか?
年齢なんか関係ない。いつまでたっても現役です!
何年先も、そういう風にありたいと思う。

2002/9/14/SAT
[言葉を口に出す]
近頃の私は怠慢になったと思う。話をすることに対して。
携帯電話やパソコンがこれでもかっていう程普及して、
話すことよりも文字にして伝えることが多い。
それは、コラムやフィクションではなく、会話を。
つい数日前、大切な友人がカナダに旅立った。
寂しくなるね。そう言う私に彼は言った。
メールも出来るし、大丈夫だよ。
そう。確かにそうなのだ。
時差を考えたり、料金の心配をしながら電話をしなくても、
メールで何でも伝えることが出来る。
でも、違う。会話は出来ない。表情も、感情もわからない。
そう思った。
彼がカナダに行かなければ、気づかなかったことかもしれない。
今の生活に慣れた私には、感じることが出来なかったかもしれない。
メールだって、確かに便利で、素敵なものだと思う。
それでも、人と人とのコミュニケーションの基本は、
顔を見て、言葉を選んで、それを口に出すことだと思うのだ。
コラムや、フィクションや、連絡事項とは違う。
書いていると、気づくことがある。
時間をかけてじっくりと考えながら書くからだろうか、
正確に伝えようと言う思いと、格好つけた言葉が入り混じって、
温度や流れが感じられなくなる。
これって私だけだろうか?
文章を書いているときは良い。いいものがかけていると思う。
でも、メールだと凄く違和感を感じる。
「違う。ちっとも言いたいことが伝わらない」
私にもっとボキャブラリーがあったら、メールでも伝わるのだろうか?
そういうものでもない。
表情や口調、視線。相手の全てを感じながら、話をしたい。
五感全てで伝える。
きっとそれが会話なのだと思う。
今日、
遠く離れた異国にいる友人に、メールではなく電話をかけた。

2002/8/28/WED
[おんなじ空の下]
暑中お見舞い申し上げます。
いいえ、もう残暑見舞いですね。
君と出会ったときから、
9月には離れ離れになってしまう事が決っていましたね。
あの時は、「まだ半年も有る。時間はたっぷりあるじゃない」
なんて思っていたのに。
もう8月も終わろうとしています。
私は、人と知り合うたびに何かを吸収して成長してきたように思います。
ここ数年、人との出会いから遠ざかっていた私にとって君は、
『成長すること』を思い出させてくれました。
果てしなく上を見詰めて突き進む姿勢。
妥協しない事。甘えない強さ。
怠惰な自分を正面から見据える潔さ。
もちろん、頼りなかったり、考え過ぎたりする面もあって、苦笑させられたりもしたけれど。
出会いは奇跡です。
そして、その出会いを大切に出来るかどうか、
関係性を築いていけるかどうか、
それは2人の力でしょう。
私と君には、確かにその力があると信じてる。
君との関係が続く限り、私の成長は止まらない。それは君も同じ筈。
しっかり勉強して、経験して、再び出会うときに備えておきましょう。
どこに行っても、距離があっても、会えなくても、
おんなじ空の下。
気をつけて、行ってらっしゃい!

2002/7/22/MON
[ちょっと淋しい事]
そういえばあの夏、あんな事があったな・・・なーんて思い出が、無い。
どちらかというと、夏の恋には縁が無い。というよりも、恋愛感情が薄れる。
暑いし、それこそ『一夏の恋』なんかになったら悲しい。
高校時代の頃の事。
夏はイベント盛りだくさんだった。
部活の合宿に、地区大会。
高校生活の全てを部活に注いでいた私は必死だった。
ふと、あたりを見渡すと盛り上がってるお友達。
男子部員と何時もより親しくお話しちゃったりして。
おいおい、待ってよ。これって部活なんですけど?
そう思いながらも、その様子を見るのが少し楽しかった。
私の通っていた高校は、文化祭が夏休み後すぐに行われる。
だから、夏休み中に文化祭の準備。しかも、学校に泊まったりして。
プチお泊り状態である。楽しくない訳が無い。
花火大会に、お祭り。高校生の夏休みは忙しい。
夏休みを前に、盛り上がる気分の生徒に拍車をかけるように、先生が言う。
「規則正しい生活をして〜、有意義な夏休みを過ごすように。あまり馬鹿なことするなよ〜」
・・・するに決ってる。当たり前。だって夏だし。お休みだし。
血気盛んな高校生にそんな事言ったら、反対に無茶な事するでしょ。
実際私もそうだったし。
恋はしなかったけれど、沢山夜遊びをした思い出がある。
さて、夏の気温上昇とともに、めでたく恋を成就させた子達は、
夏が終るにつれて「冷めてきちゃったの」等と言う。
『一夏の恋』の終わりである。
高校時代なんて、そんなにドラマチックな出会いなんて無いから、
こういう風にありきたりなイベントに狂喜乱舞して、一喜一憂する。
夏は一番ベストな時期だった。今はそう思う。
『一夏の恋』を経験した友人は語る。
「終ってしまったけれど、一緒に花火を見て、お祭りにも行って、楽しかった。
とてもいい思い出ができたよ。いい経験をしたと思う」
満面の笑みでそう話す彼女を、羨ましく思ったのも事実である。
今となっては、『一夏の恋』ができなかった自分を、少し淋しく思う。

2002/7/10/WED
[格好良く行きたい、生きたい、逝きたい]
私の信条、というかポリシー??は『格好良く生きる』である。
常日頃、口癖みたいに「格好よくない」とか、「これが、私の思う格好良さ」とか言って。
勿論、外見ではなくて中身の話。
こう生きたい、こうありたい、そういう願い=格好良く生きる。そういう意味で。
25年間生きてきて、沢山の素敵な人に出会った。
例えば、時々私のコラムに登場する、前の会社の同僚。
私と一緒に退職して、今は別の会社に勤めながら、ギターを弾いている。
彼には、沢山の言葉を貰った。考え方を変えてくれた人。
情けない部分も多いけれど、私にとってはとても格好良い人である。
高校時代の女友達。今でも、とても信頼している。
彼女は本当にストレートに生きる人。
したい事をし、言いたい事を言い、まっすぐに前向きに生きている。
その反面、凄く繊細で儚さをかもし出せる人。
その真直ぐに人を見る事が出来る彼女の瞳は、とても美しいと思う。
カナダ時代のクラスメイト。4歳年上の日本人銅版画家。
彼女は大学の招待学生で、銅版画の個展準備の為に半年滞在していた。
「私は創る為に生きてるの」そんな雰囲気を持った人。
自分の生き方を見据える事が出来る、そういう風に感じていた。
実際彼女と過ごした時間は短かったけれど、彼女の芸術家気質を知るには充分だった。
彼女と出会って、不安だった夢への道を、迷うことなく進もうと決めた。
最近知り合った友人。一緒にホームページを立ち上げようと企画している彼。
彼の行動力は、今や私の原動力。彼が動くとき、私も負けないように動く。
一つの事を一緒に創り上げようとするとき、「協力」よりも「ライバル」と言う単語が出来上がる。
どちらかが弱ったときは、惜しげも無く助け合う。片方が倒れたら、自分も倒れてしまうし。
久々に、「戦う意思」を持たせてくれた彼は、凄い。
そして、時間を惜しまず助けてくれる姿勢は、見習わないといけない。
でも、一番格好言いと思う人は、お父さん(笑)
口は悪いけれど、勉強家で何でも教えてくれる。
その知識は凄いと思う。
学歴云々じゃなくて、本当に自分がやろうと思えば、幾らでも成長できると教えてくれた。
人なんて、何歳になっても成長する。
疲れても、年老いても、興味をもったり行動したり出来る。
そんな基本に気付かせてくれたのは、紛れも無く私の父である。
上げればきりが無いほどの、格好良い人たち。
勿論皆が皆パーフェクトではないけれど、吸収したい部分を山ほど持っている。
私は毎日教えられながら生きてる。その度に私の中の「格好良く生きたい」が増えていく。
私の理想や願いは、全て身近な人が教えてくれた事。
今の私は、その人たちから見て『格好良く』生きられているだろうか?
まだまだ甘いよ。全然ダメ。そんな声が聞こえてきそうだけれど・・・。
でも、これから幾らでも成長できる。また、みんなの『格好良さ』を吸収しながら。

2002/7/3/WED
[想像力の罠]
私はどうも変に想像力を働かせる質のようで、
何かの切っ掛けから直にマイナス思考の想像をしてしまう。
これは本当に質が悪い。精神状態が悪いと、涙まで流す。只のイメージで。
想像力が働くというか、考え過ぎというか、意外と単純なのかもしれない。
昨夜も、なかなか寝付けなかった。特に切っ掛けもないのに、妙な不安に襲われたから。
自分の大切にしている人達が、突然私を忘れていく気がした。
最近そういう事を考える時間が多い。
信頼する友人と、食事に行った帰りの電車。突如として考える。
この人、別れた途端に私の事忘れるんじゃないだろうか?
頭の後ろにメモリーカードみたいな物が組み込まれていて、
別れた途端にそれが抜けちゃうみたいに思う。
どんなに親しい人といても、そう考えてしまう。
この人と次に会う時は、また初めからやり直すんだ。
だったら、何から話そうか。どうやって今みたいに信頼関係を築こうか。
頭の中では私に関わる全てを忘れてしまった友人と、困り果てる自分が浮かんでいる。
必死になって、その人に説明しているのに、一向に思い出してくれない。
私という人間は、この人にとってそんなに重要ではなかったんだ。
だから忘れられちゃったんだ。悲しい。
イメージの中でボロボロ涙を流す私を、「忘れてしまった人達」は必死で慰めている。
でも、憶えていない。思い出してくれない。
どんどんネガティブになって、悲愴な顔つきになる。
友人の『どうしたの?』と言う言葉で、現実に引き戻されても、悲しくて仕方がない。
だから、自分の考えている事を言ったら、『そんな訳ないでしょ』って笑われる。
そう。私の大切な人たちは決してそんな風にならない。解っている。
『凄い想像力だよね。そんな事考えつかないよ。だってありえないし』
友人の言葉は、完全に現実に引き戻してくれる。
いつでも、何をしていても、私は自分の想像力の罠にかかる。
現実なのか如何かも解らないリアルさで、自分で自分の首を絞めている。
如何してもダメなときは、友人に電話をして話す。そして沢山の言葉を貰う。
私にとっては、魔法の言葉だ。
『その想像力、文章に生かさないと』
そう言ってくれた友人が居た。
ああ、ナルホド。何で今まで気が付かなかったんだ。
友人の魔法(?)のお陰で、私は罠から抜け出す方法を見つけられた。
文章に生かすと言う事。頭の中の言葉を、ちゃんと目に見える文字にする事。
現実と想像をごっちゃごっちゃにしない最高の方法だと信じて、
私は今日も文章を書いている。

2002/6/5/WED
[良いお天気]
カナダ、エドモントン国際空港。そこに降り立ったのは、9月2日。
霧雨の降る、とても寒い日だった。成田を発った時は、熱くて半袖だったのに。
大きなバッグの中からシャツを取り出しながら、『ついてない』って思った。
折角のカナダ生活。オープニングが、雨だなんて。
ホストマザーの車の中。片言の英語で話しながら、雨に濡れる景色をぼんやりと眺めた。
広大なファーム、何処までも続くハイウェイ。紅葉した木々と、次第に近づくダウンタウン。
全てが霧雨でぼやけて、上手く捉えられない。
「あそこがダウンタウン。この川はサスカチュワン。飛行機からロッキーは見えた?」
私は笑顔で肯きながらも、矢張りついてないって思っていた。
もっと良いお天気だったら、良かったのになぁ。
私の部屋からは、ファームと街路樹、ダウンタウンが見える。遠くにはサスカチュワン川に架かる橋も。
「Kaoru, Do you like this room?」
窓辺に張付く私を見て、ママは笑いながらそう聞いた。
Yes.と答えてから、でも天気が悪くて残念だと伝えた。
ママは微笑んで、「こんな日の景色はとても素敵じゃない?良いお天気だわ」と言った。
良いお天気?何故?こんな雨の日に。
翌日、ママと2人で大学やダウンタウンへと出かけた。霧雨は降り続いていた。
ママの傘は、大きな花柄の可愛らしいものだった。
家の直ぐそばを流れるサスカチュワン川沿いを歩きながら、昨日の「良いお天気」の事を考えた。
川に降り注ぐ雨。霧雨に濡れる紅葉の葉。擦りガラスを通したような建物。
晴れていては見えない様々な風景、色、形。なるほど、良いお天気なのかもしれない。
それよりも、気持ちの問題。
空港に降り立った日。緊張と不安に拍車をかけるみたいに霧雨が心を覆った。
でも今日は、落ち着いていて、ちょっと安心している。だから、雨だって良いお天気だと感じられる。
屹度、ママにとっては昨日はとても良いお天気だったんだ。
異国から、一緒に生活する子が来る。そういう期待と楽しみとで。
良いお天気は、自分で作り出す事ができる。
あの日から私の中の『良いお天気』に、雨が加わった。

2002/5/29/WED
[アナタとの関係]
最近、関係性というものに拘らなくなってきた。
ん?それも少し違うかな。
一般論で取り上げられる型にはまった『関係性』を気にしなくなってきたのだ。
例えば、恋人という関係。友達という関係。親友という関係。同士という関係。
色々な関係性があって、この子はこの関係っていう風に押し込めていた。ちょっと前までは。
つい数ヶ月前に知り合った彼とは、上手い具合にこの型にはまらない。
恋人ではないし、かといって友達というと物足りない。親友というと畏まり過ぎてるし…。
私は彼に対して、全く時間を掛けずに、全面的に信頼を寄せてしまった。
さっさと彼という人物を気に入ってしまったのだ。
何処かが似ているのに、相反していて面白くて堪らない。
自分の中のドス黒い部分を一方的に押し付けているにもかかわらず、彼は飄々と受け止める。
居ないと困る。でも、恋していない。でも、只の友達じゃあ、嫌。
我侭だけれど、そう思う。
思えば、人と人との関係なんて、皆曖昧だ。
友達の定義なんてないし、恋人の定義も無い。
「この子は私の友達」そういう言葉は解り易いし、ダイレクトに確認しやすいけれど、
じゃあ、どんな友達なのだろう?って、疑問を持ってしまう。
「この人は私の恋人」これだって同じ事。一般論でどんな関係かは分かるけれど、
それだけじゃあこの関係、説明しきれない。
だから、型にはめるのは、やめた。
拘っていると、その人との関係が型通りにしか発展しなくなりそうで、
怖くなっちゃうから。楽しみが無くなっちゃうから。
彼と私は、彼と私だけで作る事ができる関係を保っている。
まだ、確立されていなくて不安定だけれど。
でもきっとこれから、直線を曲線にしたり、三角形を五角形にしたりして、
様々な局面を持たせながら、長く関係していくのだろうと思う。
そうなる事を、願っている。

2002/5/15/WED
[私として居る]
もう10年来の付き合いになる友人のミキは、会う度に私の事を『オッサン』という。
「いやぁ、ホントにカオルってオッサンだよね〜。」こんな感じで。
もう学生時代から言われていたから、今更怒ったりはしないが、
一体私のどのへんがオッサンなのだろう?
アルコールと煙草が大好物なところか?
いや、違うな。そういう女性はいっぱい居る。皆が皆オッサンと呼ばれている訳ではない。
政治の話をしてみたり、社会問題について熱く語るからか?
良く解らないが、挙げればきりがないようにも思う。
昔から、女の子らしいとか、女性の考え方だとか言われた事が殆どない。
男っぽいね。男らしいね。オッサンだね(笑)そんな風に言われた記憶ならゴマンとあるのだが。
別に意識してそうしている訳ではなくて、私が私らしく居るとそうなってしまうのだ。
その、オッサンである私の周りには、意外な程「女の子」が多い。
女性でもなければ、女でもなく「女の子」的なのだ。
「ねえねえ、聞いて。好きな人ができたんだけどね…」なんて話を聞くと、
うわ、かわいいなぁ。などと思ってしまう。
手練手管を尽くせる大人の女性でもなくて、如何にも女を武器にした風でもなく、女の子。
そんな子達と話しながら思う。
ひょっとして、私の中の「女」を見つける方が難しいんじゃない?
自分のことは、自分で良く解っている積もりだから、こんなトコ女だなって思える。
でも、端から見たら私は限りなくオッサンなのだ。男寄りに見られているのだ。
男じゃないから男の気持ちは解からない。でも、解るって思われてるんだろうな。
何か、良く解らないけれど、凄く得している気分になる今日この頃。
女だけど、男寄りに見られるのは、面白い。性別の制限無く何でも言える気がして。
要するに、男女っていう気の使い方をしなくていいからかな。
皆の見てない女の部分を見せるのも、楽しい。
これって多分、本当に気を許してる人にしか見せてないのかもしれない。
例えば、大好きなあの人や、信頼するあの子。
あなた達にしか見せてないんだよって、目で訴えてみたり。う〜ん、楽しい。
これは、女っぽい考え方かもしれないなぁ。
ちなみに、冒頭で登場したミキは、私の女の部分をちゃんと知っている。
私の女の部分を十分知った上でオッサンと呼ぶ彼女が、大好きである。

2002/4/22/MON
[ゆとりの裏側]
学校が週5日制になりました。所謂、ゆとり教育というものがスタートしたようで。
ニュースや雑誌で取り上げられているのを見る度に、凄く疑問に思う。
ゆとりって、何だろう?
学習の時間を減らしたところで、ゆとりに繋がるなんて思えない。
教科書の内容を少し変えて易しくしたって、ゆとりが出来るとは思えない。
私が小学生、中学生の頃、
週5日制でも無ければ、教科書が易しくなりました。なんてこともなかった。
でも、勉強に追われている感じなんか無かったし、毎日楽しかった。
塾に通っている子も、習い事をしている子もいた。
私だってピアノを習っていたし、中学3年の頃は塾にも行っていた。
でも、切羽詰まったりしてなかったと思う。
大好きな先生も居て、苦手な先生も居る。
受験を控えてピリピリした空気だって、少しは感じた。
私の学生時代だって、受験戦争はあったし、学歴を気にする人も多かった
要するに、今とそんなに変わらないという事。
何がそんなに「ゆとり」などと言わせてしまうのだろう?
学級崩壊が深刻だから。受験戦争で子供のストレスが心配だから。
理由は色々あるのかもしれない。
でも、ほんとうにこのやり方で解決できると思えますか?
親は子供の学力低下を案じて、塾に通わせるかもしれない。
今までマニュアルに縛られていた教師は、突然の変化に戸惑いを隠せない。
子供は何一つ変わらないのに、大人のみの判断で振り回されていく。
学級崩壊が子供の変化によって引き起こされた物ではないと気付いた時はもう遅い。
ゆとり教育じゃあ、何の対処も出来ない。
週5日制にして、教科書を易しくしたって、そんなもの只の「時間の余裕」
本当のゆとりじゃあない。
此処数年で変わったのは、きっと大人の方。
物事に柔軟に対応していく子供達に、危機感を持ったのかもしれない。
感受性が豊かで、流行に敏感で、
主張して行こうとする子供達を、驚異に思ってしまったのかもしれない。
ゆとりを持たなければいけないのは、本当は大人の方かもしれない。

2002/4/11/THU
[政治って何ですか? Vol.2]
以前、「政治って何ですか?」というコラムを書きましたが、再び政治について。
加藤元幹事長が議員辞職しました。
仕事中、携帯電話のニュースメールでそれを知った私は、前のデスクに座っている主任に
「ニュースです、ニュース!」なんて、伝えてみたりして。
けれど、何でしょう?
大きく取り上げられたものの、結構それって当たり前なんじゃあないかと思うのですが。
加藤氏が辞職したからという訳じゃないけど、鈴木氏も辻元氏も、引き際が肝心ですよ。
そう言いたいのだが。政治家の考える事は解らない。
せめて最後ぐらい、潔く格好良く。そういう考え方は出来ないのだろうか?
全ての疑問をクリアにして、自分のした事を認めて、辞職。
してきたことは拭えないが、それくらいしてもらわないと。
そうでなきゃ、私達、何時まで経っても政治家に光を見出す事が出来ない。
でも、これだけ政治家が疑惑や問題に塗れてても、何故だか心の何処かで、
当たり前かもしれないなぁ…とか思っている。
疑惑を持たれる事の無い、不正をしていない政治家なんていないんじゃない?
鈴木氏から加藤氏、辻元氏…こうやって芋蔓式に出てくると、
これから先政治家なんていなくなりそうな気がしてしまう。
現に、国民から高い支持を得ている田中真紀子元外相だって、
疑惑だなんだと取り沙汰されているのだし。
そして、又諦めてしまう。
きっと皆、「ワルイコト」してるんだ。もうどうでもいいや。というふうに。
圧倒的な支持率で、この国を変えてくれるかもしれないと思った小泉総理。
でも、なぁんだ。結局同じなのね。そんな風に思ってしまう。
今日もニュースを眺めつつ、溜息が出る。
世界を見渡したら、トンデモナイ事があちこちで起こっているのに。
アフガン情勢、パレスチナ問題、イラクの原油輸出停止表明。
政治家の疑惑に雁字搦めになっている場合じゃない。
私達だって、それに躍らされている場合じゃない。
しっかりしてね。私達の代表として、この国を造っていく人達なのだから。
世界に国民の代表として出て行く人達なのだから。
そして私も、只の傍観者で居るような事は止めるから。

2002/4/9/TUE
[確率 ―雪の頃―]
人との出会いは奇跡だ。
この地球上には、数え切れないほどの人が住んでいて、
毎日何処かで生まれて、何処かで亡くなって、それを繰り返している。
一分足りとも人口が落ち着くことはない。
その中で出会う奇跡。
それが自分にとって、どんな存在になろうと。
雪の頃。私の思考を左右する出会いがあった。
数年前の12月、曇った東京の空の下。JR新宿駅東口。
後に同じ会社の同僚となる彼とは、某イベントのアルバイトで出会った。
この人はきっと、貴重な、大切な、重い、人になる。
直感だった。本当に久々に感じた、直感。
沢山の言葉を交わした。仕事、プライベート、政治も経済も、色々な話をした。
言い表せない程、私は学んだ。何をだろう? 自分というモノを学んだのかもしれない。
同じ頃に同じ会社で働きはじめた私達は、同じ日に会社を辞めた。
本当にしたいこと、ありふれた言い方をすれば夢の為に。2人共。
彼の真意は分からないが、私はそう思った。
人は一生の内、数え切れないほどの出会いを繰り返す。
その中で、関係を見出せる人はごく僅かだと思う。
一度出会って離れてしまったり、数年間の関係で終ってしまったり。
一生共にする契約を交わす人、何故か何時までも離れない人。
例え、一緒に居なくても、連絡が密でなくても、ずっと続いていく関係。
長く大切にできる人を見極める目を、直感を養う方法があればいいのに、そう思う。
そうしたら、一生のうちに出会えるか出会えないかぐらいの人を、見過ごさずに済むのに。
でも、そういうことが出来ないから、出会いというものを大切に思えるのかもしれない。
遠く離れた今、あの時の直感は本物だと思う。会わなくても、言葉を交わさなくても。
何時まで経っても彼の存在は大きい。
今後、私が迎えるであろう様々な節目の時を、見ていて欲しい。
そして、数年前と同じように濁りの無い言葉を与えてくれる事を願っている。

2002/3/29/FRI
[明日死ぬかもしれない]
あと一ヶ月程で、私は25歳になる。
5とか0になる年は、何故か感慨深くて色々なことを思い出す。
25年なんて短い。大人だけれど、まだまだ若い。
それでも決して順風満帆ではなかった。
色々なことがあって、良い事も悪いことも全て飲み込んで、
今年25歳になる。
昔、10年間辛いことが続いた。
常に暗闇に居るようで、のた打ち回って、でもどうにもならなくて。
毎日こんな日が、明日も明後日も明々後日も続くと思っていた。
社会に出て、仕事が楽しくて仕方が無かった。
失敗しても何をしても充実していて、視界は常にクリアだった。
毎日こんな日が、明日も明後日も明々後日も続くと思っていた。
同じ状況が永遠に続くことなど有りはしないのに、
何故続くなんて思っていたのだろう。
カナダから帰国して、新しい職場に入った時、視界に膜が張ってしまった。
単調な仕事。決った時間。同じ事のクリカエシ。
でも、そればかりが続くなどと、今は考えていない。
今日と同じ日は二度と来なくて、
今こうして言葉を綴っているこの指が、同じ動きをすることも無い。
今は直に過去になり、未来が現在に移行する。
今日と明日が同じにはならない。
若しかしたら、明日死んでしまうかもしれない。
だから心に留めよう。景色、言葉、思い、全て。
25歳を目前に、やっと自分の生き方みたいなものを掴んだような気がする。
それは自分の進む道とか、そういう具体的なものではないけれど。
もっと根本的な、大切なもの。
今日も私は生きている。
明日死んでしまうかもしれない、と思いながら。

2002/3/18/MON
[好きだという力]
年明けぐらいからだろうか、
学生時代の友人から度々電話がかかってくるようになったのは。
良くありがちな恋愛相談だった。
自分の色恋沙汰を相談するのは苦手だが、取り敢えず人の相談には乗る。
出来る限り話を聞く、答えは出してあげられないけれど。
友人は決った恋人の居る男を好きになり、関係を持ったという。
彼は恋人と別れたけれど、自分を彼女にはしない。
来るものは拒まずで、結構遊んでいる。賢くて口が上手くて、でも仕事は凄く出来る。
こんな訳の分からない関係嫌だから、もうけじめをつけたい。
まあ、簡略化すればこんなところだ。
申し訳ないが、「へえ、そう」ぐらいの感想しか持たなかった。本当に申し訳ないが。
そんな男何処にでも転がっているし、無い話じゃあない。
友人も自分が『彼女』になれないことは解っていた。要するにお互い遊び相手ということ。
ただ、厄介な事に友人は彼を好きなのだ。
ほぼ毎日くらいのペースで話を聞いていた私は、流れで彼に会うことになった。
別段悪い印象は受けなかった。話も上手い。考えていることもしっかりしている。
女性関係に関しても、自分のしていることを良く理解していた。その上で、してる。
普通は許されないとか、倫理観が無いとか、そんな話はどうでもよくて、
そういう人も居る。それもアリでしょ。そういう程度。
彼女の口から聞く彼のイメージとはちょっと違う。
それもそうだろう。彼女は彼を好きなのと同時に少し憎んでいる。
何故付き合ってくれないの?
何故他の子と遊んだりするの?
けじめをつけたいのに中途半端に親切にしないで。
色々な思いが錯綜している。根底にあるのは好きだという気持ちの筈なのに、
何かが邪魔をする。
それは多分、『セックスをした』という事実だろう。
私が好きだから、いい。そう思って関係を持つと、そこから『好き』が腐食してしまう。
嫉妬とか、憎しみとか。そういうもので。
勿論そんなもの人によるのだけれど、彼女は明らかにそうだった。
割り切っているつもりでも、何処かで相手を責め立てる。
もう、『好き』だけじゃ、お腹がいっぱいにならない。
好きだという気持ちに責任をもったら?
私は彼女にそう言った。
基本的な所に戻って欲しかったのだ。自分が彼を好きでいられればそれで良い。
嫉妬している場合じゃない。まして憎むなんて。
彼を好きになった自分を責めているようなものだ。
どんなに彼と彼女の恋愛観が異なっても、責めちゃいけない。
自分の価値観を押し付けちゃいけない。
彼には彼の、彼女には彼女の考え方がある。そんなの当たり前。
だから、『好き』だけに戻るべきだと思った。
ふっきれないのなら、思い切れないのなら、純粋に好きだけで良いじゃない。
その事実だけでじゅうぶん。
『好き』には力がある。
偶に思いが余り過ぎて嫉妬や憎しみに姿を変えるけど、自分を振るい立たせる力がある。
大切にすれば、という条件付きではあるけれど。
時に辛くて投げ出してしまいたくなるかもしれない。彼女みたいに。
だからって本当に投げ出したりしないで、ちゃんと帰って欲しいと思う。
『好き』というところに。

2002/3/11/MON
[あなた達の未来に]
混沌とした社会です。
テロが起こり、報復戦争が始まり、麻薬が蔓延し、暴力が日常的に起こる。
神聖なるスポーツの祭典でさえ、暗い話題に飲み込まれた。
構造改革が高らかに叫ばれる背後で、理解しがたい問題ばかりが大きくなる。
幼い頃、両親や教師に絶望していた時期があった。
大人に失望していたのかもしれない。
友人と一緒にいても虚しかったり。
テレビを見ていても、これっぽっちも楽しくない。
此の世は、私達に優しくないと思っていた。
幸福な事に、私の近くには良い大人が何人かいて、
私は前向きになれたけれど。
今の世は、子供達に優しいだろうか?
子供達を守り教える裏で、麻薬に手を染める教師。
虐待を繰り返す親。
ゆとり教育を掲げた政府は、本当の子供の現状を知らない。
教育現場も困惑していく。
振り回されるのは、いつも小さな者達だ。
絶望して、希望も夢も無くて、
無感情で無表情な大人になってしまいそうになっていないだろうか。
私は教師でもないし、まだ親にもなっていない。
だから、解ることもある。
大人を見極めて欲しい。
小さいけれど素直な瞳で。
色々な事を学んで欲しい、苦しみ傷ついたとしても。
あなた達の未来の為に。

2002/3/1/FRI
[終わるもの、始まるもの]
私はこれまで5回、卒業というものを経験した。
小学校、中学校、高校、専門学校。
年を追うごとに感慨深くなっていったような気がする。
専門学校の卒業式。
社会に出て、自分の好きな仕事が出来る期待と不安。
学生という自分を終わる悲しさ。
色々なものが入り混じっていたけれど、とにかく感動していた。
それから数年後、私はまた『卒業』することになる。
社会に出て数ヵ月後、それまでしていた仕事に違和感を感じて辞めた。
そして、東京の広告代理店に就職。
失敗したり怒られたりしながら、とにかく無我夢中だった。楽しくて仕方が無かった。
会社にも仕事にも慣れた頃、
好きな仕事、遣り甲斐のある仕事をしていたにも関わらず、
何かが頭に引っかかった。
「充実している、大丈夫。」
常にそう唱えた。まるで呪文みたいに。
疲れたとき、一人で居るとき、偶に脳裏を過る「本当にしたいこと」を見ないように。
ありふれた言葉でいうのなら、それは夢だ。
文章を書いていくという事。言葉を紡いでいくという事。
それが私の夢だった。
夢と遣り甲斐のある仕事を秤にかけてしまったら、現実の仕事が負ける。
でも、夢だけに走ることは難しい。
叶わないかもしれない、
安定した生活は望めなくなるかもしれない、
諦めることになるのが怖い。
両方惜しい。でも、どちらかが疎かになるのは嫌だ。
どうしても仕事の比重が大きくなってしまう。
考えた挙句、私は夢を取った。
それは勿論、職場の人たちの後押しや理解があったからだ。
退職したその日の夜、一人で泣いた。後悔ではなく、寂しさから。
その仕事は、職場は、私を大きく変えてくれたものだった。
会社なのだけれど、学校みたいだった。
それくらい、私は学んだんだ。
閉じていた目を開かせてくれた。そういうところ。
仕事も職場の人達も大好きだった。
退職の日が、私の5回目の卒業式だったんだ。
あの日、私は自分の人生に責任を持とうと思った。
それまでのどの節目よりも、自分で決めたという意識が強かったからだ。
敷かれたレールの上を歩いてきた、何て思ってはいないけれど、
どこかに逃げ道が在って、どこかで責任転嫁できた其れまでの選択とは違うのだ。
だから、これからの自分の人生全てに、責任を持ちたい。
例えどんな結果になっても。
笑っても、
泣いても。
夢を選んだあのときの苦悩を、その瞬間を見ていてくれた人達を
私は、一生忘れない。

2002/2/25/MON
[30年後の考察]
前回に引き続き、今日もニュースに釘付けになっている。
目的は、勿論鈴木氏と田中元外相。
一頻りニュースを見た後、更に私の興味を引く内容が続いた。
あさま山荘事件である。
ニュース23では、あさま山荘事件後30年ということで、特集を組んでいた。
私が生まれる前の事件であるのだが、その名前は良く知っている。
テレビ番組や、両親の会話から幾度となく聞いた。
情けないことに、詳しい事件の内容は良く解らないが、
堪らなくこの事を書きたくなった。
昭和30年頃、ベトナム反戦、平和を訴えた学生運動。
その中から生まれたのが、「連合赤軍」所謂過激派。
あさま山荘事件を起こした若者達だ。
彼等は軍隊のような組織で活動しており、リーダーの気に入られない者は、
規律違反、日和見、反共産主義的などの理由で「総括」という名のリンチにかけられ、
殺害されている。これが12名にもなるという。
1972年2月19日、警察に追い込まれた彼等はあさま山荘に人質をとり立て篭る。
周囲を取り囲む警察に発砲し続けた。
逮捕されるまで彼等は何も要求しなかった。
只発砲しつづけた。
警察は勿論、自分達の親の呼びかけにさえ、発砲するだけだった。
逮捕後、彼等はそれぞれに罪を償うこととなった。
自殺した者、無期懲役を言い渡された者、死刑囚となった者、
海外逃亡し日本赤軍と合流した者・・・。
私には、学生運動も革命も良く解らない。彼らの考え、行動、全てが理解しがたい。
只、この事件に関する、彼らに関する知識が乏しいだけなのかもしれないけれど。
彼等は皆若かった。
夢や希望に溢れていて、正義感の強い、素晴らしい若者だった筈だ。
反戦を掲げ、平和を願い、日本を変えようと戦った筈だ。
それなのに、何故だろう。
夢や目標、思いは、何時しか歪んでしまうものなのだろうか?
それこそ、今の政治家みたいに私利私欲に捕らわれていってしまうのだろうか?
一つの思いが強くなりすぎて、純粋なものから欲望のようなものに変わり
人を支配していく。
それは紛れもなく狂気だと思うのだ。
自分の信じるもののために闘う。
反戦、平和、革命の為に武器を持っては、意味などないのに。
武力を武力で抑えることなど、出来はしないのに。
本当の意味での平和など訪れはしないのに。
闘いを戦闘にしてしまった彼らを、私は悲しく思う。
今、闘わなければならない要素は沢山あるような気がする。
でも現代の若者に彼らのようなバイタリティは無い。
闘って欲しいと思う。理不尽な事柄全てに対して。
彼等のように武器を持てという事ではないけれど。
煮え切らない政治、NYテロ事件を発端とするアフガニスタン攻撃、教科書問題、
或いはもっと個人的な問題。自分の周囲の問題。
数え上げればキリが無い。
武器を持たずに闘う方法なんて幾らでもある。
自分の可能性を信じることが出来るなら。
だったら私は、紙とペンに思いを込めて、書くことで闘おうと思う。

2002/2/22/FRI
[政治って何ですか?]
昨夜ニュースを見た。
田中真紀子元外相、鈴木宗男氏、ブッシュ米大統領訪日等、
政治というものに余り関心の無い私でも、結構見てしまう。
何故かと言えば、余りにも・・・・子供じみているからだ。
ブッシュ米大統領の訪日の件は別として、あの田中元外相と鈴木氏の問題は何だ?
子供の喧嘩か?あげあし取り大会か何かか?ムネオハウスって一体・・・?
誰が何を言ったとか言わないとか、招待状が届いたとか届かないとか、
見ていて呆れてしまう。
政治家って、こんなものなの?
只私が政治というものを、日本の国家というものを解っていないだけなのかな?
でも、私の周りの人たちも呆れてる。
もっと他に問題はいっぱいあるような気がするのに。
確かに疑惑をクリアにすることは重要だ。
事の大小に関わらず。NGOもムネオハウスも招待状も、クリアにするに越した事は無い。
国民だって、嘘吐きな政治家なんて望んでいないのだし。
でも、何故もっとスマートに取り組めないのか?
いつまでたっても、言った言わない程度の議論の繰り返し。
都合の悪いことは上手く交わして。
何やってんの?!って、怒鳴りたくなる。
こどもの喧嘩かーーーって。
人間なんて自分の欲求の基に生きるもので、
言わないにせよ自分が一番大事だと思っているもの。
でも、間違えて欲しくないのは、政治家はこの国と国民に対して責任があるのだ。
だから、私利私欲に走ってもらっては困る。
自分のことだけ考えてもらっては困る。
もっと、政治家以外の、私達の言いたいことを聞いて貰わないと困る。
私達にも、問題はある。
政治に無関心すぎる人も多い。世界がどうなっているか解らない人もいっぱいいる。
私もその一人だと思う。
いくら日本の政治化に落胆しても、もっと声を大にして言うべきなんだ。
「何やってんの、しっかりしろ!」

2002/2/21/THU
[意味も無く]
意味も無く悲しかったり、寂しかったり、絶望したりすることがないだろうか。
それも突然に。
何だか悲しくて、寂しくて、絶望的な気分になる。
一人の夜、友人達と呑んでいる席、昼間のオフィス、シュチュエーションに関係なく。
本当は何か原因があるのかもしれない。
心の奥の方とか、記憶の深い部分とか。
でも、それもよく解らない。
ただ、悲しくて、寂しくて、絶望的な気分になるのだ。
数年前まで、そういう状況に耐えられなくてよく泣いていた。
何が原因か解らないのに、必要ないことまでぐるぐるぐるぐる考えて、眠れなくなる。
信用できる人間を探して、頼って、寄りかかって、よく迷惑をかけていた。
意味の無い感情に振り回されて、色々な事がコントロールできなかったのだろう。
自分との付き合い方が下手だった。
今でも偶にある。
でも今は人に寄り掛かったりはしていない。
夜、とことん泣いてみたり絶望してみたりする。
人に話しても理解できない部分だと思うから、自分自身で処理する。
それは、本当は凄く寂しいことかもしれない。
信頼の置ける人に話したほうが楽かもしれない。
それでも、一人で処理する。
上手く表現できないけれど、自分に必要な時間なのだと思う。
日常の、人と接している時間と一人で居る時間のバランスを取る為。
感情のバランスを取る為に必要な時間なのではないだろうか。
だから私は、今夜も泣くかもしれない。
絶望して、なかなか眠れないかもしれない。
それでも、夜は終わるのだし。
目が覚めたら、また新しい一日が始まるから。

2002/2/18/MON
[電車にて]
私は仕事帰りの電車が大好きである。
通勤に約一時間かかる私は、動く箱の中で本を読み、スヤスヤ眠る。
その日も、乗って直ぐに本を読み始めた。
最近購入したお気に入りの本。
3つ目の駅で、中学生らしき男の子が二人、私の席の直ぐ横に立った。
一人の男の子(仮にA君としよう)が、大きな声でいった。
「あいつ、マジうぜーよ」
私は、自分の眉間に思い切り皺が寄るのを感じた。
「うぜーって、何?何語??」
ここからは、会話を再現したいと思う。
A君「あいつ、まじうぜーよぉ」
B君「あいつって、○○先生?」
A君「そうそう、俺はさCのことなんて、いじめてないわけよ。
それをおれがっやったっていうわけよ」
B君「A君は、いじめするように見えないのにな」
A君「いや、俺もさ、別の奴はいじめてるけどCのことはターゲットにしてなかったんだよ。
だから、そいつの件は俺じゃないのに、絶対俺だっていうんだよ。まじムカツク」
B君「大体今時いじめなんて、どのクラスでも当り前だよな。
俺はテニス部の奴いじめてるけどな」
A君「そうだよな。もう当り前だよな。
だけど、いじめてない奴のいじめまで俺の所為にされちゃ、
たまんねーよ。まじうぜーって」
と、大体こんな感じである。
私は頭の中が混乱してしまって、?マークが飛び交った。
結局君達いじめやってんじゃん。
それを、さも疑われた自分が被害者みたいな顔をしているのだ。
疑う教師も教師だが、幾らそのC君のことは自分じゃないからといって、
他の子をいじめていたら同じである。
何だろう、何かが欠けているのね。と思う。
幸い、私には「いじめ」という経験はない。
学校というコミュニティ。
成長する過程でこれを欠く事は出来ない。
その中で子供達は関係性を学んでゆくのだ。
けれど、まだその小さな空間、
少ない人脈しか持たない子供達は人間関係を上手くコントロールできないでいる。
例え小さな空間でも、関係性の中で溺れて飲み込まれないように、溺れないように、
虚勢を張る。それがいじめなのかと思う。そして、弱さだ。
誰かをいじめることで自分を保とうとしているのだ。
電車の中、大きな声で悪態をつく子供達。
この二人が大人になったときに、自分のしたことの意味を問うことが出来るだろうか。
償いをしろとか、謝罪しろとか、そういうことが言いたいのではない。
いじめた者といじめられた者とが遠く離れたとき、
自分がしたことの意味、された事の訳。深く考えることが出来ればいい。
そして、誰かに伝えられれば良い。
切にそう思う。

2002/2/14/THU
[甘いチョコレート]
甘いものが苦手なあの人に少し意地悪をして、
甘いチョコレートを送った。
彼は笑って受け取って、直ぐに全部食べてしまった。
甘いものは、苦手なのに。
結婚が決まった年にまた意地悪をして、
甘いチョコレートを送った。
彼はまた笑って受け取って、直ぐに全部食べた。
甘いものは、前よりも苦手なのに。
二人で暮らし始めた年にいつものように、
甘いチョコレートを送った。
会社の子から貰ったものは食べないのに、
彼は笑って、直ぐに全部食べた。
何故わたしは毎年意地悪をしてしまうのだろう?
甘いチョコレートに、愛情以外の物を含んで。
これから先、何年経っても笑って食べてくれるであろうあの人。
解っているのに、試すみたいに甘いチョコレートを送る。
若し食べてくれなかったら、何かの前兆。
そんな風に思いながら。彼の愛情を図りながら。
次の年もまた意地悪をして、
甘いチョコレートを送った。
彼は笑って受け取って、直ぐに全部食べた。
私はそれを見ながら悲しくなった。
彼はいつも素直で真直ぐ。
私はいつも姑息で意地悪。
来年のバレンタインデーも同じ事をするのだろうか?
彼の目が、「どうしたの」と問い掛ける。
私は泣き出した。

2002/2/6/WED
[オトシアナ]
まだまだ春は先なのに、
日の出が早くなってゆくくらいのことで喜びを隠せない。
そんな気持ちを見透かすみたいに雪が降って、切ない朝に為る。
スターバックスでコーヒーを買って、会社へ行く。
見慣れた高層ビル達が、何時もにも増して白く無機質。
箱の中に居る人を想像することすら困難で、切ない朝に為る。
彼は会社の窓から、この雪を眺めているのだろうか。
友人とランチを食べながらもそんな事を考えて、切ない午後を迎える。
彼女はこの雪を見ながら、遠い春を思うのだろうか。
限の付かない仕事にパソコンをたたきながらもそんな事を考えて、切ない午後を迎える。
午後6時、都庁の前で彼を待つ。
5分過ぎただけなのに、何故か彼は来ないような気がして、
もうこのままずっと逢えないような気がして、切ない夜が来る。
午後6時、彼女に逢いに都庁へ走る。
5分過ぎた時計を見て、何故か彼女は待っていないような気がして、
もうこのままずっと逢えないような気がして、切ない夜が来る。
切なさは形を変えた幸せで、
愛する人の落とし穴に落ちた日からずっと続く。
蜘蛛の糸のように纏わり付いて離れない。
罠みたいなもの。
落とし穴の罠。
彼は走ってきて、
彼女は待っていて、
出会ったときと同じように微笑んだ。
切なさが、途切れた。

2002/2/4/MON
[St Valentine's Day]
クリスマスが終わって、簡素になった町にまたカラフルな色が戻ってきた。
都会にも田舎にも。
ショーウインドウに飾られた色取り取りのリボンやギフトボックス。
お菓子屋さんに山積みになったチョコレート。
ハートを象った商品にはSt Valentine's Dayの文字が躍っている。
思いを寄せる異性に送る為の大切なプレゼント達。
この時期になると、学生時代のことを思い出す。
街が賑わうのと同時に、学校も賑わう。
女の子たちは、とても必死。男の子だって、期待と不安に満ちていて。
今考えると、何故あんなにも大騒ぎできたのかと思うほど、あの一日にかける思いは大きかった。
チョコレートを選んだり作ったり、自分の思いをこれでもかと言うほどに詰め込んで思いを告げる。
何故か私は一度も告白できなかった。
チョコレートを持って学校に行くのに、出来なかった。
友達が泣いたり笑ったりするのを、傍で見ているばかり。
渡せなかったチョコレートを持って帰って一人で食べた。
自分の思いを一杯詰めた甘いお菓子を、自分で食べて苦笑い。
私は歳を重ねるにつれて、バレンタインに余り執着しなくなってきた。
会社の人に渡す義理チョコを用意する程度。
何か、自分だけこの雰囲気に溶け込めなかったりして。
気を揉むような煩わしさはない反面、少し物足りない気もする。
大人になって、素直じゃなくなったのかもしれない。
甘い行事に感ける事が格好悪いとか思ってしまったり。
結局、逃げているのかもしれない。
2002年、St Valentine's Dayを目前にして、私も数年ぶりにこの行事に興じようかと思案中。
一年にたった一度のチャンスだしね。
ここで素直にならないでどうする!!と言う感じ。
一年に一度、背中を押してもらえる日。
殉教者聖バレンタインの名を借りて思いを告げることのできる日。
このチャンスを生かした人の上に、幸せが降りますように・・・
心から祈って。
Happy Valentine

2002/1/31/THU
[懲役14年の人]
先週、ニュースで新潟の女性監禁事件を見た。
判決が出たのだ。
懲役14年。
長いとか短いとか、反省している、していないとか、
そういう事はもっと思慮深い人たちに任せておくとして。
もっと別の部分で、衝撃を受けた。
第二回公判で、被告は言ったそうだ。
「嫌われていると思っていなかった。ずっと上手くやっていると思ったから」
コメンテーターは、自己中心的な人間だと、彼のことを語った。
人のことを考えられない、自分のことしか考えない人間だと。
これって、この人だけが特別じゃあない。私だって、同じ立場かもしれない。
私、自分の大切な人に同じ事をしていないだろうか?
もしかしたら、いっぱい傷つけているのに、見えてないんじゃないだろうか?
私が好きだから、相手も私を好きで居てくれる。なんて、思い込んでいないだろうか?
愛しているとか、好きだとか、そういう言葉を伝えることが苦手な人は意外に多い。
面と向かって言うのは照れくさい。
たとえば、そんな理由で。
でも、本当は理由なんか無い。
そんな事言わなくても、相手は分かっている筈だ。
心のどこかに、そういう考えが当たり前のようにあるから言わないのだと思う。
自分の中には、好きだという意識があるから、相手に対して、凄く無防備になってしまう。
余り考えずに、適当な言葉を浴びせてしまったりする。
本当に肝心なことは伝えない。そのくせ、何故この人は解ってくれないのだろう?
なんて、腹を立てる。
思い込みの、一方通行の人間関係。
被告のように、極端な行為に走っている人など殆どいないが、
誰だって少しの要素は持っているような気がする。
勿論、私を含めて。
画面の中。
斜め45度、背中を向けて立つ被告のイラストからは、表情さえ読み取れない。
私が彼に後悔して欲しいことは、この犯罪そのものだけじゃあない。
只の一度も言葉にしなかったこと。
一方通行でしか、被害者の女性を思いやれなかったこと。

2002/1/28/MON
[忘れ物]
最近、沢山の忘れ物に気付く。
それは大人になるにつれて忘れてしまうもの。
厄介だけれど、時としてとても大切なもの。
私には甥がいる。
休みの日なんかは、一緒遊んでもらっている。
彼はまだ1歳にもならないから、私たちに理解できる、所謂意味のある言葉は話さない。
よく笑い、泣き、拗ねる。
時に、心なしか淋しそうな顔をする。
自分の欲するままに、自分の心のままに過ごす。
人は、歳を重ねるにつれて、他人のことを考え、社会に溶け込むため、
自分を押し殺す方法を身に付ける。
それは、必要な事であり、仕方のないこと。
欲求だけに従っていたら、この世の秩序はなくなってしまうのだから。
でも、思う。
他人を優先させすぎてはいないだろうか。
押し殺し過ぎてはいないだろうか。
大人に成った故、優しさや思いやりや計算に雁字搦めになって、
素直に自分を出す事を、忘れていないだろうか。
我儘になれなんて、言いたいんじゃない。
自己中心的とも違う。
ただ、自分を忘れては駄目だと、そう思う。
秩序の中で、自分の欲求だけに従う事があっても、いい。たまには。
この子の様に、お腹が減ったと拗ねて、眠いと言って泣き出し、
時に、つまらない事でも、大笑いして。
私、この子が大人になる前に、沢山学べそうだ。

2002/1/25/FRI
ハジメマシテ。
今日からコラムメンバーに加わったKAORUです。
自分の書いたものを、より多くの人に読んでもらえると良いなぁ・・と思います。
さて、第一回目は『言葉』について。
[言葉の重み]
ずっと昔、まだ小学生ぐらいの頃から、文章を書くことが好きだった。
夏休みに毎年出る宿題で一番好きだったのが『自由課題』
アリの研究とか、工作とか、みんなそういう物を提出していたような気がする。
初めて小説を書いたのは、小学校6年生のとき。夏の『自由課題』
ありきたりな言葉。拙い文章。
でも、私の処女作。今も大切に持っている。
中学生になっても、高校生になっても、只管書いていた。誰に見せるというわけでもなく。
物語を書くならば、それは必ず正しい日本語、解り易くて格好良い言葉。
作文の時間に教えられたような、文章を書く法則に従ったもの。
人に言われた訳ではないけれど、ずーっとそう思い込んでいた。
今になれば、そんなの思い込みだ。
私がそれに気付いたのは、本当に最近。
それも、小説とか、コラムとかそう言ったものからでなく、生きた会話から。
以前同じ職場で働いていた友人がいる。
彼は東京、私は岐阜で暮らしている。偶に、メールのやり取りをする。
一緒に働いていた頃、自分の中に溜まる様々な問題を彼にぶつけていた。
まるで、八つ当たりでもするみたいに。甘えていたのだな、と思う。
彼はごくありきたりな、普通の人だが、発せられる言葉が、私はとても好きだった。
時に羽根布団のようだったり、鋭い刃物のようだったり、
氷のように冷たかったり。
その度に私は、様々な感情を抱いた。
解ってくれる人がいてよかった。
そんな言い方しなくてもいいのに。
自分のことは自分で考えろと言うことか。
冷静になって振り返ったときに、その言葉がその時の私に必要なものだったことに気付く。
法則だけにしたがったキレイなものよりも、もっと、違う。
誰かの望むもの。突き動かすもの。心地よくするもの。
今までは、凄く自己中心的な感覚で書いていた文章が、交わす言葉が、
少し変わった気がする。
人は、どんな感覚で言葉を発するのだろう。
それがどんな重みを持っているのか自覚しているのだろうか。
斯く言う私も、その重みを忘れてしまうことがあるけれど。
常に意識したいと思っているのよ。常に。
彼に言われた言葉で、いまだに忘れられないものがある。
凄く突き動かされたセリフ。
私が仕事を辞めて、物書きになりたいと言ったときのこと。
「今のままじゃあ、何時まで経っても泥臭いものしか書けないよ」
もっと他に言い様があるだろう?! と思ったが、今となっては大切な言葉。
これのおかげで進んでいるようなものだし。(或いは自棄ともいうが)
ここで、私なりの言葉で、色々なこと綴っていければと思う。
そしてそれが、読んでくれた人たちを、癒し、突き動かしてくれるものになるよう、
祈りながら。

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