NATSUDONZYKANOKAORUMIYUMACOKUMIKOYOUTERUYOAKO
MASAMITUBASAAIRIaHANAYOHINATAKURANAOMIOSINKEI
HOMEBBS

サイトでコラム執筆者を募集したところ、スタイルを持った書き方が、とても気に入りMACOさんが採用!
ようこそ、MACOワールドへ。。
PROFILE
NAME :MACO
年齢:26歳
血液型
:O型
星座:天秤座
出身地:福岡
好きなもの:HERSHEY'S、カルピス、ケーキ、おいしい食事、気の合う仲間、温泉
嫌いなもの:鱗、ゴキブリ、小さい虫、ぬるぬる、じめじめ


■MACOです!感想、質問などなどメール下さい。

■MACOサイト:まちるか
■MACOサイト:そうさくまちるか

 福岡テイスト【EVERYDAY LIFE 】
2004/2/10/TUE
-1〜2月のテーマ『最近気づいた事』-
[しっかりもの]
私は26年生きていきましたが、
ずっと自分はしっかりしていると思っていました。
周りの人にも「しっかりしてるね」と言われていたし、
自分でもその通りだと思っていました。
しかし、数年前の失恋を機にしっかりしてない私が実権を握り始めました。

モノを落としたり忘れたり、昨日のことを忘れたり…。
今までの私では「あ・り・え・な・い!」ことが起こるのです。

当初は失恋のショックかしら、私もヤワなもんだわ。
などと思っていましたが、2年たって物忘れとボケは酷くなる一方。
ついに私は手帳を付け始めました。
余暇の予定を書き込み、作った料理のレシピを書き込み、
雑誌やテレビで言っていた情報をメモするためにです。
年齢的な問題なのでしょうか、ゆるゆるな生活をしているせいでしょうか。

その答えのようなものがつい最近分かった気がしたのです。
私はずっとしっかりしないといけないと思っていたようです。
「私がしっかりしなければ!」という状況が沢山あった記憶があります。
けれど、生活的には今の方が責任も重いし、
しっかりしないといけない状況が多々あるのです。

きっと数年前の私は「しっかりしないければいけない」という
背伸びをしていたのではないかと思います。
何でも自分一人でしないといけないという気持ちが先行していて
人を頼ることや甘えることの上手な采配ができていませんでした。
「しっかりしなければいけない」が自分に同化しすぎていて、
「しっかりもの」な私が完成していました。
そして、いつもセカセカして、段取りの悪い人を見てイライラしていました。

その仮面をベリベリと剥ぐことになったのは失恋でした。
自分がしっかりしなければならないと思い込んでいました。
とても無理をしていたのだと思います。いつも嘆いていました。
恋と一緒にしっかりものの仮面も流れてゆきました。

生きていれば変わるものなのですね…。
前はもう少しリラックスしたいと思っていたのに、
今はもう少ししっかりしなければ!と思っています。
しっかりものの私も私の中にいるので、
どうにかしてもうちょっとハバをきかせて欲しいと切に願っています。




2004/1/14/WED
-11〜12月のテーマ『これが私の生きる道』-
[冷静でいること]
私は私を良く知らない。
ご飯を食べるときの咀嚼回数。
排泄までのサイクル。
歩き方、喋り方、走り方、動き。
自分の声さえよく知らない。

芸能人が綺麗になる理由の一つ。
自分を第三者として見れるというもの。
これは大きいと思う。

最近の若い人は履歴書の写真写りがとてもいいのだそうだ。
プリクラなどで慣れてるので、自分のキメ顔を知っているらしい。
自分の可愛い顔を研究している。
第三者的に冷静に分析しているわけだ。

私は自分の姿を見る機会なんて写真くらいで、
しかも「うへーぶっさいくやでー」と思ってサヨナラする。
でもそれってぶっさいくな顔で生きてると自分で認めてる。

完璧な自分を装うわけじゃなくて、
どれだけ自分の良い所をどれだけ探していけるか。
自分のことが嫌になったりすることも確かにあるけれど、
ぶっさいくと思う自分で生きていくには人生は長い気がする。

だから少しずつでも自分のことを知って行こうと思っている。
希望を持つのも、熱意を持つのも大切だけど、
今どこにいるかを知ることもきっと大切だから。
いつでも自分を冷静に見れる自分をそばにおくこと。
そこで最善を尽くす事。
へこたれることの方が(かなり)多いですけど、
そうしていきたいなと常々思ってます。




2003/10/15/WED
-9〜10月のテーマ『携帯電話の向こう側』-
[繋がるのが怖い]
私は携帯電話を持たないで出かける。
固定電話化している。
自分が一人で楽しんでいる時間に、
電話という横槍が入るのが好きじゃない。
これは真実だけど綺麗事。私のタテマエ。

最大の理由は「鳴らない電話を待つのが切ない」だ。
誰かの着信音がなるたびに、嫉妬してしまう。
鳴らない電話を待っているのがイヤで、
何度も電話を遠ざけようとした。
でも、期待している。
次に見るときは、「着信アリ」表示になっているのではないか。
「メールアリ」の表示になっているのではないか。
欲しい人からの音沙汰は無く、長く遠ざけた後の電話は手に重い。
電話の向こう側で、忙しく働いているのだろうな。
私の電話もメールの返信もできないくらい、大変なんだろうな。
自分自身に理由を作って言い聞かせる。
溜息をついて、無理にでも口角を上げて、また電話を所定の位置に置く。

会社の会議中にもピロロと電話がなる。
打ち合わせ中にも。
仕事中にも。
鳴るたびに、自分のではないかと心臓をドキっとさせる。
けど、私の電話は鳴らない。

いろんな理由を言い聞かせた私の心には、
どんどん勝手に作った恐怖心が膨らんで不安定になる。
返信されないコンタクトを取るのがとてもつらくなる。
繋がるのが恐くなる。起こっていない事象が恐くなるのだ。

歳を重ねたら、皆どんどん誠実になっていくと思っている。
歳を重ねた分だけ、痛みを知った分だけ、他人を知るのでは無いかと思っている。
そこから、自分以外の人々を尊び慈しむことを学ぶのではないかと思っている。
私はそう信じてる。

だけど、自分を守るのに精一杯になる方が簡単なんだと知る。
察せない相手を「わからないヤツ」にして、
無意識に自分を守ることを選ぶコースの方が常識的で一般的なんだ。

私は、鳴らない電話を手に持ってどのコースに進むかを考える。
無意識にどのコースを進んでいるかを思い巡らす。
大人の恋って何なんだろう。




2003/8/22/FRI
-7〜8月のテーマ『スキルアップ』-
[足元のスキルアップ]
スキルアップと聞くと肝が冷える。
「スキルアップしていかないと、どんどん遅れていっちゃう」
そういう観念が頭にあったから焦ってしまう。

あの資格をとって、英会話を習って。
時間は無情に過ぎてゆくから、ちゃんとしておかないと。
仕事なんていつ無くなるかわからない。
ちゃんと、しておかないと。
私はほんの少し前までそういう思いでいっぱいになって、
ただがむしゃらに足掻いていた。

でも最近は、
今の自分の仕事をちゃんとこなして、
それに自信と誇りを持つこと、
それが最大のスキルアップな気がしてきたのです。
だれかの仕事の方が大変そうだし、
かっこいいから「立派な仕事」じゃないし、
だれかに見下されたり、
馬鹿にされるから自分の仕事が「小さい」わけじゃない。

仕事をこなすのは「当たり前」だから誰かに威張れることじゃない。
けど、自分は自分が頑張ってることを知ってる。
「当たり前」のことをこなす大変さも知ってる。
だから自信も誇りも持っていいのじゃないかと思った。
どんな小さなことにでもプロになれる。
その小さなことを疎かにしない、
それが自分を伸ばすコツなのではないかな。

自分の仕事を自分で尊重できないと、
自分の仕事内容の目測を誤る。
それは自分自身を尊重できないと、
自分を見失うのと一緒だと思う。
目先のことのために笑顔を失うのは悲しい。

目先の「スキルアップ」よりも、
足元の「スキルアップ」。
その大切さがやっとわかってきた25歳です。




2003/6/4/WED
[異国からのメールに教えてもらったこと]
米国人や英国人と英語でメール交換をする機会があった。
慣れない英語を繋いでなんとか文章にして送る。

そのやりとりで、少し素敵な文化に触れた。
メールの最後は「thank you for …」だとか、そういう言葉で締めくくられること。
何かしらハッピーなことを願ったり、相手への感謝で締めくくる。
私がやりとりした相手だけだと思っていたけど、どうも違うみたいだった。

日本語で言うところの「乱筆乱文にて失礼いたします」が、
「love」なり「than you」なり「I hope」だったりするわけだ。
さすがに友人とのやりとりで「乱筆乱文にて失礼いたします」は使わないけども…。
私が英語の固い表現方法を知らないだけだろうけど、
それだけにシンプルに伝わった。

「元気でね!じゃ!」と締めくくるよりも、「健康には気をつけてね」で締めくくるよりも、
「素敵な毎日が過ごせますように」「素晴らしい日々が続きますように」とか
クサーイけどちょっと相手の幸せというものを願ってみると、私も嬉しいことを知った。
何気なく使うよりも、相手にとって一番いい幸せってなんだろうと思いながら
最後の締めくくりを考えるのってすごく有意義。

言葉には言霊が宿るという。
だったら言葉に幸せを乗せて相手に贈るのは、自分にとってもハッピーだ。
そういう言葉の大切さを、異国とのやりとりで知った。

英語は大変だったけど、とても得たものが大きかったと思う。




2003/5/28/WED
-5〜6月のテーマ『この街に住んで.....』-
[見つけた場所]
福岡に住んで15年になろうとしている。
それまでは関西方面に住んでいた。
私が福岡のことを「この街好きだな」と言えるようになったのはつい最近。

小学校5年生で福岡に引っ越してきた私は、
方言を始めとする習慣の違いにまず戸惑った。
また、私が通うことになった学校は「地域色」が強く、
余所者に対して少しだけ厳しいところがあったと思う。
中学校に上がる時は数校の小学校が統合されるものだが、
私が通う中学校は統合される小学校が少なく、実質そのまま進級したような体裁だった。

文化の違いや、土地柄の違い。そこらへんに私は躓いたのだと思う。
その土地の者になろうとする努力なんてしなかった。
人の目を集める特技があったわけでもない。
それに失ったものは綺麗に見えるもので
引っ越す前の生活と比べることが多くなっていった。
それは他人から見たらいつまでも余所者の態度だったのかもしれない。

思春期だったのもあると思う。
漠然と、どこかに帰りたいと思うようになった。
帰属感に欠けた私は浮き足だった存在だったろう。

それを脱却できたのはつい最近のこと。
いろんな地方出身の人と出会う機会が多くなったのはとても大きいと思う。
いろんな積み重ねで「私はここに居てもいいんだ」と思えるようになった。

街や他人の中ではない。自分自身の中に自分の居場所があることに気づいた。
すると不思議なもので「この街に住んでいる自分」という位置づけができるようになった。
「居場所探し」に恋人や会社や友達や土地を使わなくて良くなったのだ。
そうすると街の面白い所や楽しい部分が見え始めた。
今まで見えなかったのが不思議な程に…。

まだ「九州の人間はね」とよく諭される。
引っ越す前にいた関西に行っても「大阪ではな」と言われるのがオチだろう。
でも、にこにこ笑いながら受け流す自分が居る。これはとても大きい。

それでも私はこの街が好きだし、住んでいたいと思う。
コンサート会場はいっぱいあるし、ドームもあるし、図書館もあるし、
地下鉄で主要箇所はどこでも移動可能だし、お魚はおいしいし…!

でも。
どこかに引っ越すことがあっても、私はその街で面白いモノを見つけると思う。
街に住むのは私で、
それを楽しいにするのも私だから。




2003/5/13/TUE
[蝶]
山椒や柑橘系の木には蝶の幼虫、イモムシさんがつく。
去年は山椒と八朔の木、と言っても腰くらいの高さなんだけど、
の葉を全部食べられてしまった。それはもう見事に全部。
葉の芯の部分だけ残して食べられた姿は非常に寒々しかった。
これで光合成できるのかしら、枯れないかしら、とハラハラしてたら、
春の陽気にあてられて葉が復活した。
丈もぐんと大きくなった。力を蓄えてたのね。
自然って強い、と感心。

去年はうちの山椒と八朔で大きくなったクロアゲハが、蛹から蝶に孵る所を見ることができた。
まだ乾いてない羽を、強風に煽られながら乾かすその姿に自然の強さを見て感動。
かよわくきれいに感じる蝶が高貴で高潔な生き物に見えたのは初めてだった。
去年はクロアゲハの幼虫に山椒と八朔は食われた。
今年はアゲハとクロアゲハが山椒と八朔の前をヒラヒラしている。

綺麗だからアッチイケ!もできずに、「うあーきれー」と思って見つめてしまう。
横で私が他の植物に水をやってるのに、意に介せずというかんじ。
「うあー、卵を産んでるのかなぁ」と思うのだけど、
ナメクジも殺せない私がイモムシを殺せるはずがなく。
ごめんね、山椒に八朔。あなたのご主人はアゲハの餌にあなたたちを提供しようとしてます。
お水をあげるから許して、後はあなたたちの踏ん張りよ!ファイト!
と話しかける横でアゲハが空に舞い去る。
ほんとうに、今の季節はいいなーと思う。




2003/4/2/WED
[世迷言]
洋服を買う時は必ず試着する。
靴も鞄もその店で貸してもらう。
スカートを買う時はトップスも借りる。
その店のコーディネイトで姿見の前に立つ。
決して安くは無い店で買うのだから、これくらいは当然する。
必ず店員は「似合いますよー」と言ってくれる。
商売だから当たり前。そして必ずここで私は聞く。
「夏も着れますよね、コレ」

そう、安い買い物じゃない。
だから、流行に惑わされない形や素材を選びたいし、
できれば春と夏、春と秋、と跨って着たい。

帰宅して買い物袋から洋服をハンガーにかける。
腰に手を当てて、決意する。
神様、仏様、ご先祖様、私は誓って来シーズンの洋服は買いません!
だって、これは秋まで着れると見込んで買ったんだから!

そして数ヵ月後の夏。
きっと私はフラフラと洋服屋に入って試着している。
絶対している。
でも楽しいからいいか、と結論づけてまた新しい洋服を楽しむのだ。

自分の中での、最強の煩悩だと思う。
でもできれば、一生楽しみたいと思う。
そんな女心。




2003/3/26/WED
[愛ってやつ]
自分の子どもを虐待や育児放棄。
ひどい暴行事件や、強盗事件。
事件を起こさないまでも、どう考えてもおかしいことをしてる人。

私は、そういう人はその人のせいで怖い思いをした人と
同じ思いをすればいいのにと思っていた。
同じ思いをして苦しめばいいと思った。
でもそういう刑罰があったとしても、同じ思いをするかなんてわからないんだと気づいた。
その人は世の中に飽きていて、刺激の為にそういうことをしたのかもしれない。
自分自身にも興味が無いのかもしれない。

ひどいことをしました、と裁判でうなだれる人が本当に反省しているのかもわからない。
涼しい顔をしている人でも、ものすごく反省しているかもしれない。

使い古された言葉だけれど、そういう人って愛が足りないんだなぁと思った。
誰か特定の人を愛する、という悶える愛ではなくて、
人類や物事にたいする温もりの愛情。
私を誰か見て!愛して!愛したら愛すわ!という見返りを求める愛じゃなくて、
普遍的な愛。
空が晴天だったり、ふっと笑みがこぼれるような余裕とか、
花の蕾がふくらみ始めた時に湧き上がる幸福感とか。
そういうのが無いんだろうなと思った。

もし、そういう愛という名の注射があって、
その人が愛で満たされたら、自分のしたことがわかるのではないかなと思った。
そしてわかったとき、ものすごい苦しみが始まるのじゃないかと。
それが刑罰であるべきなんじゃないかと思った。

と、思ったので話したら「それはドラッグ?」と言われた。
いやいやドラッグじゃない。
でも、あったらあったでドラッグ化するのかな。

でも、言われた。
「満たされても満たされてもまだまだ足りないっていう奴いっぱい出てくるよ。
もっともっとって。自分で生産するのが一番なんじゃない?そう思うけどね」

綺麗ごとを言ってるわけじゃない。
自分がしたことが本当にわかったとき、一番痛いのは自分自身。
そういう目に遭えばいいって思ってるわけで。
私も愛が足りていないみたい、だ。




2003/3/15/SAT
[できること]
戦争が正義か悪かなんて答えられない。
答えられるとすれば、私は悲しいということだけ。
誰かが死んだら、悲しい。
家族は。恋人は。友人は。どんなに嘆き悲しむだろう。
嘆きや悲しみが憎しみになり、それが戦争になるのなら単なる私憤であり私怨だ。
領土や資源が戦争の原因になるのなら、それは私欲だろう。

9.11テロの時、私は恐かった。
テロは許される行為ではない。
巨大なビルが崩れさる様を、「え?ウソでしょう?」と言いながら見た。
どれだけの人の身体と心に傷を与えたか。考えるに余る。
そして何よりもマスコミが流す情報と人の反応が怖かった。
「これだから宗教は」というような言葉を何度聞いただろう。
マスコミも何度も衝撃なビル爆破の映像を流し、
悲しむ人々を流し、そしてテロに喜ぶ人々を流した。
私は一歩下がったところからそれを見ていた。
そして、こうやって戦争は起こるのだろうと人事のように思った。

思うに、宗教も政治も国も軍隊も学校も会社も包丁も存在は何も悪くない。
もしそれが悪いというのならば、悪くしたのは指導者、すなわち人だ。
人が、悪くしているのである。
人は「悪者がいる」などの理由があれば安心する。
そして大勢は自分が「悪者」でなければいいのだ。
自分と、せいぜい親族と恋人と近い友人さえ無事であれば安心なのだ。
早い話、自分さえ良ければいいのである。
やったことはすぐ忘れるけれど、されたことは覚えている。
そこに人への共感の能力なんてものは存在しない。
だから、戦争は起こるのではないかと思う。

何もできないから、言うだけなら偽善者だから、などと言い訳せずに、
できることを模索してみればいいと思う。
私は人柱になるつもりは無い。
「NO WAR」とプラカードを持って練り歩くのも無理だ。
でも、私にできることがある。それのために、ほんの少しだけ労力を割く。
何よりも大切なのは、偽善じゃないかと葛藤することではなく、
自分は何ができるかを考えることだと思う。
「なぜこんなことをするかわからない」と言う前に、
わかろうとして情報を自分で集めるだけでもいいのだと思う。

恐怖や不安や罪悪感で人を動かすのは、賛成できない。
テロで大切な人を失ったのに、それを乗り越え戦争を反対する人達を尊敬します。
私は、戦争が起こらないことを心から願い、祈ります。




2003/3/8/SAT
-2〜3月のテーマ『My Gift to You』-
[その言葉に]

以前の私なら「好き」と伝えたければ「好き」と言ったろう。
「愛している」と伝えたければ「愛している」と言ったろう。

最近の私は「好き」を言わなくなった。
「好き」を100万回いうのをやめた。

その代わり「好き」を乗せるようになった。
「おはよう」に。
「おやすみ」に。
「電話したかったの」に。
目に、手に、声に、温度に、睫に。
全てに柔らかくて暖かい好きを乗せる。

ふっと貴方を見た時、貴方が私を見ていたら、
私の「好き」は伝わっている気がするのだ。

ほら、伝わってるわね。
貴方のも伝わってるのよ。
そして「好き」と口に出す。

今日も笑みに「好き」を乗せる。
明日も明後日も。ずっと、そうしたいなと思う。




2002/11/4/WED
[消去する思い出]
私は写真を持たない。
現像して、見て、捨てる。
手元にある写真は、本当に楽しかった旅行の写真のみ。
卒業アルバムなんて、幼稚園の時のしか残ってない。
場所をとるから全部捨てた。

自分の顔がコンプレックスというのもあると思う。
丸い顔が嫌い。
だから「ウゲゲゲ!公害!」と思って捨てる。
でも、それだけじゃない。
過去を思い出とすることがとても下手クソなのだ。

最近、今の自分で精一杯のデジカメを買った。
なかなか使えるヤツだ。
遊びに行くときに連れて行く。
ちょっとしたものを撮る。
これが楽しい。

その場で撮ったものがすぐに見れる。失敗は消去する。
どんなに顔が皺くちゃでも
本当に楽しそうなものだけをプリントする。

思い出を選別する私が、最強のツールを手に入れた気がした。
頭の中の思い出は消去できないけれど、
情報にされた思い出は簡単に消去できる。
今は現像する前に捨てることができる。

思い出にするのが下手。
けれど、割り切りが下手というわけではない。
過去を思い出として後生大事に取っておくほど、
頭にも心にもキャパシティが無いのだ。
だからこそ「楽しい」で溢れたものだけを
身の回りに置いておきたいのかもしれない。

こういう行動の根っこにあるのは「自分自身を守りたい」という想い。
とても不器用だと思う。




2002/11/28/THU
[素敵なhug]
私は「お人よし」の所があるらしい。
「お人よし」というよりも、人から蔑ろにされることを
受容してしまう所と言うべきか。

友人から「直したほうが後々の為だと思う」と助言を頂いた。
確かにその通りだと自分でも思ったし、どうにかしようと思った。
…が。

今までなんとか形になった積み木を崩して、
別の形にするなんて、本当に根気がいる。
進んだと思ったら、引き戻されている。
この作業にも、とても疲労れてしまった。

そんな時、プチ同窓会のお知らせが舞い込んできた。
就職活動の時の大変だった時期に一緒だった人達。
なんとなく、参加した。

驚いた。すごく楽しかったから。
仕事や私生活の愚痴を言う人なんて誰一人居なかった。
かと言って、過去の思い出話にひたるわけでもなく。
本当に久しぶりに会った?というくらい、話しが合う。
笑い転げた。気持ちよく笑うことを思い出した。

私はお手洗いに立った。出ると、そこに男友達がいた。
酔っ払いの私を心配してくれたらしい。
こういう優しさが今の私には震える程、素直に嬉しい。

何かを笑いながら話していたら、彼はふいに優しく私を抱き寄せた。
頭2つほど私より大きな彼の脇のあたりに私の顔はうずまった。
彼は大きな手で、私の頭を撫でるように触った。
そして「お前も頑張れよ」と言った。
私は彼の腕に手をかけて「あんたもね」と言った。

ウダウダ考えていたことが吹き飛んだ。
頭がクリアになった。
エロも無い、色恋も無い、それなのに気をかけてくれる男友達がいる。
そのことが私に勇気をくれた。

ほんの数秒だった。
私たちは付き合ったことがない。
それどころか電話番号もメールアドレスも知らない。
そこにあるのは、友情だった。
ただの、友情。

こうやって、何かのきっかけでまた会って、
お互いの事情なんて知らず、ただ、「頑張ろうね」と
声をかけあう友情もあるんだと思った。
それの方が心地よい時もあるんだと思った。

ほんの少しのことで自信をなくして、
ほんの少しのぬくもりで自信を取り戻す。

あんな素敵なhugをスマートにできる友達がいるなんて、
私は本当に幸せ者だと思う。




2002/11/20/WED
[ダメダシ]
つぼちゃんという5歳ほど年上の友人がいる。
つぼちゃんは私と同じような仕事をしている。
もちろん、ひょんなことから知り合って、
ひょんなことから仲の良いお友達になった。
飲みに行った時、焼き鳥とビールを豪快に食べる
つぼちゃんに相談を持ちかけてしまった。

会社で社内の一部の人がコンピューターウィルスに
対し驚く程意識が低く、平気で人のコンピュータにFDを差し込む。
断りを入れてもらえばいいが、それもない。
何が嫌って、その人のPC(持ち込み)はウィスル対策ソフトが入っていない。
私のパソコンでウイルスが検知されること3回。
その人は笑って「悪気は無いから」と茶化すだけ。
時折は先輩風を吹かせて「文句あるの?」という態度。
最高にまいってしまっていた時。

つぼちゃんはふんふん、と梅酒を飲みながら聞いた後、
にやりと意地の悪い顔をした。
「macoは、優しそうだもんね」
「優しい?」
「良く言えばね。でも、それ、完全にナメられてるから」
やっぱり?やっぱりですか!?と私ははぁぁぁと手に持っていた串を置く。

「そこがいけないのよ。いい?イジメも何でもね、相手を見てするの。
あ、こいつはやり返さないな、復讐とかしなさそうだな、噛み付かないな、
って計算が働くからそういうことをするの。
そういうやつの獲物を見つける鼻は天下一品なんだから!
あんたはね、妙に物分りが良いのよ。しょうがないなって、割切りすぎ。
いい?あんたはあんたのPCを守る義務がある。それを侵すヤツがいる。
やっつけなさい」

つぼちゃんも同じようなことがあったそうだ。
そして、「責任をとってくださいね」と言ったそうだ。
『このパソコンに何か障害が起こったとき、責任を取ってください。
私はスキャンディスクからウィルスチェックまでキチンとしています。
何かあれば、データの打ち込みなど、責任をきちんをとってくださいね』
上司相手に言ったらしい。さすがつぼちゃん。

私もつぼちゃん大明神様の言うとおりに、(でもやんわりと)「責任をとってくださいね」
と言ってみた。
「これは私のパソコンです。これ以上ウィルスを入れられるのは迷惑です。
これに入っているソフトが必要であれば、ご自分のパソコンにインストールしてください」
何か言いたげだったけど、私も譲る気は無かった。
相手も物分りの良い人だったみたいで、もう関ってくることは無くなった。

と、つぼちゃんに報告した。
つぼちゃんはガハハと笑って言った。
「良かったわネェ。弱いものに噛み付くしか能の無い人間で、
しかも役職無くて。ガハハ」
そして、梅酒の梅をもぐもぐ食べながら、
「ほら、あんた、男にも良い様にされがちじゃん。
これを機に気をつけなさいよ。ガハハ」
…耳の痛いご忠告ありがとうございます…。

負けるかOL道!進むぞOL道!




2002/11/5/TUE
-10・11月のテーマ『今だから言えるゴメンナサイ』-
[アタシへ]
私は随分と長い間、アタシを無視してきました。
アタシが何を思って、何を考えて、どうしたいのか。
それにちゃんと気を配らず、人の目に映って見栄えのするアタシを作りあげていました。
洋服も行動も言動も、誰かの「お気に入り」なアタシにするために作りあげました。

そうして、アタシを殺してしまいました。
それでもアタシは心の病気という形で私に助けを求めました。
私はそんな病気の私を「ヒロイン」にして、アタシの本意に気づこうともしなかった。
人の同情を引こうとしました。わかってくれない人を悪者にしました。
そうして、どんどん私はアタシを追い込んでいった。

ここ半年で、やっとアタシの存在に気づけました。
やっと、私はアタシを大事にすることを学びました。

だから、アタシへ。この「今」だから言えます。
本当にごめんなさい。
これから何かをしたい時は、一番にアタシに相談します。

本当にゴメンね。




2002/10/2/WED
[貴方に対して出来ること]
貴方に対して出来ることってなんだろう。

私に真っ赤な口紅の存在を教えてくれた貴方。
私の唇にその色をのせることを教えたのは貴方。

私は鏡の前に立って、リップペンシルで丁寧に輪郭を描く。
真っ赤な口紅を筆に取って、丁寧に色をのせていく。
ティッシュを唇に挟んで、少し色を取る。
そして、マットな仕上がりになるようにゴールドのグロスをのせる。

貴方に対して出来ることってなんだろう。

家に押しかけてご飯を作ることかしら。
毎日メールすること?
それとも、毎日電話することかな。

貴方に対して出来ること。

貴方が私に真っ赤な口紅を教えてくれたことは、
私にとってとても革命的だった。

下品で妖艶な印象しか無かったその色は、
私の唇の上で華を咲かせて、
私の顔色を明るくさせた。

貴方は言った。
「下品にするのも上品にするのもその人しだい」

貴方は私の新しい私を発掘した。
私も貴方の新しい貴方を発掘したい。

貴方に対して出来ること。

とりあえずは…、
私が健康で毎日暮らすこと。

あなたの記憶の大事なページの一つに、
私という存在を強く強く残したい。
ふっと思い出して、笑顔がこぼれるような。

それが、貴方に対して出来ることなのかもしれない。




2002/9/10/TUE
[ターコイズブルーの絨毯]
そのバーの何処が好きかと聞かれたら、
「ターコイズブルーの絨毯が好き」と答えるだろう。

寂れたスナックから卸したような皮のソファに、
高さの合わないテーブル。

灯されているローソクのゆらゆらした光の上で、
異彩を発する絵。

赤や緑の照明に照らされる絨毯のターコイズブルーは、
とても怪しい。

メニューも見ずにカクテルを頼んで、
バーテンとちょっとした話をする。

バーに入ると私は寡黙になり、
一緒に来た友人を困らせてしまう。
食事をする時は笑いを取ることに一生懸命になる私が、
バーに入った途端に喋らなくなるからだ。

バーでは、全てを楽しみたい。
音楽、照明、お酒、空気、全てだ。
チグハグのようで、1つなバーが好きだ。
何かがおかしいのに完璧なターコイズブルーの絨毯が、
私を心地よくさせる。
誰かと来ていても、私はそこでは一人になる。

カクテルを心地よく4杯あける頃、
友人に「帰ろう」と諭される。

後ろ髪は引かれない。
なぜなら、帰ればまたここに来る楽しみができるから。

いつから、こういうお酒を楽しむようになったんだろう。

これが近頃の私。




2002/9/4/WED
[マニキュアの魔法]
私が私に魔法をかける時、ペテキュアをする。

手にはオフィス色のマニキュアしか付けることができない。
宝石みたい指がキーボードを叩いたらウキウキしそうなものだけれど、
生憎と会社はウキウキする所ではない…。

だからオフィスNGカラーは色は足の爪につける。

家でくつろいでる時、足先が見えるミュールやサンダルで出かける時、
お風呂で身体を洗っている時。
ペテキュアの色が目に入るととっても嬉しくなる。

人の足元なんて誰も見ない。
そんなところに密かに密かに、私なりのこだわりを発揮させるのが楽しい。

女の妖艶さが欲しい!と願えば真っ赤なペテキュア。
元気になりたい!と思えばパステルオレンジ。
女の子したい!と思ったらピンクラメ。
マットな魅力が欲しいと思えば細かなラメが入ってるを重ねたり、
キラキラした魅力が欲しいと思えば大きめなラメが入ってるのを重ねる。

そんな足元を3日に1度作り出す。
私の足の指は宝石になる。
色は不思議で本当にそんな気分がしてくる。

そんな魔法を作り出すマニキュアが私は大好きだ。




2002/8/16/FRI
[覚えてますか?]
暑中お見舞い申し上げます。

連日、お忙しいのでしょうね。
私が貴方のお仕事をしていると考えると眩暈がしますよ。

最後にお会いしたのは…、たぶん、4年ほど前かと。
それからお会いしてませんね。

貴方はパタパタと本当によく動く方で。
周りの方がとてもあなたを頼りにしていたのがわかりました。
貴方の真摯な目がとても好きだったな。
まだあの目はお持ちですか???

あれは3月でしたね。
とても寒かった。
カイロを何枚も貼り付けましたね。
何枚も服を着込んで。

不安な気持ちで新幹線に揺られ、
不安な気持ちでローカル線に乗り込み、
不安な気持ちでタクシーで乗り付けました。

だから帰り際、貴方が私に「お疲れさまでした」と
声を掛けてくれた時、とても嬉しかった。

本当はこの夏、会いに行けたのですよ。
チャンスがあったのです。お誘い頂いたし。

でも、お断りしました。
理由ですか?暑いからですよ。
あそこは夏は暑くて、冬は寒いでしょう?
避暑地なら行ってましたよ。イヤーなヤツでしょ。私。

そう。それと。
結婚されたと、噂で聞きしました。
おめでとうございます。
貴方が選ぶ方だから、とてもステキな女性だと思います。
奥様と仲良くなりたいな。
貴方が選ぶ方ですもの。きっとステキな楽しい方だと信じて疑えない。

来年は体調を整えて、俄然ハリキッテ伺いますから!
お子様がいらしたら、是非、遊び相手にさせてください!
貴方と貴方が選んだ奥様の子どもですもの!
すべてが愛らしいハズ!(そうですよね?)

それでは、来年。
必ずお会いしましょうね。




2002/8/12/MON
[恋]
その人の腕に触れた時、血がざわざわした。
鳥肌がちょっと立って、それを見られまいと腕をひっこめた。

夜、「愛は永遠ではない」を自分自身で体現していることに吐き気がした。
異性に思慕の情を感じ、それから覚め、離れることを何度かした。

永遠を愛を謳ったのは誰か。
そんなものを求めているのは誰か。

次の恋愛には「何かの傷」をひきずる。
その傷を癒そうと無意識に行動する。

彼に対して些細な事でふくれた後、
それは彼に対してではなく、
他の誰かに怒ったことを感じる。
いつかされた同じようなこと。蘇った感情。
それをすべてぶつけてしまう。

それに気付いて、謝る。
「ごめん、あなた以外に向けるべき感情をも、あなたに向けた」
どうしようもない、無限ループのように思えた。

永遠である愛は慈しむ愛なこと。
恋はいつか終わること。

私の吐き気は、自らの理想の追求と潔癖症を表した身体の反応。
つまらない幻想にとらわれた、おとぎの国のお姫様。

私は考えて、彼の電話番号をリダイヤルした。
突然呼び出したのに、彼が来るのに30分もかからなかった。
時間を守る完璧な人。
背格好も性格も笑顔も会社も仕事も、すべて完璧な人。

嬉しそうに私を見る彼に、私は頭を下げた。

付き合えません、ごめんなさい。

非常に身勝手な短い恋だった。




2002/6/21/FRI
[消音]
じめじめした雨以外なら、雨は好き。
私は大雨が好き。
雷をともなうともっと好き。

雪は音を消すというけれど、
大雨も音を消す。
ザーっという音は何もかもを消してしまう。
覆い被さるように。

寝る前に大雨になると、
子守唄のように聞こえる。
規則正しく、ずうっと、ザーザーいってるから。

何もかも消す。
よく眠れる。

朝、雨が上がっているとちょっと寂しくなる。
ずっと雨ならいいのにな。
そうしたらいつもゆっくり眠れるのに。




2002/6/5/WED
[5年目の答え]
5年前、八方塞の状態に陥った。
20歳になったばかりで、その状況は相当きついものだった。
悪条件が重なる時期ってあると思う。
その時の重なり方は史上最強に酷かった。
天と地がひっくりかえったまま1年間を過ごしたようなものだった。

今でもいろいろと苦しいことはあるけど、
「あの時」を思い出すと全然大丈夫と思うことができる。

その5年前、「助け舟」を出してくれた人がいた。
ぽん、と何事も無いように船を出してくれた。
しかも思いもかけない人で、
どうしてこの人が私を助けてくれるんだろうと思った。
ある約束を引き換えにだったけれど、
底の底にいる私には本当にありがたい船だった。

お金も無い、社会的地位も無い。
そんな私が出来ることは「約束を守る」こと。
その約束も自分の生活を多少犠牲にしなくては
いけない約束だったけれど、
約束の6ヶ月間、私は約束を守った。
当然だと思った。というより、当然だと思う。
むしろ「約束を守る」ことしか出来ない自分の無力さが
情けなかった。
感謝してもしきれないことがあるということを学んだ。

つい最近友達から言われた。
「彼が言ってたよ」と。

5年前、あの人との約束、きちんと守ったでしょ。
あのころあんたはすごい大変だったのは知ってたから、
すごいなって本当に思うんだよ。
彼は、やっぱりできません、と泣きついてくると思ったんだって。
若いってそういうことってわかってたからって。
けど、毎月、ちゃんと約束を守ったでしょ。
だからね、彼はね、あんたをすっごく信用してるって。

誰の約束でもちゃんと守るわけではない。
誰にでもいい顔をするわけじゃない。
むしろ冷たい方で、どうでもいい方だ。

でも絶対裏切っちゃいけない人だと思った。
あの時の約束を守ることは「最低限の礼儀」だと思った。
ただそれだけだった。

それでも、私の精一杯が彼に届いていたことに、
その夜涙が出た。

彼はあの時の私の人生を決める大事なキーパーソンだったんだ。
あの時の私の行動の答えがつい最近私に返って来た。
まだ25歳の私には5年は非常に長い。
自分の状況に甘えて、あの時彼に甘えていたら、
同じ「答え」は貰えただろうか。

嬉しいと同時に怖くなった。
自分の行動は「原因」だから、
それに伴った「結果」が返ってくる。
今、していることも、
いつか「答え」となって、
私の前に姿を現すのだろう。

いやー、怖い怖い。




2002/5/24/FRI
[女を維持するための格闘]
私の中の男。
皆さん素敵なコラムを書いてるのに、私がネタに走っていいもの
なのか悩みましたが…。
真子、突っ走ります。

私が自分の中の男を感じる時。
他でもありません。
ムダ毛の処理をしている時です。(キッパリ)

今からの時期がちょっと憂鬱。
男だったら悩まなくていいのかなーって思いながら。

カミソリにするか、
ワックスか、
脱色か、
ムースか、
嗚呼、どれが肌に一番負担が少ないんだろう。
ただでさえ紫外線が強いこの季節、
さらに肌に刺激を与えてどうする!

女性は肌が白くてつるつるで、毛が無くて…と
こう「定型」とされている価値観は作られているのですよ。
たゆまない努力によって。

これらの毛を全て生やしたら、
そこらへんの男には負けないね。
いや、勝つね。

なんて思いながらムダ毛の男らしさに
泣いているこの頃です




2002/4/23/TUE
[言葉って難しい]
最近「何て言ったらいいかわからない」時がある。
私の周りの人たちに起こった「なぜ?」という出来事。
どうしてあなたがそんな目に遭うの?
こっちの心の方が痛くなって言葉に詰まる。

昔は一生懸命言葉を探して、
何かを言おうとしてた。
励まさないと。
力になってあげないと。

最近はひとしきり聞いた後、
「何て言っていいかわからない。ごめんね」
そう言う。
自分の無力さに打ちひしがれる。

その人が感じている痛みはわからない。
どんなに明るく喋っていても、
混沌とした感情が渦巻いているのだと思う。

私にできるのは、いつでも話し相手になってあげること。
「うん、うん」と頷いてあげること。
思い切り泣かせてあげること。
そばにいること。

あと、他愛の無い話で笑顔を引き出してあげること。

アドバイスなんていらない。
言葉は時に無用の長物。
人の温もりが一番必要な時だってある。

人は言葉を濫用しすぎると、
感情や欲求を吐き出せなくなるかもしれない。
泣いたり、喚いたり、拗ねたり、病んだり。
そういうことができる場所が無いと心が死んじゃう。

言葉が感情を超えることは、きっと無い。
言葉が人の温もりを超えることもきっと無い。
だから私は黙って、泣いたり、喚いたり、拗ねたり、病んだり、
そんな感情を受け入れる。絶対に突き放す言動だけは取らない。

「大丈夫?」
最後にはこう聞くのだけど、
これもどうかなと思う。
言葉って難しい。
ほんとうに難しい。




2002/4/22/MON
[記憶]
家の近所に土手があった。
そこで自転車を乗る練習をした。
私の自転車の先生は父だ。
何度もこけながら、膝とか肘とか擦りむいて、
それでも一生懸命に練習した。

キャンプの楽しさを教えてくれたのも、
春の山菜摘みのハイキングを教えてくれたのも、
魚釣りを教えてくれたのも父。

いろんな事情が重なりあって、私は父と折り合いが悪い。
極力顔も見たくないし、声も聞きたくない。
だから、父の愚痴をこぼしたりする。
それはきっと私はまだ父に関心があるからだと思う。
関心がなければ、どこで何をしても興味がないから。

もし私に父と遊んだ楽しい記憶が全くなく、
そして折り合いが悪いのであれば、
きっと取り付く島もない状況になっているのではないだろうか。

あの記憶たちが私と父を繋ぐ細い糸なのかもしれない。
そう思うと少し怖い。
あの記憶という貯金が無ければ、今ごろどうなっていたのだろう。




2002/4/8/MON
[やさしい言葉]
その人とは中学生の時に出会った。
私の3倍は年上の女性だ。

ぽんぽんものをいう方なのだが、ぜんぜん嫌味じゃない。
厳しい方なのだが、裏には慈悲に近い思いやりがキチンを
存在している。一本ピンとしたものを持ってらっしゃるし、
孫のような私を下に見るわけでも、甘やかすわけでもない。
人間として見られているのがわかった。
当時最高潮に甘チャンだった私には頭をがあんと殴られる貴重な経験。
生きるってこういうことか、と厳しさを垣間見た。

その方に「あなたは心が優しいのよ」
と言われたことがある。
その時はまだ19歳で、はっきり言って嫌な奴だった。
尖ってて、人との輪には入れず、笑い方もわからない。
自分が何者かもわからない。愛想笑いしかできない。
毎日が窮屈で退屈でどうしようもない。
人間ってなんて孤独なんだろう、と哲学めいていた頃。

ぽつぽつと思っていたこと、疑問に思うこと、
それを聞いてもらっていた気がする。
そして「あなたは心が優しいのよ」と言われた。

「寝言は寝て言ったほうがいいですよ」
と、喉まで出かかった。
自分がどれだけ心が不細工で弱虫で嫌な奴かわかってた。
それが顔に出てとても陰鬱になっていることもわかってた。
それらを通り越して、その言葉!?と思った。

でも、何かつらいことがあったりすると思い出すのはその言葉。
本当のやさしさが何かは私にはわからない。
ただ彼女が私にかけてくれた言葉は、私にとって
とてもやわらくてやさしいものだった。

まだ小童な年齢を抜け切れていない私を見て、
もう何十年も生きている彼女がそう言ってくれたということは、
別段何の根拠も無いようで、経験と勘という何ものにも変えがたい
稲妻のような理由があるんじゃないかと最近は思う。

「やさしい」という原石が私にあるのなら、
生き抜いてその原石をピカピカにしてみたいと思う。
私が持てる私のやさしさ。

きっと一生忘れることのできない大事な言葉を与えてくれた
出会いに感謝したい。




2002/3/19/TUE
[つきあうということ]
もうずっと前から「付き合う」って何だろうと思っていた。
興味を持ち合った男女が、お互いに拘束しあう。
恋なんていつか冷めるのに。

束縛して、
自分を受け入れることを求め、
自分が特別であることを認識させ。
相手からの連絡を待ち、
相手のことを苦しいほど思う。
いつか冷めるのに、二人だけの世界にいるという幻想を追い続ける。

恋心は無くなる。
残るのは、愛着という情か。

私はまだ24歳だ。
それなりに出会いも別れも経験した。
恋を失ったあとに残るのは、相手への恨みでも執着でもなく、
郷愁だ。
ふと思い出すと、ふっと笑みが浮かぶ。

やっと思えた。
付き合うって素晴らしいことだと。

別れを経験するたび、私は優しくなった。
人を思いやることの難しさを、自分を主張する難しさを、身をもって知った。
やるせない思いを胸に抱き、それを克服して、明日へ繋げた。
どれだけ自分が周りの人たちに生かされているかを感じた。
自分の図太さを知り、苦笑しながらも、そんな自分を頼もしく思った。

心をさらけ出して、自分の心に忠実に、後悔しないようぶつかって。
付き合うって、一緒にいるって、苦しい人間関係だ。
傷つけたことを数えても、
傷つけられたことを数えても、
何も得なかった。

でもそれを経験するごとに私は人の痛みがわかった。

人の縁とは不思議なものだ。
別れてみないと見えない何かが必ずそこにはある。
その出会いと別れが無ければ、
もしかしたら一生知りえなかった何かかもしれない。

愛や思いやりって素晴らしい。
それを体験できる恋って素晴らしい。
私は何度も傷つきながら、重ねていくのだと思う。
何かを得るために。




2002/3/18/MON
[助けるもの]
私は感情の人。
私の体内に感情の大きなうねりがあって、時に咆哮をあげる。
私は頭を抱え、痛む胃を押さえ、頭痛を堪える。
耐える。
けれど、耐えれない局面に立たされた時。

私は文字を連ねる。
ノートに思いを書き連ねる。

ノートに書けば、誰も見ない。
誰も傷つかない。

文字にして整理する。

頭で何回も同じことをぐるぐる考えるよりも、
文字にしていくほうが自己完結が早くなる。

解決の糸口もそこにある。
その時感じた痛みも、後々まで思い出すことができる。
人にやさしくなる。

私に文字を連ねることは私が私を助けるもの。
自分が自分にとって頼れるヤツになるための最善の手段。
泣いても、苦しんでも、乗り越えるのは自分。

あなたの、自分を助けるものはなんですか。




2002/3/11/MON
[卒業式と花束]
卒業で思い出すのは卒業式。
制約が多い学校生活。束の間の自由の時間。
入学や入社をしてしまうとまた規則で縛られてしまう。
けれどほんの少しの間の、その自由への儀式がとても好きだった。
そんなことだから卒業式は大好きだった。

私は女子高に通っていた。
卒業式には校門の前に、花束を持った男の人がいた。
私と同じ学年の誰かの卒業を花束をもってお祝いしにきているのだ。

そんな自由だけを楽しみにしてる私には異世界のようだった。
花束を持って男の人が迎えにくるなんて、そんなロマンティックなこと、
私には現実じゃなくても、他の誰かには現実なのだ。

卒業式の後、友達と窓から校門をそんな情景を見る。
嫉妬でもなんでもなくて、
映画のワンシーンを見るような、
匂いもないような、
でも、
心に深く残るような。
そんな語れない思いなのだけど。

こぼれる笑みと笑みが、花束の上にあって。

自由と規則と。

そんなことが風のように通り過ぎていった。

そんな卒業式だったな。




2002/2/20/WED
[別れよう]
彼の言葉に、唇を真一文字に結んで、目を伏せる。
今顔を上げたら引きつっていて、引き際がかっこいい女を演じれない。
心を落ち着けて、理由付けを自分に課して、せめて引きつっていない顔を見せたい。

私はストーカーじゃない。
恋愛が人生の60%も70%も占めていない。
この人と今別れることになっても、また次の出会いが待っている。
私の次の出会いのために、この人は私から去る。
この人は悪くない。正直なだけ。
私も悪くない。頑張った結果が残念なものになっただけ。

そう、すべては新しい未来のために。
私の明日のために。

私は顔を上げて、彼の顔を見る。
彼の私を哀れむような目がそこにはある。
哀れむような、その目が私を深く傷つける。
別れを切り出されるよりも、その目が私を切り刻んだ。
みじめな女に映っているんだ。彼の目には。
そんなことは許されない。
けれど、冷静になろうとすればするほど目が熱くなる。
涙をこぼさないように、微妙に顔の角度を上げた。

それでも涙が頬を流れた。
私は唇を噛んだ。

どうして別れは綺麗じゃないんだろう。
綺麗なまま、楽しいまま、終わればいいのに。
彼が望むことと私が望むことが食い違う。
それがこんなに苦しい結果になるのなら、私が折れておけば良かった。

あとどれくらいこんな別れを繰り返すのだろう。
自分のスタイルを持って生きるってどういうことだろう。

葛藤が渦巻き、こめかみが疼き、胃がむかむかする。
明日なんていらない。昨日に戻して。

冬のある一日。
自分の生き方を見失いかけた、そんな出来事。




2002/2/12/TUE
[周期]
私は(一応)性別は女なので月経がきます。
だいたい28日周期なんですけど、ミラクルですよね、これって。

私が意識しないでも体はだいたい28日周期で
生まれ変わってるらしいのです。
それを女の人は毎月体感できるのだと思います。

生きるための身体のプログラムといえども、
この周期っていうのはすごい。

感情や身体はある一定の周期性がある。
科学でここがわかっても「なぜそのようになっているのか」
という根本の根本はわからないわけでしょう?

身体にも感情にもリズムがある。
ならきっと、人生にもリズムがあると思うんです。
一日のリズム、一週間のリズム、一ヶ月のリズム、一年のリズム…。
浮があれば沈みもある。
リズムが狂うと身体も狂う。
月経と同じなのかなー。

月経前症候群(PMS)を毎月抱え、
浮き沈み対策が毎月の課題の私。
リズムを知って乗り越えるのが一番の対策です。
地道だけど、効果は絶大。女は大変…。




2002/2/6/WED
[チョコ入れ食い状態期間]
年々、面白いほどに「イベント」に対する熱意が薄れていく。
年齢のせいでも無さそうなのだが。
会社に「義理チョコ」配りが無いということよりも、
社内の男性の平均年齢が「58」ということが原因ではないかと思っている。

愚痴は置いといて、
私が「バレンタインデー」で嬉しいのは、デパートでいろんなチョコが買える
ことだ。いかにも高級そうなチョコが並んでいる。
昼休みにダッシュして、三個500円くらいの高いチョコを買って、
疲れたときに口に入れる。
これは幸せである。
チョコがあまり好きではない私でも、どこぞの国の某有名チョコを食べている
という気持ちでもう心がいっぱいになる。

私にとっての「バレンタインデー」はチョコ入れ食い状態期間。
妹や友達が「彼氏に上げる前に作ってみたから食べて♪」と
言って手作りチョコを分けてくれるし。
体重増加は目を瞑って食べ続けようと思う。




2002/2/5/TUE
[おしゃべり]
女の子って「秘密」を共有することで「仲間」と認識するフシがある。
女の子のグループ対女の子のグループの闘争があっても私は
終わったあとに知ったりする。

人の「悪意の噂話」をするのは好きでは無かったし、
自分の悪意に友達を巻き込んで他人を罵倒する意味もわからなかったし、
自分の恋愛の話を友達に全て話す重要性も感じなかった。

休み時間毎に「昨日、某君とこういう話をした」とか昨日見たドラマの同じ
話を繰り返す友達にちょっと辟易していた。
けれど休み時間に一人で居たくなかったのでなんとなくやりすごした。

小学校、中学校、高校、専門学校。
「女の子」っぽい子はこういう話を好んでしていた。
そんな女の子に私は「秘密主義」と言われる。
あまり自分のことを喋らないから。

要するに、異端らしい。

女の子っておしゃべりだと思う。
けど、男の子はそういうきゃぴきゃぴした子を好む。
でも男はそういう女に段々と疲れてくる。
そんな話を聞かなくなってきた男に女は「もう私のこと嫌いなんだわ!」と感情的になる。
「私が一番不幸なの!!」と友達に何時間も話しまくる。

女ってきっと一生おしゃべりなのだ。
おしゃべりが生きがいで、おしゃべりこそが人生のエッセンス。

女のおしゃべりとか上手く折り合いをつけたほうがいい。
女の私もそう思うのだから、男の人は心したほうがいいと思う。




2002/1/28/MON
[マッサージ]
私は人にマッサージをするのがとても好き。
雑誌やテレビでマッサージ特集を組んでいると飛びつく。
あっというまに吸収する。

自分で試して、どのくらいの強さ加減が気持ちいいかみて、
どこがすっきりするかみて、人にする。
人に「うまいね」とか「気持ちよかった」と、
すっきり、びっくりした顔で言われるのがすごい嬉しい。

身体の箇所によっては「素人が触らない方がいい場所」があるみたい。
当り障りの無い、足の裏とか、手の平とか、頭皮とかを触る。
肩とかは撫でるようにマッサージする。
してあげてる人がうとうとし始めたら「勝った!!」と思う。

私は褒められて伸びるタイプ。

でも「褒められた」ことに満足しないから、もっともっとうまく
なって「ぎゃふん」と言わせてやろうって思う。
30歳までにはキチンと勉強するつもり。
私の大好きな人たちを、日常の疲れから、ほんの少しでも
開放してあげれるような、そんなマッサージをしたい。

無償でにこにこマッサージをするような、そんなバカみたいな
奴を一生続けたいと思ってる。
フフ。




2002/1/21/MON
[初心に返る]
成人式の若者の姿を見てると、ああ、若いなぁと思ってしまう。
それほどに歳をとったわけではないけれど、すごく隔たりを感じてしまう。

私が二十歳の時、なんでもわかっている気がすごくした。
けど、全然わかっていない時期だった。
今はまだ「自分ってまだまだだなぁ」とか会社で仕事の合間にふっと
身にしみてわかったりする。
二十歳の頃は学生で、頭でばっかりいろんなこと考えてて、
ちっとも現実的でなかった。

まだまだ私は成長するのだろう。
世の中に落胆したり、みんなわかってないと愚痴ったり、
そんなどうしようもないことを他人のせいにしてすれてしまわないようにしたい。

私の人生は平凡に過ぎていくのだろうけれど、
そんな中でも自分自身には嘘をつかないように、
自分自身が納得するように生きていこう。

新成人をみてそう思った。




2001/12/11/TUE
[色即是空]
お付合いしている人が「寝違えた」と言って、首を押えた。
左には曲がらなく、前にも曲がらない。
「放っておいたら治るよ」
そう言う彼の横で、私は冷たい汗をかいた。
その時に私の頭には
「この人が居なくなったらどうしよう」
という言葉が浮かんでいた。
それはなかなか消えなかった。
彼が熱を引きずっているときもそうだった。
私は勝手な妄想にかられ、全身の血が逆流するような冷たい感覚に襲われる。

自己愛の塊である私が本当に他人を心配しているはずがない。
所詮、失う恋人とそれに伴う安堵感の喪失に心を痛めることを想像して、手足が冷たくなるのだ。

それでも、彼が大事だという思いは存在し、
それが自分のどこに生息しているかも把握できずに、
私自身がそれを持て余し、その勝手な思いを相手にぶつけ、
困ったように首を傾げる彼を罵倒し、自分が望む答えを強要し。

勝手に愛し、勝手に心配し、勝手に喜び、勝手に悲しみ。

自分という宇宙からは一生逃げ出せずに、
自らの欲求を満たしてくれるものを求めて、生きる。

自分の煩悩の強さを、恋愛は私に見せつける。
見たくない部分をさらけ出される。
もう見たくないのだが、見続けなくてはいけないものなのだろう。





2001/12/1/SAT
[クリスマスメモリー〜哀愁編〜]
数年前クリスマスに一緒にいたい人がいた。

ダメで元々できわめて明るく「会おうよ」と言いたかった。
でも断られることが怖かった。
『彼女といるから』と聞かされたら、私は壊れそうだったから。
それくらいに、その彼との関係に疲れていた。
街を歩くと、楽しそうに腕を組んで歩いているカップルばかり目に入る。
いたたまれなかった。
だから友達と会った。一人は嫌だった。
でもその友達は彼氏が出来たばかりで、延々となりそめを聞かされた。
「私は、そんなこと、聞きたくない」
それも主張できずに「うん、うん。良かったね」と繰り返した。
飲んでいた抹茶はとても苦く、喉にからみついた。
階下のホールでクリスマスイベントが始まった。
ゴスペルが聞こえてきた。
やるせなくて、涙が出そうになった。
いつか、私も彼とプレゼントを選べるようになるんだろうか。
小さな小さな希望と、大きな絶望が私の中に混在していた。
彼とゴスペルが聞けたら、そんな人ができたら、
私はこれをいい思い出にできるのだろうか。

この時期になるとあの暗い感情を思い出す。
時は流れるんだな、と思う。
あの思いをしなければ今の自分はないだろう。
そんなことを思えるようになるほど時が流れたのだろうか。

喫茶店から街行く人をみながらそんなことを思った。




2001/11/29/THU
[温度と浮気]
私は「浮気肯定派」だ。
こんなことを言うとものすごい反論をされるときがある。
けど、私は自分の行動がきちんと自分で責任をとれれば、
基本的に何をしてもいいと思っている。

私は常に気持ちがふらふらしている。
人のいいところは、人の悪いところ以上に目に入ってしまう。
人としての魅力を感じた時に私は「この人をもっと知りたい」
と切に思う。男女問わずに。
手をつなぎたくなるし、キスしたくなる。その人の温度を知りたくなる。
そこにはエロスは無く、純粋な「知りたい」という思いしかない。
人にはあまり理解されないのだけれど。
その対象が男性であった場合、俗にいう「浮気」になるのだろう。

この人の温度が知りたい。
その欲求は身を焦がす。

彼のことを気にしながら他の男に抱かれても痛いだけで、
私には何のメリットも無い。
浮気を制する心は、どこから生れてどこに帰るんだろう。
人の温度をただ知りたいという欲求は、純粋で綺麗だと思う。
いろんな言葉や態度でがんじがらめにする関係は綺麗じゃない。

今付き合っている人の温度は、私にとても心地よく響く。
だから一緒にいる。
どんな男の人や女の人の温度よりもぴったりくる。
「浮気」という言葉のニュアンスは、
自分に相手を引き止める自信がない人が
作り上げたんじゃないのだろうか。
「浮気」はあくまで浮ついた心のことなので、
「本気」ではないのだから。

「浮気が本気になるのよ!」
というのなら、自分が相手が離れられなくなるような、
七色の温度を持てばいい。
浮気を一方的に相手の責任にするのはかっこわるい。
そう思う。

だから私は「浮気肯定派」。
(病気とか、妊娠とか抜きでだが)




2001/11/16/FRI
[ネタが尽きてます]
コラムを週に何回も書くぞ!と思うとネタにつまります。
万策尽きて、ネタも尽きるというかんじですね。
ついつい更新を見てみぬふりをしてしまいます。

P.N.D.Oからコラム部分が独立して、ライターさんがすごく増えました。
色が広がったと言う感じですよね。
他のみなさんのコラムを読ませてもらうと、文字って無限だなぁ、
ってあらためて思ったのですよ。

もともと文章も言葉も、文字と文字を連結して形を作るもので、
こうでなければならないなんて形はないんですよね。
文字を紡いで言葉にして作品にしていくわけです。
なんでもそうなんですけど、「こうでなければならない」というのは
自分の可能性に自ら蓋をしてしまうということなんですよね。

ネタに困って他の方の作品を読んで触発されることもあるわけで。

なんかそんなうだうだを文章にしてみるのもありかな、と思いまして
今回は特にテーマもなくダラダラと書いてみました。

書いていくうちに自然と形になっていくのもまた不思議ですね。
電話しながら、メモ帳に何も考えずに落書きしてるものが、いい感じに
まとまっていくみたいな感じで。

これからもそんな風に肩に力を入れずに、書きたいことを書かせて頂こうと思います。
うーん。これもまた人生に通ずるなぁ。
「肩の力を抜いた時に見えてくる風景がある」ってね。

ではでは皆様ごきげんよう。




2001/10/31/WED
[真の余裕、贅沢]
真の余裕、贅沢とは「心が豊かなこと」だとつと最近思い始めた。
お金があれば欲しいものは手に入るし、買い物した後はほくほくした気持ちになれて
嬉しい。
でもそれはつきつめると幸せには繋がらない場合が多いようだ。
モノが増えると収納場所が無くなるから何かを捨てるし、捨てなかったら部屋が狭く
なるか押入れが窮屈になる。
モノを増やした自分のせいなのだけれど辟易していた。

それで、今手元にあるもので遊びはじめた。
ポラロイドカメラで自分が買った秋冬モノの写真を撮ってレシートと一緒に挟んでコ
メントを添えることにした。
凝り性な部分が出てきて構図とか考えいたのだが、出来上がった写真を見てみると
思っていたのと全然違う。
難しい…。あれやこれやでスケッチブックに貼り付けて完了したとき、洋服ン万円
買った時以上すがすがしさがあった。
たった1時間だったのに。
「お金」と「もの」にこだわって充足を図ろうとするいた自分がすごく小さく見え
た。

「ビール一杯でもね、お風呂上りのビールと、ご飯のあとのビールと、友達と飲む
ビールと、月を見ながら飲むビールと、雪を見ながら飲むビールは味がぜんぜん違う
んだよ」

このまえ友人から言われた。
その言葉の深さを知った気がした。

モノを買うときはストレス発散型の衝動買いではなく、これを持つことによってどん
な楽しいことが待っているか考えて買おうと思う。
そうしたらきっと、手に入ったとたんに興味がなくなることも無くなると思うから。





2001/10/9/TUE
[キャンパス]
私が今お付合いしている人は大学生です。
この前、彼の通っている大学の近くまで行ったので
構内を案内してもらいました。

私は高校を卒業して専門学校へ行ったのですね。
専門学校というのはたいがい都会にあって、ビルの中に
教室があるというかんじではっきりいって息苦しい…。
そんな私が目の当たりにしたキャンパス。
なんとういう広大な土地。なんという沢山の緑…。
「あそこが図書館でー、あそこが食堂でー」と説明してくれる彼。
全部が全部一緒のビルにあるわけじゃないのね…。
すごい土地の使い方だわ、と興奮してしまいましたよ。

私が嬉しかったのはキャンパスを手をつないで彼氏と歩く
という、そういうシチュエーションでして…。
非日常的な空間に身をおくとは、こんなにも心がうきうき
することなのかと感動しました。カラダの中の空気の総
入替してすっきり。

日ごろおじさんに囲まれてくさくさしてるので、若い男性で
目も潤いました。
こういう気分転換はとても有意義ですね。お金もかからないし。
何歳か若返った気分も味わえるし。

いいことづくしだったわけですが、また今週も仕事です。
現実をたっぷり頑張って、また非現実を味わいたいと思います。
きっと現実を頑張れば、数倍気分転換も楽しいハズ!
お近くに大学がある方は一度ぶらぶらしてみる価値はあると
思いますよ!




2001/9/27/FRI
[WAR]
戦争に対しての知識なんて無いのだけれど、書いてみようと思う。
「今世紀最初の戦争」なんて言われてるけど、
「前世紀の戦争」と同じふうに考えるのは違うと思う。

今回のテロで世界中の人がわかったことだろうけれど、
日ごろ便利だと思って利用しているものが突然武器に変わるのである。

飛行機がビルに突っ込んだ。
東から西へ行くために沢山つんだ燃料が爆弾の火薬になった。
そんなものが巨大なビルに突っ込んだ。

前世紀と違うのは危ないものが私たちの周りに沢山あるということ。
普通にビルが燃えるだけで有毒ガスが発生する。
車だって黒い煙をあげながら燃える。
飛行機を原発に突っ込ませるだけで、人を何代もの間苦しめる
ことができる。
昔みたいに、木が主流の暮らしじゃない。

私は目の前で崩壊したビルを見たわけでもないし、
家族を失ったわけでもない。
けれど痛みを想像すると切なくなる。

それでも戦争はおこってほしくない。
悲しみが連鎖するだけじゃないのだろうか。

力でねじ伏せることが産むのは何だろう。
正義とはなんだろう。




2001/7/4/WED
[大切なもの]
大切なものがあれば人は強くなるという。
けれど、私は弱くなるんじゃないかと思う。

何かを守りたいとそう思ったときには、
それを抱きかかえることを選んでしまう。
抱きかかえてこの身で守ろうとする。
大切なものを汚そうとするものには、
怖いけど、自分と言う鎧と牙で立ち向かう。

守りたいものを自分の弱さと一緒に抱きかかえる。
ぴりぴりとした緊張感が身体を駆け巡って、
精彩を放つ。そんな気がする。

自分の手に余る大切なものは、自分の手を離れて
暴れだす。自分自身が食い尽くされてしまう。

そんなものを抱えて生きることに疲れて、
私たちは大切なものを自分自身の中におしこめる。
自分の内に入るような大切なもので我慢する。

それを己の分をわきまえると言うのだろうか。

弱いものを抱えるから人は強くなる。
自分自身に強くなる。
人が自分の大切なものを守るために立ち上がったら、
どんな世界になるだろう。

どきどきする世界になる、きっと。




2001/5/28/MON
[安定]
最近、私はどぉぉぉぉっぷりとあるものに浸かっていました。
ハイ、それは「安定」です。

社会人4年生。あれだけ10代の頃に唾棄していた安穏とした生活に慣れきっています。
怖いなぁ。慣れってさ。新しい環境へ飛び込むときにすごい力が要る。
跳躍するための助走がすごくすごく長いんだな。途中でばてて、「もういっか」で終わってしまう。

私にもさ、夢とか希望とかに輝いてた時期があったはずなのね。
けど、日々の気だるい忙しさの中に置いてきた気がする。
「夢は何?」って聞かれて、咄嗟に答えられない自分がいたんだ。
あぁ、来たな〜って思ったよぉ。
何かをやるためにいるのは、資金ではなく情熱なんだ。
でも資金にこだわる、逃げの姿勢に入った私がいる。

アフターファイブのコンパも週末の小旅行も、何だか陽炎みたい。
夢を忘れた人間が、夢を持っていたころのマンガや映画にはまるみたいなかんじ。

「夢」と「安定」を秤にかけたとき、どっちが重いですか?

いろんな人に聞いてみたい。
アナタの忘れたモノは何ですか?ってね。




2001/3/26/MON
[季節は春・・・]
暖かくなると寒いのが恋しくなって、寒くなると暖かいのが恋しくなります。
なので、今はちょっと寒いのが恋しくなりつつあります。
隣の芝生は青いというか、ほんとに無いものねだりが得意です。

それでも季節は巡ってくるんですね。私がやぁやぁ言おうとさ。

この春の時期の何が楽しいかって、木や土手の彩りがキレイなことです。
名前も知らないような、小さな花が一斉に咲いてるじゃないですか。
あれを見ると、「あー、今日も頑張るかなぁ」って思うのです。

この前テレビで十二単を来た女の人が出てました。
襟のとこ、いっぱい色が重なってるじゃないですか。
うろ覚えで申し訳ないんですけど、そのとき着ていたのは緑と赤の組み合わせだった
んですね。
「梅の花が、緑の蕾から花開くまでを表しています」
と説明の人が言ってました。
美的感覚が高かった時代があったんだなぁって関心してしまいました。
源氏物語が愛されている理由もきっとここらへんにあるんでしょうね。

春夏秋冬、大きな大きな庭の彩りの移り変わりを見る生活っていうのも風流でいい
なぁ。
しかし、それができるのは今も昔もお金持ちだけですね。
うーん。プランターで精一杯…。

というわけで、現実に戻された私は、せこせこ公園まで花見をしに行くのでした。




2001/2/28/WED
[With love]
いよいよ3月ですね。
4月が出会いの季節なら、3月は別れの季節ですよね。
この時期になるとなんとなく思い出す人がいます。
私が「常識」とか「一般論」とかを全部蹴っ飛ばして好きになった人です。

出会いはビリヤード場でした。
とてもビリヤードが上手かったので「一緒にしてください」って私が声をかけたのが
始まりでした。
大きな手。パワーとテクニックで織り成すビリヤード。しゃんとしたフォーム。
かっこよく見えたんですね。きっと。
一線を越えてから、彼女がいるって聞かされたのですが、そんなこと既にどうでも良
かったんです。

だって好きなんだもん。
だって一緒にいたいもん。
だって触れてたいもん。
それが、パワーの源でした。
でも「どんなに頑張ってもやっぱり私は2番目で、1番になれないんだ」って気づい
た時、
心の中にあったもやもやが、真っ黒い染みみたいなものになって、
身体中に張り付いた感じがしました。

それこそ血の吐く思いで離れました。
私にちっとも誠実じゃない人だったのに、
なんであんなに好きだったのかわかりません。
恋する自分に恋をした、なんてカワイイものじゃなく、
「この人を殺せば、誰もものにもならない」と煙草をふかしながら、
ぼーっと思ったりしました。
彼は私が死んでも悲しまないだろうって思ったら、自分が死ぬのもイヤでした。

今も「会おう」と言われれば会えるけど会いたくないです。
だって「理性」とか無くなるんですもん。

友達から「アンタ、利用されてるだけやん」とか、
「ちょっと、冷静にならないかんよ」って言われました。
でも私の心はあの人と居たかったんですね。
いや、ほんと。
冷静に考えれば、考えるほど、一緒に居たかったんです。
きっと、暗い道を、彼の顔を見上げながら、ちょっと腕に触れて歩く、
そんな幸せな気持ちをくれたからでしょうね。

はっきり言って、もう2度とあんな思いはごめんです。
あんなに自己否定をするのは、最初で最後にしたいです。

でもやっぱり毎年思い出すのは、過去の思い出は「キレイ」にだからでしょう。
私がネアカなのかもしれないですけど。
「キレイ」に思い出せるのは、今の恋が良いものだから、ていうウワサもありますけ
どね。

別れがあるから、出会いがある。
出会いがあるから、別れがある。
そんな言葉を身体で感じた20歳の春でした。




2001/2/13/TUE
[微笑]
通りかかった花屋で、花を見かけると心が和む。
そんなゆったりした余裕が自分に生まれたのは、いつ頃だろうと考えた。
別段、遠い昔では無いと思う。
その余裕は何から得られたのか。
それは、前より笑うようになったからだと思う。
陰気な笑いしか出来なかったわけではないが、
最近は顔全体で自然に笑むことができるようになった。
目だけでも微笑めるようになった。

私は人の相談事を受けるときも一緒にしんみりはしないようにしている。
表情というのは大切で、しんみりな顔で励ますより、にこっと微笑んで励ます方が、

友人は必ず最後には微笑んでくれる。微笑にはパワーがあるなって思う。

いつもニタニタしてるわけではないけれど、
ちょっとしたときに、ふっと微笑める女性はとても素敵だと思う。
そういう女性になりたいと思い、実践していたら、自然と微笑めるようになった。

自分次第で少しづつ「自分」の軌道修正ができるから、人生って楽しい。




2001/1/29/MON
[縁とタイミング]
「あのさぁ、この歳で結婚するってさ、他にやりたいことがよっぽど無いってことと思わん?」
と、お酒を飲みながら友達に言われました。
この歳っていうのは「24」です。
周りに結婚をする人が増えて、結婚式に出席することも必然と多くなるわけです。
「結婚」というのが、現実の出来事として目の前に現れ始めたというとこでしょうか。
私も同じことを言ってた時期がありました。
『結婚は拘束であり、他のなにものでもない』って思ってた時期が…。

今年中に、高校時代から7年間付き合った彼氏と結婚するっていう友達がいます。
聞いてみたんですよね。「飽きないの?」って。
だって、7年ですよ!新生児が小学校にあがるくらいの年月ですよ。
答えは「2年くらいの時ははそう思ってたけど、ここまでくるとそんな問題じゃないね」でした。
他には、だいたい1年サイクルで恋人が変わってたけど、結婚した人とは知り合って3ヶ月で入籍した。結婚したかったから子どもを作って既成事実にして結婚した。
できちゃったから結婚した。等など。

そんな話を聞いてると、「縁とタイミングだなぁ」ってしみじみ思ったのです。
やりたいことがあっても、タイミングが合っちゃえば結婚するんでしょうね。
結婚したくてずっと付き合ってても、タイミング悪くて結局別れたり。
だから『拘束』『束縛』云々じゃなくて、決まる時は決まっちゃうんでしょうねぇ。

そう思ったら考えるのがバカみたいになりました。

「縁とタイミング」が合った人が「運命の人」なのかも。
そう考えたら、妙に納得。白馬に乗った王子様が「運命の人」ではないんですね…。

悲しいけど現実。そして結婚式が終わった後の、苦しい生活も現実。

…。
どっちにしろ、あんまり夢を持たない方がいい儀式なのかもしれません…。
やりたいことがあれば、それに向って突き進むも人生ですね!




2001/1/9/THU
[過去からの手紙]
あけましておめでとうございます。
21世紀ですね。21世紀。 蓋を開けたら自動車はまだ空を飛んでないし〜。
でもあと100年もあるから自動車は飛ぶかも。ドラえもんみたいなロボットもできるかも。
その時まで生きてるかなぁ。

さて、21世紀になったので10歳の時に自分に書いた手紙が届いたという人がいます。
学校で書いたそうです。何のイベントに参加したのかは覚えていないみたいですけど。
一種のタイムカプセルですよね。 スヌーピーの便箋に、何度も消しゴムで消した跡。
汚い字で一生懸命書いた手紙。
その中で「立派な大人になってますか?」という文があったそうです。
「ごめん、なってない」とすかさず謝ったそうですが。

小さな頃に、自分がどんな大人になるかって皆考えたと思います。
私は、大人は皆「エライ」って勘違いしてたから、大人への憧れもひとしおでした。
母が24で私を産んでいるから、そのころには私も子どもを産むって信じてました。
で、今の自分を見てみると、未発達状態。何の実がなるんだかわかんない状態。
ホント結婚どころじゃないし。

10代までって、与えられた形の経験が大きかったと思うんです。
20代の経験も大きいけど、自分の意志が大きく関わってくる気がします。
夢とかを現実にするパワーも若さもいっぱいなはずです。
その若さゆえの経験をを30代、40代に繋げていくですよね…。
繋がってるな、と思うと今日もガンバロウと気合が入るのですっ。

10歳の自分から届いた手紙には当時のクラスメイトの名前がイッパイ書いてあったそうです。
やっぱり殆ど覚えてないそうです。
そりゃねぇ。しょうがないですよねぇ。10年以上の前のことだし。

忘却という武器があるから、私たちはふてぶてしく生きれるのでしょう、ね?




2000/12/22/FRI
[はじめまして。真子です。]
plan-dさんに「コラム書きたいっ」とラヴコールをしたところ、
「いいですよ〜」との返事を頂きました。
まぁ、こんな一見さんのような私に任せるなんてplan-dさんたら冒険家。
でもご期待に添えるように頑張ります!気合だけは人一倍です!

このコラムは福岡県福岡市からの発信です!
私は福岡でWEB関係の仕事をしています。どうしてもネットの仕事がしたかったんですよぉ。
どうしても、どうしても。
私の目にはネットが、とっても魅力的に映っているんです…。
だってね、ネットって宝箱だと思いませんか?
いろんな情報が詰まっていて、すごく刺激的。
規制がないからいろんな人が、いろんな情報を発信してるでしょ。
自分のこと、恋人のこと、裁判のこと、病気のこと、自然のこと、政治のこと。
日々の考察だったり、のろけ日記だったり、怒りのぶつけ先だったり。
フタを開けたらどんどん飛び出てくるステキな箱。
いろんな色のいろんな形のいろんな思いが飛び出してくるんです。
宝箱と思っていたら、パンドラの箱かもしれなくて…。
またまたそこが魅力的。 実は蛇やら鬼やらが出てきてるかもしれないの。
すごいことだと思いませんか!

本当の情報も嘘の情報も飛び交う世界。
何が本当かは最終的に自分で決める世界。
もちろん現実の社会もそうなんですけどね。

ネットに魅せられた私は重度のネット中毒者として働いています。中毒患者でもやっぱり幸せ。
そこもかしこもネット中毒者だらけなハズ!