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元コピーライターと雑誌編集者。仕事先のNYからの熱いメール、プロ根性に即採用しました。SWEET BEAT:いくつになっても、いろんなことにドキドキしましょうのテーマもMIYUさんの提案。
PROFILE
NAME:MIYU
年 齢:33歳
血液型:B型
星 座:PICSES 魚座
在住地:東京
出身地:千葉
好きなもの:海、星、花、音楽、コーヒー、バニラ、白、靴、キャンドル、iBook。。。
嫌いなもの:嘘
好きな場所:東京
趣 味:写真、映画

■ご意見ご感想はこちら
■MIYUさんのサイト:miyukicompany

 東京テイスト【SWEET BEAT】
2003/11/14/FRI
[ありえないコト]
ありえないことが起こる日、というのがある。それも、連続で。
コンビニからの帰り、自宅マンションのエレベーターがくるのを
待っていると、店内で見かけた男の人がやって来た。
今まで一度も近所で見かけたことがない男性。
エレベーターに乗り、「何階ですか?」と尋ねると、
「あ、15階をお願いします」とはっきりした口調で彼が言った。
私は11階で、そこにたどり着く時間は1分もかからない。
その数十秒の間に、彼は話しまくった。
「このマンションにお住まいですよね?僕もです、僕は医者を
しています。アレルギー専門でやってるんですが、今は空手道場の
帰りでして、同じ屋根の下ですから、ぜひ一度お食事でもして
交流を深めませんか?」
一気にそう言って、彼はポケットから名刺を出した。

見知らぬ人に、そこまでアピールできる人間がいるなんて驚きだ。ありえない。
私が殺人鬼だったら、どうするんだろう。
「お医者さんですか、凄いですね」と、咄嗟に選んだ言葉を発すると、
「独身一人暮らしの寂しい36才、よろしくお願いします」などと言う。
エレベーターが11階に着いた。
「ではでは…」と引きつりながら笑顔を見せると、
「ぜひ電話してください!オッス!」と空手のポーズをとった。

…コワイ。相当ありえない。オッスって言われても。
よっぽど寂しいのかなぁなどと考えながら、洗面所に行く。
手を洗ってトイレに行くと、角に高く積み上げているはずのトイレットペーパーが
姿を消していることに気付いた。あれ…?
いつもは残り4個ほどで補充を欠かさなかったのに、ひとつも無かった。
…ありえない。何でここまで気付かなかったんだろう。

その日、お風呂の栓をし忘れて、お湯を流しっぱなしにしてしまった。
これも、いつもの自分ならありえない。
深呼吸をして、お茶でも飲もうとお湯を沸かしていたら、電話が鳴った。
「もしもし?」
「あ、もしもし?俺、俺」
見知らぬ声。
「失礼ですが、どなた様ですか?」
「あれ?XXXの家じゃない?」
「…違いますが…」
「あ、ごめーーん!」ガチャッ!
「……。」

気を取り直してibookに電源を入れ、メールをチェックすると、
珍しく、ひとつもメールがきていなかった。
心臓がドキドキする。
これは、何かが起こる前ぶれ?ただの偶然…?
そういえば、今朝はベランダにカラスもとまった。
いやーな気持ちを押さえつつ冷蔵庫を開けると、昨日買っていた
チョコエクレアがあった。忘れてた。
コーヒーを入れて、甘いチョコエクレアをぱくぱく食べる。
あ、そうだ。トイレットペーパーを買いに行こう。
こうなったら、いつもは買わないものを買ってみよう。
選んだことのない水色のトイレットペーパーに、買ったことのない味の
ポテトチップス。

それ以来、その2つは私の定番になった。
チョコエクレアの威力が、新しい楽しみをくれた、ありえない話。なのでした。




2003/10/27/MON
-9〜10月のテーマ『携帯電話の向こう側』-
[携帯の力と無力さと]
突然、彼が姿を消した。何の前ぶれもなく、何の形も残さずに。
朝、「いってらっしゃい」と彼を送りだした。10時からの仕事に、
今日は10時半でいいんだ、と珍しく彼が言った。

今週の私は担当イベントの本番で、昨日の夜に何を食べたかも
思い出せないほど、頭の中は仕事のことでいっぱいだった。
連日の残業で睡眠不足が続き、起きてるだけでも精一杯の数週間。
そして、彼は消えた。

携帯に電話をする。いつも当たり前のようにつながる電話が全く
つながらない。何度かけても留守電に切り替わるので、あきらめて
伝言を残す。一体どうしちゃったんだろう…。
不安と焦りと行き場のない気持ちが胸を締めつけ、今朝の彼の様子を
じっと思い出してみる。

いつもと同じに感じた朝の彼は、思い起こすほどに普通じゃなかった。
今まで彼が、どれだけ優しく接してくれていたかをコンコンと思い出す。
私は?私の彼への接し方は…。
思い通りにならないことを許さない、自分中心に回る世界。
彼のいたであろう息苦しい世界が、彼を無くしてから深く覆いかぶさる。

次の日の朝、もう一度携帯にかけてみる。でも、やっぱりつながらない。
寝ずに仕事に行き、ひとつ、本番前に大きな失敗をした。
公私混同はプロの世界では許されない。なのに…。
自分の甘さに打ちのめされ、本番は何があっても成功させようと
暗示をかけた。これだけは、何があってもやらなければ数千人が被害を
被る。これまでにないプレッシャーを自分にかけて、何とか無事
本番は終わった。集客は予想以上。

友人達はみんな、ほっときなよ、逃げが答えだよ、しつこくしても
時間の無駄だよ、そう言った。でも一人だけ、「自分の思うようにしな」
と言ってくれた。彼と同じ、サーファー。
次の日またかけた。話すまで、あきらめない。そう思った。
勝手だけれど、これだけはあきらめない。あきらめられない。
携帯電話しか繋がりがないのだから、あきらめたら終わりだ。

数日後、ようやく繋がった。
「逢いに行くから」
そう告げて、次の週に日本の最南端まで逢いに行った。

海を見たら、もうすべてがどうでもよく投げやりな気持ちになったけれど、
彼に会ったら、すべてが「彼」になった。
彼にもらった優しさのひとつひとつが、じわじわと記憶から溢れ出て
本人を前に言葉にならない。
携帯の方が話せるなんて、なんてこと…。

ゆっくりと、彼の目を見て話した。ありったけの思いを、素直に、言葉にした。
彼が私の目を見る。氷が溶けていくように、じょじょに心を溶かしていく様子が
分かる。一緒に住んでいたのに、何も彼のことを理解していなかったなんて。
離れてから気づくなんて、何て馬鹿なんだろ…。
でも、離れて考えたからこその今がある、そう考えよう。前向きに。

以前より絆が深まった私達に、もうあまり言葉はいらない。
でも、携帯を肌身離さず持っているのは、遠くにいる彼を近くに感じるため。

「いつか、そっちに行くから」
そう言って、東京でがんばっています。




2003/9/22/MON
-7〜8月のテーマ『スキルアップ』-
[ハマっているもの]
学生時代、何よりも苦手だった歴史の授業。
社会に出て必要なのは国語と英語だけだと勝手に思い込み、
その2つしか本気で取り組まなかった私が、最近自らの意志で
読み始めた日本史関連の本たち。
なぜだろう?とくにキッカケがあったわけでもなく、
この映画が見たいという感覚で、日本史を勉強したくなった。

今はもう、試験のためだけに年号を覚える必要もなく、
いつまで何を覚えなきゃ、という期限もない。
先生や両親の目を気にすることもなく、自分のペースで本を読み、
興味の湧いた事件があれば、そこで止まって深く調べる時間がある。
インターネットがあるので図書館に行く必要もなく、
パソコンさえあれば、先生もいらない。
なんて自由な勉強環境!
当時より暇な時間がないのに、今の方が集中力もあり効率がいい。

ここのところ仕事から帰ると、お風呂に入りながら日本の魂「武士道」を
読んでいる。「第4章/勇・敢為堅忍の精神」に書かれた
『常人には深刻な事柄も、勇者には遊戯に過ぎない』
という一説に、社会にでて出会った様々な人々の顔を重ね、
あの人は武士っぽい、自分には勇気が足りてない、などと考える。

祖先がたどってきた歴史は興味深い。自分の中に流れる血、
そして周りの人たちの中にも、その歴史が流れているのだ。

こんなふうに思えるようになったのは、年をとったせい…かしら。




2003/7/16/WED
-5〜6月のテーマ『この街に住んで.....』-
[今いるべき場所]
東京郊外の自然あふれる街で育ちました。
今でも、緑がない環境はかなり苦手。
だからといって、田舎が好き?と聞かれると、答えは「短期間なら」。
小さい頃から東京を知っていたせいか、近くに都会がないと気分が落ち込む。
なぜか、イライラしてしまうのです。

高校は都心まで通学していました。社会人になってからも実家を出ることが
なかったので、満員電車で往復3時間近くの通勤の日々。
それは決して楽なものではなかったけれど、勤めが終わったあとに
電車の中から見る風景は、いつも同じはずなのに安らぎをくれました。
川を越えるたび、エネルギーのスイッチがひとつひとつ切れていく感覚。
通勤は疲れるけど、やっぱり地元は力が抜けていいなぁと思っていたものです。

30代になって、都心に越しました。18才の頃に夢見ていた街。
いつか住んでやる。そう思っていた土地です。
恵比寿、代官山、麻布十番、すべて徒歩圏内の便利な場所。
フードマーケットやアロママッサージ、本屋に映画館、カフェ、そしてバー、
すべて私の地元ではありえない24時間営業。
終電を気にしていた頃が嘘のように、今は時間を気にせず友人と会い、
気兼ねなくタクシーで帰宅する快適な日々を送っています。
住む部屋は狭くなったけれど、近くには大きな公園も商店街もあり、
満員電車からも解放されました。
仕事で呼び出されても、すぐに飛んでいけちゃう。
長い通勤を我慢してでも郊外に住み車を持つ生活と、高い家賃を払い
タクシーを利用する生活。どちらの暮らしが合うのかは人それぞれだと
思う。けど、私は決めたのです。
会いたいときに、会いたい人とすぐに会える生活。
行きたい場所へ、すぐに移動できる生活。
チャンスは、時間がかかると逃してしまう。
目指しているものをつかみ取るその日まで、常にエネルギー全開で
いられる都心で暮らそうと。

近所に住む友人達は、鎌倉や湘南に住みたいなぁと言います。
海のある生活。緑のある豊かな暮らし。
そんな生活もいいかな?と思うけれど、それは老後にとっておこう…。
20代の頃に出せなかった100%の集中的努力。そして全力投球。
これをやったら、きっといつか海のそばに暮らせるかなぁー。なんて。




2003/5/12/MON
[必然のつながり]
先日ぷらぷらと赤坂のオフィスビルを歩いていたらば、元同僚とバッタリ遭遇。
お互い顔を見ながら、えーっと、えっと…と名前が出てこず、
彼女は私を突然思い出したかのように、○○さんだっ!と、その頃の名字で呼んだ。
「久しぶり〜、5年ぶり?違うか。2年前のパーティーで会ったっけ」
30代後半とは思えぬ相変わらずなキュートな笑顔で、彼女はニコリと微笑んだ。
近いうち、ランチでもしよーよ。うん、しようしよう。メールするね。と、手を振って別れ、
その二日後の正午に食事をすることになった。

「で、どうしてたの?」
六本木の有名なビストロで、彼女はこれまでの波乱な時間の流れをセツセツと語り始めた。
当時、部長秘書をしていた彼女は、会社の合併が決まった際、
切られた部長とともに違う会社に移った。
しかし、その外資系日本支社は3ヵ月で閉鎖に追いやられた。
そのときに得たパッケージで、彼女はアメリカに留学。
数カ月後に帰国し、その部長が勤めていた会社に入社して再び秘書として働くが、
今度はリストラ。都心一等地に住んでいた家を越して、
少し離れた場所から派遣社員として新たに働くようになり、
その1年後、また正社員として帰り咲く。
私が彼女と会ったのは、ちょうどそんな時期だった。
「ラッキーだねー、良かったじゃない!」私がそう言うと、
少し眉間にシワを寄せながら彼女はこう言った。
「うん、ラッキーだと思う。ただ、今の給料は信じられないくらい安いのよ。
新卒のときみたいなの。でもね、今は辛抱の時期。だから、がんばるの。」
赤ワインでじっくりと煮込まれたホホ肉をほうばりながら、
「がんばるの」ともう一度繰り返し、5年前と変わらない表情でイタズラっ子のように笑った。

彼女は絶対に負けない人だ。何があってもへこたれない。
その逞しさが、彼女の美貌をさらに美しく見せる。
この人の魅力は、何年たっても全く色褪せていないばかりか、
その鮮やかさは以前より増していた。
その眩しさに感動さえ覚えた私は、彼女と遭遇したのは偶然ではなく、
必然だと感じた。見えない力が、見えない糸を操っているような。

彼女の「がんばるの」という一言は、私の頭の中でいまだにグルグルと回り続けていて、
ここぞというフンバリの時には必ず顔を出してくれる。
人のつながりの醍醐味はここにある…ね。




2003/4/22/TUE
[素直な享受]
7才年下の、ちょっと大人びた女友達が言った。
「私は言い寄ってくる男は好きにならない。
だってアタックする方って最初は自分を飾るでしょ。
私はその人の素が見たい。その素を好きになったら自分から言い寄るの。
だってそうしないと後でがっかりするもの」
彼女なりの、リスクマネージメント。

確かに、言い寄った方は最初の時期がんばるので、とても優しい。
次第に自然体の自分自身を出し始めると、
その過剰な優しさをその人のイメージにしてしまった
女性側からしてみれば、「変わってしまった」って思うのはしかたがない。
あの人はこういう人じゃない、なんでこうなるの?そう失望してしまう。

その友達は少し経ってから、自分から言い寄った男性と付き合い始めた。けれど、
なんだかうまくいかない。最初の彼女の熱意が落ち着いて、
会う回数が減りはじめたころから彼が彼女に不信感を持ち始めたのだ。
彼は、最初の彼女の熱意を、彼女のイメージにしてしまっていた。

人はみんな、自分を好いてくれた人の愛情を信頼したい、と思う。
相手の熱は、冷めないと錯覚する。
その温度が安定するか冷めていくか上昇するか、
それを知っているのは時だけじゃない?

この世の中で、永遠に続くものは「変化」だけ。
縁があって人は出会う。関係は、時間とともに形が変わる。
どっちが言い寄ったとか、そんなことは全く関係なくて、
変化を受け入れる精神力を鍛えることがリスクマネージメント。
時間は経過し、人の考えは変わり、世の中は変わっていく。
この避けられない変化を、エンターテインメントとして楽しむ。
それが毎日をエキサイティングにしていくコツだ、と思う。
好きな人が自分から離れていくのだとしたら、
それは彼が悪いのでも自分が悪いのでもなく、
時間が経過したから。
それだけ。
会社が潰れる。
人が亡くなる。
あらゆる変化が、時とともに生まれる。

本物の人間関係は、スパイラルのようにクルクル変化しながら上昇していくし、
上昇がない関係は、そのスパイラルがもつれて切れてしまったと思えばいい。
つなぎ止めたかったら、そのもつれをほどいて繋げればいいし、
つなぎ止める必要がなかったら、そのままほっとけばいい。

そんな絵を頭に浮かべながら、からまった電話コードをほどいてみました。




2003/4/17/THU
[年を重ねるほどに]
30代になるとき、40代の友達は自信満々な表情で私に言った。
「30代は楽しいよぉ。すっごく楽になれるから。」
そのときはその真意がまったく分からなかったのだけれど、
あれってこういうことだったんだ、と昨日バスの中で思った。
途中で乗ってきた10代のカップルが尋常じゃないうるささで騒いでいて、
以前の私ならばその騒音に耐えられたはずがなく、途中で降りて
タクシーに乗り換えたはずなのに、その状況を自然に受けいれてる自分がいた。
いろんな子がいるなぁという気持ちだけで。

若いころって、何かが思い通りにならないとすぐにイライラしてしまう。
あの人のせいよ、環境のせいよ、時間がないからよ。
だいたいはそうして周りに責任をかぶせ、自分の考え方や行動を正当化する
ことに必死になる。
何か理不尽なことを言われたら、言われた事実を静かに受け入れる前に
反発心が芽生えちゃう。そして、ストレスは倍増。
昨日のバスで、あの二人うるさい…と乗っている間ずっとイライラしていたら、
その行為って自分の神経にダメージを与えているだけ。
昔の私はその状況から「逃げるが勝ち」とバスを降りたけど、タクシー代を
余計に払うはめになったことで、ついてなかったと後悔してた。

今は、たとえ仕事がうまくいかなくても、嫌だと思う人と会わなきゃいけなくても、

それは事実として受け入れられるので楽ちん。
人生は、なるべくしてなっている。すべてが自分にとって必要なこと。
ものごとには順序というものがあり、焦るというのは時間の無駄だということも
理解した。

「自分で経験しないと、本当に理解するということはできない」
10年前に最初の上司が言ったその言葉の意味がようやく理解できるようになり、
後輩達に相談を受けたときには、「経験がすべて」という信念のもとに
アドバイスができるようになった。

年をとるのって、全然悪くない。ほんと、そう思います。




2003/3/26/WED
[本物のコミュニケーション]
米軍兵士に配付された軍事マニュアル「兵士のためのイラク入門」
についての記事を読みました。その中に、するべきこととして
「相手の答えを真に受けず、その含意や裏にある意味を探る」
というものがありました。曖昧な答えが多いから、とのこと。
日本にも「本音とタテマエ」という文化があるけれど、
この分かりにくいコミュニケーションは、物事を言葉できちんと伝える
習慣をもつアメリカ人にとっては、対処が難しいことでしょう…。

同じ人種でも、人は育った環境や経験した出来事によって、
考え方や価値観は次第に変化していくもの。
「類は友を呼ぶ」というコトワザ通り、居心地の良さを求め、
似たような人間が集まるのは自然な流れ。
ただ、本当に周りの友達は自分と似ているかというと、
そんなこともなかったりして、あの子と自分の共通点は何だろ?
などと、ある日真剣に考えてしまった。
確かに、親密な仲になる友人というのは限られていて、
彼女たちとは時間の感覚が似ていたり、
人生に対するビジョンが似ていたりするのだけど、
性格も考え方も違うのに、なぜか波長が合って、
好きだなーと思える友達も存在してる。
波長。これは一体何なんだっけ?と、広辞苑をひいてみました。

「波動のすぐ隣り合った山と山と、または谷と谷との間のように、
位相を等しくする二点間の距離」

波動って何だっけ?と、また辞書をひき、あぁ、これは「気」だと分かりました。
「気が合う」というのは、まさに波長が合う人のことで、
一緒にいるだけでなんか居心地がいいなっていう人は、
目に見えない「気」で繋がってるのでした。
共通点は、「気」だったのです。

携帯メールが日常となった日本で、私も毎日のようにメールで友達と
やりとりをしているけれど、メールだけのコミュニケーションをしていると
文章上での誤解が生じて相手の真意を間違って受け取ったり、
返事がこないと相手の状況もわからないのでイラついたり、
会って話せば分かりあえることが、
メールだと余計なことばかり考えてしまうことに気づき、
これは時間の無駄!と思うようになりました。
用事があったら電話をし、繋がらなかったら留守電に入れる。
これで十分なハズなのに、どうしてメールが流行しているのか。
たぶん、電話よりお金がかからない、というのが一番の理由で、
相手のペースで返事がもらえる、というのが二番目の理由?
でも、写真つき携帯が流行りだし、
これからは電話よりもメールが主流になるとも言われていて、
このコミュニケーションって、ある意味楽しいけれど、
余計なお金を生んでしまう、少し危険で中毒性のある、
強いていえば「煙草」みたいなモノでは…。

これからの世の中がどうなっていくかは分からないけれど、もっとシンプルに、
友達との会話は「気」を感じながらしたいなぁと、改めて思う私。
だって、それが本物のコミュニケーション。




2003/3/15/SAT
-2〜3月のテーマ『My Gift to You』-
[ギフト]
私はプレゼントをあげるのが好き。その人の驚きの笑顔を想像しながら、
絶対喜んでくれると思えるプレゼントを真剣に選びます。
写真の仕事で代官山を歩き回った日、癒しの香りがする…と、
たまたま足をとめた檜グッズのお店で素敵な櫛を発見!
すぐに、祖母の顔が浮かびました。
長年大切に使っている櫛を持っているのは知っていたけれど、
この携帯性のある職人が作った櫛は、
お出かけが好きな祖母に良いなぁという思いが頭をかすめ、
モダンな布ケースと一緒に買いました。
店員さんの応対も感じが良くて、不思議なことに体中をかけめぐっていた疲れは、
お店を出た時ほとんど取れてた。
頭にあるのは、「おばあちゃんは喜んでくれるかしら」という気持ちだけ。
先日たまたま恵比寿アトレを歩いていたとき、
お菓子が食べたくなってソニープラザに寄ってみました。
すると、前から買おう買おうと思っていた迷彩柄の携帯置きを発見。
あ。これ買わなきゃ!私の分と、あの人の分も。
レジに行き、ひとつはプレゼント用に包んでもらい、帰りがけに、
これは絶対気に入ってくれるハズ。
と確信に満ちあふれた私は、良い気分で家路につきました。

数日後、そのプレゼントはその人のもとへ。
予想以上に「いいねー」と喜んでくれた笑顔を見て、私はとてもハッピー。
プレゼントって何でこんなに楽しいのかしら?と思う。
お世話になった人や好きな人に、素直な気持ちを表現できる「ギフト」という存在は、
普段なかなか言葉で表しにくい感謝や愛を伝えることができる、一種のコミュニケーション。
間接的でいて直接的。だから私は贈りものが好き。

10日は私の誕生日でした。9日、夜12時を回ったとたん電話が鳴り、
「誕生日おめでとう!」と友達から絶叫コールが。
その気持ちが、飛び上がるほど嬉しかった。
その友達も、贈り物が大好きな子。
当日も、私が好きな七宝焼の赤い花のピアスをくれました。
「絶対にピアスをあげたかったの!」と、彼女はとても嬉しそう。
そして私もとてもハッピー。
その日は、懐かしい友人達からもメールがたくさん届き、
おめでとうという一言で、こんなにも人は嬉しい気持ちになるのだと思いました。
家に帰ると、宅配ボックスには凄いプレゼントが待ち受けてた。
一年前の約束通り、それはそこに入っていました。
今までもらった贈り物の中で、もっともキュートでスウィートなものでした。
あの人にはいつもやられてしまう…。

ポストには母からの祝いの手紙が。昨日会ったときは、何も言ってなかったのに。
自分は幸せ者だなぁと、年に一回、こうしてしっかり思い起こす私。

私は人に生かされている。
人に支えられて、年を重ねているのだと気づかせてくれるみんなに、
これからもちょくちょくプレゼントを贈ります。




2003/2/22/SAT
[ニュースという世界]
私の部屋には29型テレビがあるけれど、ブラウン管が明るく灯るのは、
好きな映画と、お気に入りのライブDVDを見るときだけ。
ニュースも見ることがなく、新聞もとっていないので、
世界に何が起こっているかを知る術は、yahooニュースだけが頼りという始末。
30才を過ぎて、さすがにこれはマズイと思い始めたのは、つい最近のこと。
というのも、ニュースの見出しだけでは、世の中で起こっている問題を
正しく把握することができないということが分かったから。

ニュースからわざと離れる生活を始めたのは、サリン事件が起きたころから。
とてつもなく残酷な事件だった。日本は狂ってきている。心底、そう感じた。
この狂い始めている日本で生活していることの恐怖感。増え続ける凶悪犯罪。
周りにいる同僚達は、仕事のストレスで精神を病む者が少なくなく、
私は狂気の時代に生きていることの恐ろしさに怯え、
恐怖感をあおられるものから遠ざかり、マイペースに生活しようと決めた。

一種、治療とも思えるこの自己防衛は、かなりの利き目があったように思う。
美しいものだけを見ようとした。人の優しさや笑顔だけを心に焼きつけた。
メディアは大げさすぎるのだ。真実はブラウン管からは探れない。
自分の生きている世界は、ニュースのような悪質な世界ではない。
そんなふうに思うようにした。
「大人なんだから新聞くらい読みなさい」などと言われようものなら、
情報源を持たない少数民族が、世界で起きている事件を知っている?
人として幸せに生きることは、個人の権利!
私は私の世界を生きるの。
などと、的を得ない意見を自慢げにこぼした。

しかし最近、思考回路が変わった。
情勢をしっかり理解することは、都会で暮らす社会人としての責任である、と。
この国は資本主義だ。自分は大自然で暮らす少数民族ではない。
好きな音楽やファッションのことだけを知っていても、その裏にある経済や
歴史の流れを知らないと、本当にそれを知ることはできない。
何がヒットのツボなのか、何が事件を起こさせているのか。
時代を読まないと、何も読めないし、自分の考え方にも自信が持てない。
ひとつの問題があるとして、そのことの真実を自分なりに解釈しておかないと、
何も理解することができないばかりか、自分の気持ちを伝えることもできない。

たくさんの情報が氾濫する社会で、メディアは視聴率や販売効果を狙って
悪質な部分を強調する。
受け手はそれに影響され、惑わされ、不安をかきたてられる。
イメージの強力なパワーによって。
世の中で起きている事件は、起こったという事実だけが真実。そして、
メディアでは触れられない幸せな事件も、たくさん起こっているのも真実。
イラク問題、北朝鮮問題、それらを本当に知るためには、国の歴史的背景から、
アメリカの政治経済をも知らなければ理解できない。
日本の社会問題を知るためにも、政治経済は欠かせない。
人を理解するためには、その人のバックグラウンドを知らないと難しい。

私は、世界で起こっているニュースを活字だけで得ようと決めた。
新聞。雑誌。ネット。
雑音で飾られたブラウン管のニュースは必要ない。
真摯な気持ちで、世界にきちんと近づこうと思う、遅咲きの今日この頃…。




2002/12/30/MON
-12月のテーマ『私の今年の3大ニュース』-
[2002nen]
今年の1月、私はニューヨークにいました。
このサイトに参加させていただくことになったのも1月です。
それから、1年が経ちました。
まずは、このチャンスをくださったplan-d様、そして
コラムを読んでくださった方、本当にありがとうございます。
そして、メールをくださった皆様、心から感謝します。とても励まされました。

今年最後のコラム。2002年、私の3大ニュースです。

ひとつめ。
たくさんの素敵な人達に出会えたこと。
その多くはミュージシャンでした。
彼らがひたむきに練習する姿、夢に立ち向かう姿を見ました。
音楽を通じて人に喜びを与え、悲しみを癒し、勇気を与えていく様は、
とにかく「素晴らしくカッコイイ」の一言に尽きました。
好きなことに忠実に生きるという純粋さは、私の中に潜んでいた
がんじがらめの価値観を、素敵な形で崩してくれたように思います。
彼らの音楽がラジオで流れはじめたり、ライブが人でいっぱいになっていくのを見て、
その裏で垣間見てきた計り知れない努力の大きさ、そしてそれが実っていく
時間の流れに感動しました。
彼らとの出会いは、最高の宝です。

ふたつめ。
彼らに影響され、バンドを組みました(笑)。
私は4才の頃からピアノを習っていました。
練習が嫌いで、決して好きとは言えなかったピアノです。15才で弾くのをやめました。
けれど今、こうしてまたピアノを弾いています。
鍵盤が弾け、楽譜が読めるということに、心から感謝できる自分がいます。
曲も作っています。人生とは不思議なものですねぇ…。

みっつめ。
会社をリストラされました(笑)。
好きではなかった業界。ただ、チャンスがあったので入った業界に、
やる気もないまま6年もいました。この期間、私の人生の価値観に、
ひたすら「お金」が上位を占めていました。
時間をお金で買う生活。
お金に不自由のない生活にどっぷりつかり、
年令にみあわない生活をしていました。
今年、私のバブルがやっと崩壊してくれました。厄年に。
もう、眉間に皺をよせながらの生活にはバイバイ!
今、とても幸せです。
人生観を変えてくれた人達との出会い、会社のリストラに感謝。

来年は、もっともっと自分らしく、素直に正直に生きていきたいです。
2003年が、みなさまにとっても最高の年になることを願っています。




2002/11/18/MON
-10・11月のテーマ『今だから言えるゴメンナサイ』-
[sorry, friend]
今だから言えるゴメンナサイって何かあったかなぁと、ずっと考えてました。
しばらく真剣に考えてみたけれど、思い当たる節がなく。
これまでの人生、あやまりたい瞬間には、きちんとあやまってきたのかな?
なんて思ったけれど、そんなことはない。
ただ単に、過去にあやまりたくないっていう強がりと意固地。
「ちゃんとあやまりなさい!」と、何度親に叱られていたことか…。
(両親にこそ、あやまらなきゃ。素直に育たなかった私を許して。)

19才のとき、一度だけヒドイことをしました。
今さらそんなことを暴露する必要もないのかもしれないけれど、いい機会だし、
同じ経験を持つ人もいるだろうから、書いてみようと思います。

アメリカ生活3ヶ月目。ある中国系アメリカ人の男の子と友達になりました。
私はまだ学生だったけど、彼は一流企業に勤める有能な社会人でした。
友達のボーイフレンドの友達、という縁で出会ったのですが、
ソフトな人当たりと優しい瞳に興味を覚え、
いい感じの大人の男性だなぁと少さなハートマークをつけていたのです。
同じとき、その場にいた友人が、彼に一目惚れをしてた。それを知ったのは数日後。

「好きな人ができたみたい。」
大学のカフェで宿題に目を通していた私に、彼女は突然言いました。
「え?好きな人?」
「うん、あの人。ほら、あの中国系の。」
チリスープを美味しそうに食べながら、その友人は屈託なく言いました。
うっ、うそっ。なんでよりによって、同じ人を好きになっちゃうわけ。
困る。困るよ。どうしよう。
心の中ではそう思っていたのに、彼女にかけた言葉は、
「そう、よかったじゃない!がんばって。応援するから。」
あー、私って一生こうなのかしら。そのときそう自己嫌悪を感じたのを思い出します。

「ありがとう。がんばるね。」
素直に育っている広島出身のその友人は、
友達から恋路を応援してもらったという喜びをちゃんと表現し、嬉しそうに、
少しだけ恥ずかしそうに笑ったのです。何の疑いもなく。

それからしばらくして、みんなで食事をする機会がありました。
私は彼女と彼がうまくいくように、自分の気持ちを殺して、
2人が一緒にいられる時間を作ったり、場所を作ったりしました。
彼もまんざらじゃない素振りを見せるので、よかった、この2人はくっつく運命なんだわ、
なんて思いました。

その日の帰り道、彼が友人と私を車で家まで送ってくれることになったのですが、
友人が先に車を降りた後、狭い密室の中で、彼は予期せぬことを言ったのです。
静かに、真摯に、そしてありったけのカッコよさで。
「I know she likes me, but I LIKE you.」

頭の中が一瞬、白紙になりました。

「彼女は大事な友達なの、私はあなたと付き合えないわ」というドラマのようなセリフが
コメディのように一瞬頭をよぎったものの、私の気持ちはすでに固まってた。
その日から、友達に隠れ、彼と付き合いはじめてたのです…。

最初は嬉しいのと幸せなのとで神経が麻痺していたけれど、
結局、彼とはたった3ヶ月で終ってしまいました。
今思えば、彼が自分を選んだという優越感で、先走ったのだと思います。
彼のことは最初以上に好きになれなかった。
内緒で付き合うというのも、とても苦しくて。

友人には一度も付き合いのことを白状しないまま、今では連絡も途絶えてしまったけれど、
偶然街で会うようなことがあっても、絶対に声をかけられない自分がいます。
もう2度と、こんな思いをしたくない。

そう思い続けています。
ごめんなさい…。




2002/10/4/FRI
[feel]
知り合いに、言葉で表現することを嫌う人がいる。
自分の気持ちなど、言葉なんかではとても表せない、と言う。
その人は、突然結論を言う。そこに行き着くまでの気持ちの過程は、一切コトバにしない。

その人を理解したいという思いから、どうにかして奥底の本音に触れたくて、
あらゆる角度から会話を振るが、どれもすべて無駄な労力になってしまうことが多い。
その人との会話はいつも、うわべだけの挨拶のように内容がなく、自分の気持ちを伝えた
ところで、そんな重い話はいらない、と拒絶されて終わるのがオチだ。
ただ、冗談を言い合い、笑っているのがいいみたい。
そして思う。
この人と本音の部分でコミュニケーションをとることはできないのかもしれない、と。
もう、あきらめよう。私はこの人に興味があるけれど、この人は私に興味などないのだ。

お風呂に入りながら、「この関係は成り立たない」と確信する。
そして、自ら距離を置こうと決める。
会話が成り立たない人間関係に割く時間など無い、という傲慢な考えを浮ばせながら。

ここまで思って、最近の私は、ふと気がついた。
この考え方が当然のように考えていたけれど、もしかして違うのかもしれない。
自分が思うように行動することは大事なことだけれど、対相手がいる関係の中で、
勝手に自分だけの考えで「相手は自分に興味がない」なんて決めつける必要などないじゃない。
第一、その人は一度も、私に興味がない、などと言っていない。
現に、距離を置き始めても、その人は私に会いにやってきたりする。

なーんだ。勝手に決めつけてただけ?
とたんに気持ちが軽くなる。

そういえば、両親がケンカをするとき、お互いがいつもこう言っていた。
「自分がいつも一番正しいと思うのは大間違い!」
子供心にも、ふたりの中に正しい部分も間違ってる部分もあるのを感じてたっけ。

自分の勘を信じることは大切だけれど、いつもそれは正しくなんかない。
まず、最初に相手の気持ちを汲もう。それが、人間関係の始まりだ。
音楽を感じるように、その人を感じて受け入れよう。

その人との出会いで、ちょっとだけ成長した近頃の私。




2002/9/6/FRI
[summer2002]
残暑お見舞い申し上げます。
早いもので、もう9月に突入ですね。みなさま、今年の夏はいかがでしたか?
私は海にも行けず、大好きな花火大会にも行かず、7・8月はずっと働いていました。
オフィスでは毎日浴びるようにアイスコーヒーを飲み、
帰宅後は麦茶を1リットル以上飲む日々。
その冷え切った体を週末にジムで温めて解凍し、
汗を流して、あー、運動はいいなーと思ったり、ときどき美術館に行ったり、
映画を見たり、そんな普通の週末のような夏を過ごしました。
友人がイタリア土産に買ってきてくれた、珍しい天然ハイビスカスのミルクスプレーが
洗面所に仲間入りしたくらいで、強烈な思い出ひとつ作ることなく、
淡々と日々が過ぎていきました。

でも、そんなはずはない、何か特別な出来事はあったはず…とスケジュール帳を見ながら、
『今年の夏に起こった素敵な出来事たち』を思い起こしていたら、あった、あった。

そして、すでに忘れかけていた過去を、ひとつひとつノートに書いてみたのです。
●神楽坂でベルギービールを堪能し、オシャレなデザインのピーチ・ビールを初体験。
●箱根に行き、大文字の「大」とついた山を初めて見る。
 何度も箱根に行っているのに、初めて気がついた。
●陶芸家の知り合いが銀座で個展を開いたので遊びに行く。
 彼の作品のグラスで、美味しいカクテルをいただく。
●大阪に週末旅行。USJ初体験。赤いパーカーを着たETに一目ぼれして買う。
 そのETさんを連れて、美味しいタコ焼とお好み焼きを食す。
 夜、大好きな友達のライブで盛り上がる。大阪万歳。
●知り合いのライブに行き、キュートな日本人女性達のフラダンスを間近で見る。
 楽しかった!
●エゴラッピンのライブを初体験。楽屋に落書きをした。
●マシュー・ハーバートを間近で見る。わぉ。

などなど、書いていくうちに、素敵なことがたくさん蘇ってきたのです。
そして、とある平日の夜中、六本木のスタバで韓国人の友達が言ってくれた言葉も、

ふと思い出しました。
「本当の友達は、その人の良い部分を限りなく100%にしてあげようとし、
悪い部分を限りなく0%にしてあげようとするものよ。友達というものは、
決してあなたをはめたりしない。」
私の中に強く刻みこまれた、そのときの空気感。少しの間忘れていたけれど、
記憶の引き出しには、いいポジションでしまってありました。

ときどきこうして、過去のことを思い出すのも良いものです。
日常の中に埋もれた大事なモノに、いつまでも敏感でいたい。
それを再確認した、2002年夏。




2002/8/14/WED
[hanabi]
わたしの人生史上に『ひと夏の恋』はありませんが、
わたしの辞書に、その文字はあります。

満月が人に何らかの影響をおよぼしているのと同じように、
夏という季節には恋のエネルギーに働きかける何らかの力が
確かにあると思う。人を海に動かし、輝かせて、恋をさせる。
そこには、自然のトリックのようなものがある気がします。

ひと夏の恋のような、一瞬で燃えて儚く終る『ひとしきりの恋』は
遊びのイメージがつきまといがちだけど、たとえ始まりがナンパだろうが、
終わったあとで「あれって間違いだったんだろうか…」と思おうが、
そんなことはどうでもいいのです。
だって所詮、恋って花火みたいなもの。
うわ、綺麗。もう終わっちゃった。でもあとになって、その鮮やかな姿が
心に残っていることに気づく。

この年齢になって最近強く思うこと。
人はだんだんと恋そのものに期待しなくなっていくけれど、
それでもやっぱり、恋以上に楽しいものなど世の中に見つからない。




2002/6/25/TUE
[just a day of life]
その日、神様は私をじっと見ていたのだと思う。

また、何かしでかそうとしているな。
何でこの子は冷静にものごとを判断しないのだろう。
仕事は忙しいでしょう?休んだら同僚に迷惑がかかるでしょう?
辛いことなんか、みんな抱えてるのですよ。
どうして、じっとそれを一人で耐えることができないのかな。
ふんばりなさい。我慢を覚えなさい。

神様がいるのだとしたら、きっとそんなことを思っていたのだと思う。

私は、ブレーキのきかない暴走車だ。
金曜の朝に突然、今すぐアメリカに行きたいという衝動にかられ、
そのままチケットを取り、午後2時には成田空港に到着していた。
「今からアメリカにいってくるね」というメールを友達数人に送って、
そのまま飛んだ。

「この子は致命的な欠陥車だ。罰を与えねば。よし、飛行機を遅らせましょう。」
と神様が思ったかは知らないけれど、この日、わたしが乗った飛行機3本は
見事にすべて遅れ、乗り継ぎ便に毎回間に合わず、空港で何時間も待たねば
ならないという、人生史上最悪の旅の始まりとなった。
経由便が間に合わなかったおかげで、行く予定のなかったデンバーにも飛ばされ、
気象が悪く飛行機は大揺れ、12時間ばかりでテキサスに行けるはずの私は、
19時間かかってようやく目的地のダラスに到着した。

この話を人に話したら、「うわー、大変だったねぇ」となるでしょう。
「ついてなかったねぇ」って。
だけど、飛行機が遅れたおかげでランチバウチャーをもらい、
サンフランシスコではクラムチャウダーを食べれたし、
デンバーではコロラドのお土産品を見れたし、
公衆電話からインターネットをして遊んだり、
連絡がつかなかった友達にお店の人が代わりに電話してくれたり、
ゲートが突然アナウンス無しに52から19に変わったのに気づいて
知らない人たちと一目散に走ったり、いろんな楽しくて嬉しい出来事があった。
飛行機が遅れなかったら、決して起こり得なかった出来事たち。

夜中の1時過ぎ、親友が懐かしい笑顔で迎えてくれたとき、
クリアな夜空に満月がぽっかりと浮かんでいて、
あぁ、今日は満月なんだ、神様、今日は1日見守ってくれてありがとね
と心から感謝の気持ちを感じてた。この冒険がくれたものを忘れません、と。

神様は、ほくそ笑んだ違いない。
「罰を与えたのに、ご褒美になっちゃったな」

だって、ブレーキのない暴走車は前しか見ないよ、神様。

ぶっちゃけた話、帰国したら会社に席がないかもしれない。
でも、それも自分が選択した人生。

アメリカでブレーキを手に入れて、安全運転で帰国します。

ね。




2002/6/5/WED
[rainy creatures]
「俺さ、雨って嫌いじゃないんだよね」

ざわざわとしたイングリッシュバーの喧噪の中、
その言葉だけが突然、稲妻のごとく私の耳を貫いた。
驚いて顔を上げると、数時間前に出会ったばかりの彼は
残っていたギネスを一気に飲み干そうとしていた。

「雨が好きなの?今、そう言ったよね?」
つい力を入れてしまった私は、グラスをぎゅっと握っていたらしい。
彼は、口をぬぐって不思議そうに私を見た。
「どうしたの?そんなに目、丸くしちゃって。雨、好きだよ。変?」
そう言って、優しく静かに微笑んだ。

友達の付き合いで狩り出された合コンで、
お酒もろくに飲めない私は全くやる気もなく、
疲れを隠しながら、適当に会話を交わしていた。
そういえば、牛乳が切れてたな、買って帰らなきゃ…
なんて思っていた矢先のこと。

まったく興味のなかった彼だったのに、
雨が好きという、その一言が
魔法のように好奇心を駆り立てた。

追加注文したディタグレープを飲みながら、
「雨が好きなら、傘は嫌い?」と、彼の視線を追いかけて質問責め開始。
「なんだよ、その質問。傘が好きな奴なんかいるの?だいたいさ、雨が好きなのと関
係ないじゃん。」
「関係あるの。じゃ、どんな雨が好き?霧雨とか、どしゃぶりとかさ。」
「おまえ、極端な奴だね。っていうかさ、俺、日曜の朝の雨が好きなんだよね。」

日曜の雨。私の好きな、日曜の朝。

「ゆっくり寝れる日曜の朝にさ、雨の音が静かに聞こえる感じが好きなんだ。
ベッドの中でうだうだしながら、あー、今日は一日家でぼけーっとしてよかなーって

思える朝の雨がさ。」

どこかで聞いたようなセリフ。どこで聞いたんだろう。
思い出せない。思いだせないのだけれど、胸が少しだけ痛い。

私も好きだ。日曜の雨が。
雨が降ってると、今日は一日寝てていいよって神様が言ってるみたいな気がする。
大きな安心感が胸にじゅわーっと充満する。
いつもいつも早く起きなきゃいけなくて、見えない何かに見張られてるような、
そんな気がしてるだけに。
許してもらえると、罪悪感から解放される。
心から今日は一日寝てようって思えて、すごくハッピーになれる…。

「子供みたいだな、お前。」
突然、彼がそう言った。
「へ?なにそれ。」

「子供みたいな女も、雨くらい俺は好きなんだって話。」

悪戯っ子のような笑みを浮かべながら、
彼は私のディタグレープを奪い、ぐぐっと飲み干した。




2002/5/17/FRI
[for you, for me]
6つほど若い同性の同僚に、最近こんなことを言われた。
いやー、ほんとにスゴイですね。私は絶対できないなぁ、
好きな男の人に別れを告げるなんて。どんなに嫌なこと
されても我慢しちゃうもの。尊敬しますよ、と。

私はそういう女だ。
ものすごく好きな人にも、自分が違うと思ったら「I don't need you」と言える。
違うと感じたことに対して、相手が理解して直そうとしてくれないなら、
我慢してついて行こうなどとは思わない。
そうとう厄介で野蛮な性格。まったくもって可愛くない女。
もともと尽くすタイプなのに、一度でも違うと思ったら
「別れなければいけない」と、衝動的に行動にうつす。
これは、男っぽい性格といえるのでしょーか?

以前、カナダ人の男友達が苦悩の表情でこんなことを言っていたのを思い出す。
今までの人生の中で、あれほど愛した女はいなかったよ。ほんとうに好きだった。
だから、別れたとき1週間で7キロもやせたんだ。じゃあ、なぜ別れたかって?
彼女のことは好きだったよ、理屈なしにね。でも、彼女の生き方は尊敬できな
かったし、別れなければならないときが来るんだろうなぁと思ってた。
彼女が浮気をしていたのが分かった時、ものすごくショックだったけど、
正直、ホッとしたんだよ。あぁ、これでちゃんと別れる理由ができた、ってね。

彼の気持ちが痛いほど分かる女なんて、そんなにいないかもしれない。
でも、私には分かる。

自分の人生を大事にしたいから、前に進みたいから、
パートナーは自分にとって本物じゃないと意味がない。
すごく好きでも、「あなたじゃない」と言える理由はそこにある。

自分を傷つける人なんか本物じゃない。
相手を心から思って吐いた言葉を、拒絶するような人は違う。

私はこうして男の人に別れを告げて、自分のためだけに夜ごはんを作りながら、
男に生まれれば良かったなぁ、絶対女の子は大事にするのになぁ…と、
キッチンでぽろぽろ悲し涙を流すのです。




2002/4/16/TUE
[MASAKI]
89年。私はサンフランシスコ近辺に住んでいた。
アジア系の多いこのエリアでは、出会う日本人の数も相当なものだ。

いろんな日本人留学生に出会った。
10代で新車のBMWを乗り回す男の子もいれば、
こっそりウェイトレスのバイトをしながら、学費を出している子もいた。
ほとんど学校に顔を見せない子もいれば、夜中まで図書館で勉強している子もいた。

私は、遊びも勉強も適当に楽しんでたハンパな学生だったけど。

ある日、偶然に知り合ったMASAKIという男の子。
いまだかつて出会ったことのない美しい顔をした、大人びた青年だった。
パンチのある瞳で、出会ったばかりの私を「みゆ」と呼びすて、
花を愛して、素敵な絵を描いた。四国出身の、アーティストの卵だった。
少し風変わりな彼の言葉使いと態度に強く惹きつけられて、
みるみるうちに彼への好奇心が高まり、恋心に変わった。

友人が彼の幼なじみだったこともあり、3人で遊ぶことが増えたのだけれど、
MASAKIへの好意を友人に伝える勇気もなく、このまま3人で仲良くしているのが
賢明だ、と自分を抑えた。

そんな中、その友人は私を呼び出し、唐突に「一緒に住まない?」と言った。
「一緒に住めば、いろいろ楽だし、きっともっと楽しくなるよ」
その回りくどい告白と、ものごとが望みと違う方向に進んでいる事実に言葉を失い、
MASAKIに気持ちを伝えようと本気で考え始めた。
私に告白なんて大それたことができるんだろうか。
寝られない、苦しい日々が続いた。

それから数日後、MASAKIがニューヨークの学校に編入することを知った私は、
ためてきた勇気の酸素が体から一気に抜けたのを感じ、
大学の駐車場で車に隠れ、小学生のように泣いた。

3人で朝マックをして、彼を送りだす空港に向かう車の中、
私はただ、ひどい脱力感に見舞われていた。

あのときの絶望感は、今でも胸に刻まれている。

それから数ヶ月後、休みを利用してニューヨークに飛んだけれど、
彼がドラッグに溺れているのを目の当たりにして、ふたたび愕然とした。

あのとき告白していたら、何かが変わったのだろうか?
今でも時々そのことを考える。
この世にいないかもしれない、彼を想って。




2002/4/8/MON
[dearest papa]
メキシコひとり旅から帰国したばかりの父は、
今度は北京ひとり旅にでかけた。
退職をしてからの彼は、以前にも増して精力的。
スペイン語を勉強し、ギターを練習し、碁をうって、
体力作りのために毎日歩く。その徹底した自己管理能力は並じゃない。

努力と行動力。
彼は、半端じゃなくそれにタケている。
ビジネスで英語を使っていた父は、海外生活こそないものの、
アメリカ人が驚くほどの完璧な英語を話した。
スペイン語を勉強し始めたかと思ったら、あっという間に日常会話まで
操るようになり、スペイン旅行で母を驚かせたらしい。
学生時代にやっていたギターを再び練習し始めたかと思ったら、
今では地元のギタークラブのトップだ。
癌にかかったときは、手術台にジョークを飛ばしながら向かい、
術後は辛そうな治療を、文句ひとつ言わずにこなした。

「どうして父親の血をひかなかったのかしら?」
母はいつも、こう嘆いた。
努力とか、苦しいことが大嫌いな私にむかって。
そう。私は楽しいことだけを追い続けている。

最近、父からメールがきた。
今度は上海に一人旅に行くらしい。
「元気なうちに、」と書いていた。
楽しいことを追いはじめた父親。

今度は、私が真面目に努力をする番。
これから待ち受けている困難に、笑顔で対処できるように。

だいじょうぶ。血は、きちんと引き継ぐよ。




2002/4/3/WED
[heaven]
ときどき、人生の終わりについて考える。
終わったあとの、自分のいない世界を想ったりする。

私のお墓は、等身大ほどの自由の女神像。
しんみりとした墓地の中で、その墓石だけが妙に不謹慎チック。

友人達が墓参りに来てくれる日は必ず晴天で、
大きなバケツに水をたんまりと入れた友人達が、
「水が嫌いなのにごめんな!」と叫びながら、
女神に向かってコントのように勢いよく水をかける。

黒いマジックで「LOVE」となぐり書きされた桃色のハチマキを、
女神の頭に丁寧に巻く友達。くくくと笑いながら、
「不謹慎だねぇ。でもめっちゃ明るくていい感じ」と笑う。

墓石に似合わないヤシの実を、ポコンと供える友達。
「ココナッツの香り、好きだったもんね」
そして、その横にバナナをそえて言う。
「このバナナ、ミユが好きなやつだよ」

自由の女神は太陽を浴びて、キラキラとみずみずしい光りを放ち、
「それにしても、なんでこんな墓石にしたんだろうねー」と全員が吹き出して、
「だって、自由の女神が猛烈に好きだったじゃん」と少しだけしんみりして、
私が飛ばした毒舌や冗談を思い出す。

「お前がいないと、寂しいよ」
「戻ってこいよ」

その瞬間、その声に愛しい聞き覚えがあるのを感じ、
どうしようもない悲しみがこみ上げてたまらなくなった。

あの人を置いて逝きたくない。

はっきりとそう確信したとき、
現実の世界に瞬時に意識が戻った。

我ながら、すごい妄想力。
しかも、バナナって何。
半分、夢みてた??

何はともあれ。
生きてて良かった。




2002/3/23/SAT
[typhoon love]
好きな人ができた。
たちまち、心のバランスが崩れた。
幸せなはずなのに、自分からその幸せを壊すようなことをする自分。

こんな幸せ、続くはずがない。
いつか、終わるに決まってるし。
どうせ終わるなら、こっちから終わらせたい。
捨てられるのはごめんだ。

どんどん気持ちが先走る。
止まらない感情の起伏。
どうしていつもこうなんだろう。
ひょっとして、幸せが嫌いなんだろうか。

相手は、夢にむかって走っている。邪魔をしたくない。
でも、相手の気持ちがどこにあるのか、不安で確認したくなる。
相手の気持ちは自分にあるのに。わかってるじゃん、そんなこと。
女に生まれたくなかったって思うのは、こんなとき。

男と女は、かみあわない。
どっちかがオトナにならないと。
私はどうしても、オトナになれない。
なりたいのに。ほんとになりたいんだけど。

所詮、なるようにしかならないもの。
考えても無駄だったりすることが多いのも事実。

友達が言った。
楽しいと思うことだけやってなよ。
あれこれ勘ぐっても時間の無駄だよ。
相手の心の中は、のぞくことなんてできないんだよ。
期待しないで、与えることだけ考えなよ。
やりたくないことはやらなければいいの。
簡単なことだよ?

確かに。

人に期待しないこと。依存しないこと。
自分の人生を先に考えて、楽しむこと。
心から笑える生活を、進んですること。
相手はそれを、ちゃんと見てくれる。本物なら。

余計なことを考えてる暇があったら、自分を磨こう。
そろそろちゃんと、オトナになろうぜ私。
甘えんぼの三十路、洒落にならないしな。

胸をはって、台風一過の、あの空を見よう。




2002/3/14/THU
[Spring season]
最近、私の回りで異変が起っている。
いい人全然いないよーと嘆いていた友人達が、
次から次へと「気になる人がいるの」と言うようになった。
恋の神様が微笑んだ?
春ですねぇ。

合コンの鬼とまで言われた20代なかばの友人も、好きな人が現れたらしい。
正確に言うと「現れた」のではなく、「この人だと気づいた」のだけど。
男の子の友達が多く、年上じゃないと興味がないと言いきっていた彼女が、
同じ年の男の子を好きになった。「自分でも驚きなんだけど」と可愛い表情を見せる。
縁ですね。

先日、青山で美容師をしている人が、こんなことを言ってた。
「ここのところ20代前半のカップルが結婚しはじめてるんだよ。ちゃんと子供もつくってる」
彼いわく、20代前半はこれといった野望もなく、平和を求めている世代らしい。
その時々の社会の環境が、生き方にかなり影響しているということだ。
WTCのテロのあとに、離婚申請のキャンセルが相次いだのも同じような現象。

結婚を嫌がっていた私より少し上の世代は、今ここにきてあがいている。
30代半ばに突入してから、この先ひとりで生きていくのは辛いって思い始めたみたい。
魅力的な人は、年齢なんか関係なくお嫁さんになれるのにな。たぶん?

私は一度結婚をして別れたけれど、結婚が悪いものだなんて決して思ってない。
同じ方向を見つめている人を見つけたら、また一緒になりたいと思うし。
ふたりだと、いろんなことができるから。
助け合える生活というのは、それはもうほんとに素敵で。

もうすぐ桜の季節。
好きな人と、満開の桜の下を散歩したいね。
夜桜の下で、宴会もしなきゃ。
桃色に囲まれた桃色の生活、イイと思いません?




2002/3/5/TUE
[change]
私は去年、泣いてばかりいた。
365日、ほとんど泣いていた。
あれは、今考えると尋常じゃない。
完璧に、人生最大の試練の年だった。

一緒に暮らしていた人を置いて家を出た私は、
生まれて初めての一人暮らしをはじめ、
慣れない街での慣れない生活に半分怯えながら、
例えようのない孤独感と向き合い、必死に戦った。
転職もして、公私ともにストレスの嵐だ。
毎晩からだに蕁麻疹が出るようになって、
病院に通い、薬をほぼ半年間飲み続けた。

「いやー、ほんと去年は辛かったのよー」と、
笑って今は言える。過ぎたことだから。
あれは、まさしく人生の節目だったのだと思う。

会話の多い家庭で育ち、実家から二人暮らしの生活に入った私は、
30才にして初めて一人の暮らしを経験した。
情けないけれど、毎晩ベッドに寝ているパンダのヌイグルミに
あたりちらしていた。
「一人暮らしなんか大っ嫌ーーーーい!」と叫びながら。
自分で家を出たくせに。

1人暮らしイコール自由なんかでは全くなく、むしろ
「自分」という敵に毎日のように縛りつけられた、
囚人のような気分で暮らしていた。

いろんな人たちが、心からサポートしてくれた。
でも、ひとりになると、義務のように規則的に涙を流した。
あれは、ほんとにひどかった。

だけど、今年に入って私は明らかに変わった。
懸命に自分と戦ってきたあの1年があったからこそ。
あの死ぬほど辛かった1年があったから、
今年は何もかもが眩しく感じる。

人生は、sweet & sour。
今年は、泣いてる人たちをサポートしよう。




2002/2/22/FRI
[Watch]
出会ってまもない彼が、赤い時計をして現れた。赤い、スクエア型のスウォッチ。
発売されたばかりの頃に雑誌で見て、可愛いのでチェックしていた時計だった。
私は、腕時計があまり好きじゃない。いつも、時間に縛られているような気がするから。
腕が重くなるような存在感があるものも苦手。肩がこる。
人との待ちあわせがあるときは、さすがに不便なので使うけれど、
もっぱらデザイン重視の軽い時計しか使わない。

「What's that?」
パスタを頬張った彼が、私の左腕を指差して聞いた。
「これ?スナップウォッチっていうの」
私はそう言うと、はめていた紐状の腕時計を2つとも外し、彼に渡した。
「oh...this is so cute.」
「でしょ?軽いし時計に見えないし。良かったら、どっちかあげるよ」
彼は少し驚いた表情で、悪いからいいよ、と言った。
「高いものじゃないの。どっちの色がいい?」
しばらく私のほうを見つめて、「うーん…赤。いい?」と言って、
赤いスウォッチをしている左腕にはめた。私の好きな時計が、2つ並んでいる。
サンキュー、と嬉しそうに笑う彼。なんて可愛い人なの。
そう言えば、あさっては彼の誕生日だ。でも明日、彼は国に帰る。
「あさって、お誕生日だよね?その時計、バースデープレゼントね」
「oh…thank you VERY much.」
彼は嬉しそうにもう一度笑い、こう言った。
ほんとはさ、腕時計するの好きじゃなくて、めったにしないんだ。
待ち合わせをするときくらいかな。時間に縛られるのが嫌いなんだよね、
いつも時間を気にしてなきゃいけないみたいでさ。でも、これはいいね…。

いつ、遊びに来てくれる?と彼が言ったとき、
私の心はすでに、来月行く、と決めていた。
そのとき、その時計をしてくれていたら言おう。
そのウォッチは、最初からあなたにあげるために買っていたのよ。
赤を選ぶのも、なんとなくわかってたの、と。




2002/2/19/TUE
[go]
こんにちは。今月から参加させていただくことになったMIYUと申します。
今月のテーマはバレンタインでしたが、どのように読んでいただいたのでしょう。
冷めてるなぁ、なんて思った方もいたのかな。

31才にもなると、いろいろあります。
20代のときには予期しなかったような出来事が次々と。
だんだんと精神的に強くなってきているはずなのに、
だんだんと涙もろくなっている自分もいる。
これが成長するということ?などと、頭をかしげる日々です。

若い頃よりはお金もあるし、ネットワークも広がったけれど、
経験値が上がった分、いろんなことに臆病になったような。
人生の半分地点に来てしまったという焦り、
まわりが選択した人生と自分の生き方とのギャップ、
両親の期待と違う方向に進もうとしていることへの申し訳なさ、
いろんなことが交錯して、ときどき息ができなくなる。
そんなとき、まわりに助けを求めたいけれど、
素直に求められないのが30代だったり。
だって、30代だもの。

でも私は今、10代の頃に思い浮かべていた生活を手にし、
明らかに20代のときより充実した人生を送っていて、
それはきっと、心の中にずっとプラスの力があったからかなぁなんて思います。

その力が消えないように、私は遊び回り、写真を撮り、文章を書いています。
プラスな何かを感じていただければ、すごく幸せです。
どうぞ、よろしく。




2002/2/16/SAT
[valentine in the sky]
人生で最初にチョコレートを渡したのは13才のときだった。
最初で最後の手作りチョコレート。
玉砕するのを知っていたのに、あえて渡した勇気の勲章のようなチョコ。
あの男の子は、今どうしてるかな。

あれから18年。
いつの間にか、バレンタインは「告白」でも「義理」でも「本命だけ」でもなくなった。
ただ単純に、好きな人たちに「いつもサンキュー、ほんとにキミが好きだわ」という思いから、
シチュエーションにあった美味しそうなチョコを選んでプレゼントする。
別にバレンタインデーじゃなくても、好きな人にはひそかに少しだけ特別な意味を込めて
チョコを贈っているのだけど、きっとみんな気づいてないね。

今年のバレンタインシーズンは、くしくもニューヨークにいた。
本屋に行けば、『LOVE』のコーナー。ティファニーに行けば、男性群がこぞって
奥さんや恋人にプレゼントを選んでいる。ランジェリーショップにも男性が。
みんな、こうして好きな人にプレゼントを選んでいるんだなぁと、まるっきり
ひとごとのように観察していた私。
自分で自分にLOVEあげちゃお。なんて思いながら、
本屋で「LOVE」という素敵な大きな写真集を買い、
アガタで「LOVE」という文字のついたブレスレットを買い、
ティファニーでハートのチャームがついたブレスを買った。
10年前の私にはできなかったことだ。経済的にも気持ち的にも。
バレンタインというイベントは、もはや私にとってはスペシャルなものじゃない。

14日は、ニューヨークから成田に向かう空の上で迎えた。
日付変更線を通過し、パイロットがhappy valentine...と低く甘い声で
アナウンスしたと同時に、前に座っていた熟年のアメリカ人カップルがキスをした。

その瞬間、私の右腕にはまった新しいハートのブレスレットが、
横から射し込む太陽光線でキラリと光った。

窓の外は、夢のようにきれいな空と優しい雲。
心の中には、Rene MagritteのL'Entree en sceneがあった。