NATSUDONZYKANOKAORUMIYUMACOKUMIKOYOUTERUYOAKO
MASAMITUBASAAIRIaHANAYOHINATAKURANAOMIOSINKEI
HOMEBBS

書くことが好きで、メールマガジンやネット作家のマガジンに詩を書いたりしているNAOさん。、文章を書くことで人に喜んで頂ける何かができないかなと思っている30代。
PROFILE
NAME
:NAO
年齢: 32歳
血液型: O型
星座: 獅子座
出身地: 新潟
好きなもの: 草原 高原 スイス 東ヨーロッパ
嫌いなもの: 夢が見れない環境
好きな場所: こざっぱりした畳の上、庭の見える窓辺
趣味: 未来の計画づくり 小説をかく 作詞

ご意見ご感想はこちらまで≫NAO

 新潟テイスト【SUNNY DAYS】
2003/9/22/MON
[癒されたい人と癒したい人]
みんな優しい人を求め始めた。
癒されたいと人が言うのを聞くたびに、私は人を癒せる人になりたいなと思うようになっていた。
きっと、みんな仕事や、たくさんの人間関係の糸に絡まって疲れてしまっている。
そんな人を、言葉や、笑顔や、声で、こころの底から、元気にしてあげられたらなと私は、おこがましくも思っていた。

けれども、じわじわと気づき始めたことがある。
それだけの、パワーが自分にあるのだろうかということ。
パワーは、自分が輝いてないと人に伝わらない。
好きなことを、いきいきとしている時の目の輝き、迷いの無い判断力、ひたひたと身体を流れるたおやかな優しさ。それを自分がなくしてるうちは、人を癒せるどころか、人に癒してもらわなくてはならないほど、生きるパワーが落ちている。

私は癒される人となった。
アロマヒーリングに行ったり、足裏マッサージに行ったり、気のマッサージに行ったり。
自宅の部屋には、水の流れる灯篭を置き、オーガニックタオルに包まれて眠った。
波の音や、鳥のさえずりのBGMの中で、アロマオイルを落とした足湯につかり、胃にもたれない程度の食事を慎ましやかに摂っていた。

私は癒されたい病にかかったかのように、してもらいたい、されたい思いでいっぱいになった。
笑顔で人を癒すことも、言葉で人を喜ばせることも、なんだか意味がないことに思えた。

その、気功のマッサージ師の女性は、2回目に私の心を読み取り「してもらいたいと思う気持ちが強く出ると、自分で、ストレスをとる力が出なくなるんですよ」と言った。

ここに来るお客さんは、みんな疲れてるから、自分ではそれが、できなくなってここに来るんですけどね、とフォローしてくれたけれど、私は、心が怠けていると言われたようでとても、恥ずかしくなった。

見ると、彼女は、筋肉の締まった腕で、私の身体に気を入れてくれている。その薄化粧の表情の下に、きちんと生活しているひとりの女性の暮らし方を感じて、私はドキリとした。こうして、一日何人もの人を癒している彼女は、疲れてマッサージに通ったりせずに、自分で、自分を癒す方法を知っているのではないだろうか。
私は誰のことも癒していないというのに、ここでベットの上に横になっている。この、気持ちの持ち方の違いはなんだろうと、同じ大人の女性として、私は考えずにいられなかった。

能動的なエネルギーは、また次の力を引き出してくれる。人を愛せば愛すほど、知恵が出てくる。精神を説いた本には、こんなことが書いてあったことを思い出した。
私は、癒されて、元気が出たあかつきには、何をしようと思っていただろうか。人のために何かしてあげたい。喜ばせてあげたい。そんな人にとって、当たり前の気持ちを忘れていた私からは、心からの笑顔や優しい言葉は出てくるはずもなかった。
そして、人のためにしてあげたいと思う気持ちがなくなると、自分の生きる希望すら消えていく。

私は癒しという言葉に間違ったイメージを持って、気楽すぎる旅をしていたようだ。
本当に優しいのは強いこと。
そして、生きることをちゃんとしていないのならそこから、はじめなければ。

今は、周りの人を思いをかけて見ることで、すこしづつ自分も変わっていくような気がしている。




2003/9/9/TUE
-9〜10月のテーマ『携帯電話の向こう側』-
[仲良くなったケイタイ]

機械が苦手で、電話は自宅の、いまだに残っている黒電話だけと決めていた私ですが、
ケイタイを使って4年がたつ。
私は、持ち始めてから、長いこと、人といるときに、自分の携帯がなることも、
相手の携帯がなって、おしゃべりがはじまることも、とても嫌だったのです。
打ち合わせの席などで、相手にも、他にクライアントがあり、
こちらも、次に別の打ち合わせがあるときなどは、双方、仕事上やむを得ない。
でも、プライベートで会う人には、
会っている私のことだけ考えてほしいという要求を口には出さずに、
しっかり持っていたからね。
わがまま病が出ていて、今会っている人との間に、
誰か別の人が入ってくるのが、おもしろくない。
会っている人との間に、密度の濃い時間を持つことが、
大切だと思っていた時だな−。
今思うと、わがままである前に、さみしい病になっていたみたい。情けないです。

友達でも、ボーイフレンドでも、依存したりしていない関係では、相手の、
人間関係に干渉せずにいられるでしょ。決して、相手に無関心ではないのだけど、
その人の好きなことや、大切にしていることを理解していれば、
必要以上に感じやすくなることはない。
それなのに、相手に求めていた段階では、ケイタイ自体が恨めしく思えていた。
そのうち、こんなものがあるから、
私はおもしろくない気分にならなきゃいけないんだと八つ当たり。
自分の知らない相手の世界が、受話器の向こう側にひろがっていると不安になり、
自分をつまらない人間に感じたしさ。
ケイタイがなきゃ、知らないでいれたのに。だから、ケイタイなんてキ・ラ・イ!
とまあ、幼い思考に陥った私。恥ずかしい。

だって、ケイタイがどうってことじゃないもんね。
ただ、相手との、関係が、どんなときにもわかってしまうことがあるというだけ。
私が本当に考えなければならないことは、
さみしさがいっぱいだった自分の心を見直すことだったみたい。

そんな私を、よいしょっと見直したら、嫌いだったケイタイも、ただの電話に見えてきました。
ただ、着信音を、黒電話のむかしながらのリ−ン音にしたのは、
趣味だからなんですけど。きっと。




2003/8/20/WED
[ライブ!]
各地で夏祭りが行なわれている。
徳島の阿波踊りや、あちこちの花火大会。

夏は、熱気による強烈な印象と、風情のあるイベントで、思い返すと特別な思い出になっている。

ただ、今年は、あまり暑くなく、むしろ涼しく過ごさせてもらっている。
夏だ!という感じが、新潟に住んでいる私は今はあまり感じなくて、こんな夏も、いいかもと納得させるよりない。

海で商売をしている人は、売り上げも例年の半分以下という。
すこし違うが、そういえば私も、この夏用に、新しい服を買いにブティックに行った回数が、圧倒的に少ない。

そんな中、地元でも、夏祭りが行なわれた。
比較的若い男性が中心になった、御輿ひきまわしのお祭りだ。
御輿と言っても、子供が中に10人くらい乗れる大きさで、中では、太鼓や笛を演奏している。
御輿の後ろにも、笛を吹く若者がついていく。

演奏は、最高だ。
200年近くも昔から、同じ演奏が若者たちの間で引き継がれ、毎年、夏には聞けるのだ。この音色で、夏だ!という感情が触発される、私の中では、サザンのようなもの。この感覚は、少々倒錯しているだろうか。

そして、もっとも、私の中の情念を刺激されるのは、獅子の踊り。
御輿をひきまわしている間に、ご祝儀をいただくと、若者たちは獅子の準備をする。

笛の音は、獅子踊りの曲にかわり、それは怖い真っ赤な顔をした獅子の頭に、大きな布がついたものの中に、2人の男性が入る。

ただの布でしかないものが、後部の男性の動きによって獅子の感情をあらわし始める。曲の調子と獅子の口の開閉と動きだけで、獅子は本当に生き物みたいに、踊り、威嚇し、獰猛になる。

子供の頃は、その獅子に男性性を感じて、妙に神秘的でなまめかしかったことを覚えている。
今年の私は、なんだか妙な感覚をもった。

これって小さなライブツアーのよう。

トラックに楽器を積んで、ツアーに回るみたいに、御輿に積んだバンドを、仲間で引っ張って、しかるべき場所で披露する。新曲はないけど、彼らは伝統を載せている。

今年の演奏、踊りは、今年しか見られない。
気候や、その年の雰囲気や、個人の状況がまじりあって、今年だけの経験になる。

まさにライブ。

ライブの最中は、自分自身を振り返ってみたりして、幻想的な中で、人は自分について、普段よりもはっきりと分かることがあるような気がしてしまう。

すこし涼しい今年の夏。
でも、まぎれもない私の夏。
獅子踊りの獅子を頭からはずした男性は、茶色い髪の毛の
勇ましい若者だった。




2003/8/2/SAT
-7〜8月のテーマ『スキルアップ』-
[気というもの]
先日、合気道の稽古を見学する機会を得た。
名のある師を招いての、月一度の公開稽古に、知人が招いてくれたのだ。

その師は、60代と思われる、姿勢のいい男性だった。

門下生の前で、技の指導をする身体の動きは、初めて見た私には今までに見たスポーツの動きとはちがうように見えた。

田園の中に立つ体育館のなかに、蝉の声が届いたが、そこは静かな空間だった。

門下生は正座をして、師の泰然とした動きを見守った。

決して、激しくはない動きで、 師が相手の手首を取って、上に上げた直後、相手は畳の上に、倒れてすっくと起き上がった。

相手の身体へ力を移動する。
これを一瞬でやり遂げた身体は、余計な力を入れずに
しかもしなやかに、統制されている。

相手のほうも、攻めからきた力を、無駄に増殖させることなく、倒れこむことで畳に反射させて、立ち上がるエネルギーに変えていく。

どちらにも、「気」がこもっていた。

師は指導の合間合間に、みんなに語りかけた。
「人生には、今しかないんだよ」
「いつも、元気でいるように」
「今の姿勢をよくすると言うことは、人生を大切にすること」
「みんなの中には、宝物が眠っている。それをいかせるようにしなくちゃいけないよ」
「自然の声に耳をかたむけるように」

それらの言葉は、私の心に、蝉の声とともに響いた。

いろいろなうまくいかないことや、不満がでてくる。
しかし、姿勢を正して、呼吸してみる。
その瞬間に、ひとつの回答があるのではないか。

元気とは、気がぬけていないこと。
そして、余計な力を入れないのは、実は難しいことなのだが
生活の中で、実践の修行をしようと決めた。

すがすがしくなった見学の機会をありがたく思った。




2003/7/19/SAT
[初めまして]
女の子は感情を押し込めたまま暮らしていました。
どうして感情を押し込めたのかは、いろいろな原因があるのですが、
押し込めた感情は、想いを感じる心を硬くし、女の子は思うことをしなくなりました。

悲しみもせず、喜びもせず、祈りもせず、女の子は過ごしました。

女の子は、着飾りましたが、一瞬見ただけで、だれもがその後女の子を見ませんでした。
女の子は、着飾ることがつまらないことに思え、着飾ることをやめました。
ますます人は、女の子に目をとめなくなり、女の子の心は石になり、身体も石になりました.....。

初めまして。NAOと申します。

悲しいとき、調子がくるったとき、自分を急がせすぎたとき、感情がひずみだすと、
誰もが、心を石にしてしまう可能性はもっている気がします。
このお話の女の子は、感情を押し込めないだけで、
全く違った生き方をすることになったかも知れません。

喜んだり、悲しんだり、祈ったり、きれいだなと思ったり、
やってみたいと思ったり、そんな思うことを大切にしたい。
ちょっと、子供の頃から、自分を表現することがうまくできなかった私ですが、
不器用でも、可能性を追いかけていきたいです。

カフェ・ド・ショコラに参加させていただけることになり、とても嬉しいです。
楽しく、軽々と読める、色とりどりの風船のような文が書けたらと思います。

これから、どうぞよろしくお願いいたします。